サッカー

桐蔭横浜大・安武亨監督「私なんて軽く超えてほしい」、10年後にも生きる人間力を

「右肩上がりでずっと成長しています」と安武監督

現状維持は退化――。2018年から桐蔭横浜大学を率いている安武亨(とおる)監督(43)は、サッカー部の土台を築いた八城修総監督の言葉を常に心に留めている。サッカー部が本格的に活動を始めたのは1998年。新興チームだからこそできることがあるという。

部員たち自身が地域と触れ合う

「歴史ある大学で改革を進めるのは簡単ではないかもしれないですが、うちの場合は新しい歴史をつくっていきやすい。事実、右肩上がりでずっと成長しています」

2019年にはインカレで初の準優勝。桐蔭横浜大にとっては快挙だった。大学の校舎と練習場がある横浜市の青葉区役所を表敬訪問すると、職員総出で迎えられ、地元の各方面に準優勝の報告をするたびに「おめでとう」と祝福された。全く想像もしていなかった光景である。

「インカレで準優勝するまでは、ただこのチームを強くしたいと思っていましたが、視野が狭かった。このままではダメだなと思いました。地域とつながりを持ち、強くなって行った方がいいなと。自分の意志だけではなく、誰かの思いを背負ってプレーしていれば、責任感が生まれてきます。ピッチの中できつい時にも、もう一歩足が出ますから。2020年以降は、地元に応援してもらえるチームづくりを心がけるようにしています」

21年は企業スポンサーを募り、9社からサポートを受けた。目的は運営費の支援だけではない。ユニホームにスポンサーロゴが入れば、社会とのつながりができ、選手たちの意識も変わるという。21年度は、大学の認知度をより高めるために選手一人ひとりが地元の商店などを直接訪ねて、サッカー部で制作したポスター掲出のお願いもした。

「最初、部員たちも嫌がるかなと思っていたのですが、積極的にお店を回っていました。彼らは底知れないものを持っています。こちらが勝手に天井を決めていました。ピッチ外の活動もポジティブに捉えて行動に移す姿を見ていると、きっと社会に出てもいい人材に育つなと思いました」

現役引退が見えた時こそ「人間力」が試される

コロナ禍の影響で活動は制限されているものの、地域のフェスティバルがあれば参加し、地域の子どもたちとも交流している。仮に誰かの迷惑になるようなことがあれば、次の新しいことを探せばいいというスタンスである。フットワークが軽く、何ごとも前向きにトライしている。桐蔭横浜大サッカー部では毎年のようにプロサッカー選手を輩出しているが、技術や戦術だけではなく、人間性を伸ばすことを重要視している。プロ経験を持つ安武監督は、しみじみと話す。

「ピッチ上の結果だけを評価されるのは若い時だけです。例えプロになったとしても、10年後には人間力がないと、契約はもらえないと思います。実際、私はそういう選手を見てきましたから。ベテランとなり、プロサッカー人生が終わりに近づいた時、クラブから『ここに残ってくれ』と言われるような人間になってほしい」

川崎Fに進んだ早坂勇希(左)にも10年後を見据えて指導してきた

「私なんて、軽くぽんと超えて行ってほしい」

指導も一方通行ではない。安武監督は学生たちと同じ目線に立って言葉をかわし、意見を聞き入れている。ポジティブな提案を拒絶することはない。例えリーグ戦の勝敗に関わることであっても、ぎりぎりまで我慢して静かに見守っている。主体性を持ってチャレンジすることに意義があり、その時に学生たちが最も成長することを知っているからだ。

「頭ごなしにこれもダメ、あれもダメなんて言いません。選手あってのチーム。私は立場上、監督の仕事をしていますが、選手との関係はフラット。そこに上下はないです。私の言う通りにしていれば、私以上の人間にならないので。私なんて、軽くぽんと超えて行ってほしい。桐蔭横浜大を選んで来た選手たちがみんな、『本当に楽しかった、本当に来て良かった』と卒業してくれるのが1番です」

晴れやかな表情で卒業していく学生たちを送り出すと、また新たな挑戦が始まる。

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