川崎内定の桐蔭横浜・橘田健人、大学で得た自信で開けたプロへの道、最後こそ日本一を
無力感にさいなまれ、涙がぼろぼろとこぼれてきた。2019年12月22日、駒場スタジアム浦和でのインカレ決勝は、1年経った今も心に深く刻まれている。延長戦の末に明治大学に1-3の力負け。当時、桐蔭横浜大学の3年生だった橘田(たちばなだ)健人(4年、神村学園)は、しみじみと振り返る。
「本当に情けなかった。4年生は最後の試合だったのに、中盤で相手に圧倒されてしまって……。自分の力のなさを痛感しました。今までのサッカー人生で一番悔しかった。あの時、大事な試合でチームを勝たせる選手になりたいと改めて強く思いました」
前回のインカレでの活躍で“人気銘柄”に
橘田本人はショックに打ちひしがれたが、プロの評価は大会を通じて、高まっていた。試合会場に集まったプロのスカウトたちからは同じようなことを何度も聞いた。「一番気になるボランチ。周りがすごく見えている。サイドチェンジのパスがいいし、走れて、攻守の切り替えも早い。うちはキャンプ(練習)に呼ぶつもりです」
ある地方クラブのスカウトによると、J1とJ2クラブを合わせ、最低でも8チームは獲得の意向を持っていたという。またたく間に“人気銘柄”となり、獲得競争は過熱するかに思われた。
しかし、進路問題はあっという間に決着する。インカレを終えてしばらくした頃、安武亨(やすたけ・とおる)監督を通じて、川崎フロンターレから話がきていることを知ると、すぐに結論を出した。「迷うことはなかったです。日本で一番うまいチームですから。僕はうまくなりたいので、いろいろ吸収できると思いました。自信はないですが、チャレンジしたい。でも、まさか僕のところにあのフロンターレから話がくると思っていなかったです。正直、驚きました」
安武監督「もっと自信を持ってプレーしろ」
サッカーを始めた小学校1年生の頃から無我夢中でボールを追いかけてきた。小中高とチームの中心選手としてプレーするようになっても、プロを夢見たことはなかった。「サッカーを続けてきたのは、ボールを蹴るのが純粋に楽しかったからです。プロを意識したことはなかったですし、将来プロになれるとも思っていませんでした」
鹿児島の神村学園高を卒業後、桐蔭横浜大に進んで全日本大学選抜に選出されても、まだプロの世界は遠い場所だった。大学3年生になったばかりの頃だ。全日本大学選抜の一員として20歳以下の年代別日本代表と練習試合をした時、大きなレベルの差を感じた。「相手はみんな年下のプロ選手だったんですけど、僕のプレーはほとんど通用しなくて。これはプロは厳しいな、と思いました」
それでも、サッカーに注ぐ情熱は一切変わらなかった。元々プロになるのが目標ではない。ただうまくなりたい一心でボールを蹴り続けた。好きこそものの上手なれ。まさに格言通り、成長が止まることはなかった。3年生になったことで、主軸としての自覚が芽生えたこともある。安武監督からは意識を変えることも促された。
「もっと自信を持ってプレーしろ」
すると、試合を重ねるごとに攻守の要として存在感が増していった。関東大学1部リーグの対戦相手にはJクラブに内定している選手たちも数多くいたが、簡単に負けることはなかった。「案外、通用するかもしれないと思いました。試合で勝つこともありましたし、僕もプロにいけるかもって」
特にパスワークは光った。中盤でシンプルにボールを配給し、要所ではゴールに直結するラストパスを通した。幼い頃から川崎Fの中村憲剛(引退)らにあこがれ、マネをしてきたというスルーパスはプロのスカウトたちをうならせた。「昔から点を取るよりもアシストに喜びを感じるタイプだったので」と橘田は言う。
神村学園高校の有村圭一郎監督からの教えも、ずっと心にとどめている。
「自分のタイミングでサッカーをするな。味方の欲しいタイミングを考えてプレーしろ」
大学で守備を鍛え、名ボランチへと変貌
大学では守備力も大きく向上させた。豊富な運動量を生かし、中盤でこぼれ球を素早く回収する。身長168cmの小さな体で相手の懐にすっと入り込み、ボールを奪う術も目を見張るばかりだ。攻撃に特化したプレーヤーだった高校時代と比べると、まるで別人である。「考えて守備をするようになりました。相手の動きを予測して、奪うようにしています」と橘田も自身の変化を口にする。
安武監督からも口酸っぱく指導されてきた。
「守備ができない選手は使わない。攻守の切り替えが遅い選手は使わない」
指導陣の声に真摯(しんし)に耳を傾け、努力してきた男は、今や大学サッカー界で押しも押されもせぬボランチへと変貌した。
思いもしなかったプロ入りのきっかけをつかんだ大学サッカー生活も残りわずか。1月6日に開幕する特別な全国大会(#atarimaeni CUP)が最後の戦いとなる。コロナ禍の影響で夏の総理大臣杯は中止となり、冬のインカレと統合される形で開催されるトーナメント。たとえ名称が変更されても、前年度の雪辱を晴らす舞台として臨む覚悟は変わらない。
「前回、果たせなかった日本一に輝きたい。それが大学への恩返しになります。僕は桐蔭横浜大に育ててもらいましたし、ここにきていなければ、今の自分はありません」
感謝の気持ちは結果で示す。悔いなく大学サッカーに心血を注いでから、プロに羽ばたいていく。
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