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桐蔭横浜大・早坂勇希、川崎Fに憧れた少年が川崎Fの選手へ 再挑戦組の希望になる

早坂は川崎Fのアカデミーで鍛えられ、桐蔭横浜大を経て川崎F内定をつかんだ (C)JUFA/REIKO IIJIMA

川崎フロンターレへの内定が発表されてから約半年が過ぎた。季節は移ろい、大学で過ごす時間は残りわずかになりつつある。桐蔭横浜大学の早坂勇希(4年、川崎F U-18)は関東大学1部リーグの残留に向けて、死に物狂いでゴールマウスを守っている。

「大学の仲間とサッカーができるのは、あと少しです。悔いなく全てを出し切りたい。選手たちを支えてくれた指導陣、チームスタッフ、学生マネジャーたちもいます。僕らは周囲への感謝の思いを忘れず、最後まで全力を尽くさないといけないと思っています」

大学でたくましく成長したゴールキーパーの表情には自信がみなぎっていた。

4年後のプロ入りを誓い、桐蔭横浜大へ

「ユースからトップに昇格できなかった選手たちの希望になりたいんです。今の大学サッカー界にもたくさんいると思います。僕も経験しましたが、大なり小なりショックは受けたと思います。でも、希望は捨てないでほしい。夢は諦めないでほしい」

4年前、プロ入りの道を閉ざされて絶望したことは、今でもはっきりと覚えている。高校3年生の夏過ぎだった。小学校5年生で加入した川崎Fのアカデミー組織では順調にステップアップし、U-15(中学生年代)、U-18(高校生年代)に進み、プロ入り目前まで迫った。トップチームへの昇格を見送られた選手たちが早々と大学進学の準備を進める中、早坂はクラブの最終判断を待っていた。一時保留とされたが、期待が膨らんだのも無理はない。幼い頃からの夢である。ただ、遅れて受け取った回答は見送りだった。

「スムーズにキャリアを歩んできたので、一気にどん底に落とされた思いでした。実力不足と認識しながらも、将来が不安で仕方なくて、どうしていいか分からなかった」

4年後のプロ入りを誓い、大学を探し始めたのは秋からだ。すでにスポーツ推薦の枠が埋まっているところも多かったものの、選択肢はまだいくつか残っていた。悩んだ末に選んだのが、桐蔭横浜大。当時の八城修監督(現総監督)、安武亨ヘッドコーチ(現監督)の熱意に心を打たれたこともあるが、チームの置かれている状況に何よりもやりがいを感じた。1部リーグに昇格した2013年以降、毎年のように残留争いを繰り広げており、周囲には「桐蔭横浜大でいいのか?」と心配する声もあった。それでも、早坂は厳しい現実を後ろ向きに捉えず、前向きに考えていた。

「データを見ると、しぶとく1部に残っていますし、正直、個人的には好条件かなと。僕はゴールを守るキーパーです。相手に攻められる機会の少ない強いチームに行けば、そこまで目立ちませんよね。相手に攻められれば攻められるほど、キーパーは注目されます。再三訪れるピンチをことごとくストップすれば、チームを変えることができると思いました」

GKの自分がとめればチームを変えられる、そう思いながら桐蔭横浜大サッカー部の門をたたいた (C)JUFA/REIKO IIJIMA

インカレ初出場で準優勝の立役者

入学後は先輩のGK陣と切磋琢磨(せっさたくま)し、がむしゃらに突き進んだ。そして、レギュラーをつかんだ2年生でのインカレで一躍脚光を浴びる。桐蔭横浜大は初出場で快進撃を続けたことで話題になり、下級生の守護神にもスポットライトが当たった。強豪がひしめく準々決勝以降は攻められながら、シュートをことごとくストップ。ピンチが訪れる度に、早坂は輝いた。決勝では延長戦の末に1-3で明治大学に敗れたものの、プロの評価は一気に高まった。川崎Fの向島建スカウトが「個人的にはMVP」と舌を巻くほどの活躍だった。

3年生以降も絶対的な守護神として君臨したが、現状に満足することなく、練習に打ち込んだ。安武監督にはいつもチャレンジを促され、「失敗を恐れず、自分の良さをどんどん出せ」と言われてきた。意見を押し付けられたことは一度もない。自主性が求められ、考えて努力を重ねることでレベルアップしてきた。

「チャレンジしたことを認めてもらえると、自信になります。失敗しても、いつも『次のチャレンジをすればいい』と言ってくれました。監督と選手という一線はありますが、いい距離間で何でも言いやすい雰囲気がありました」

チーム作りも学生主体で、選手だけでミーティングを開くことも多かった。自らの考えを言葉にする機会が増えたことで、意見をはっきりと主張できるようにもなった。「SNSでのやり取りが多くなる中でも、直接取るコミュニケーションは必要です。社会に出た時に大切になること。大学では貴重な経験を積めたと思っています」

1人しか出られないのがGKだから

取材での受け答えも自らの言葉で話し、明朗快活そのもの。桐蔭横浜大で磨きをかけたのはサッカーの技術、戦術だけではない。指導者、仲間と濃密な時間を過ごし、人間性を育んだ。厳しい競争を強いられるプロの世界で生きていく上で欠かさない要素である。他者を受け入れ、自己主張できなければ、あっという間に置いていかれてしまう。加入するチームは、昨季のJリーグ王者。ゴールを守るのはJリーグ指折りの実力を持ち、韓国代表経験のあるチョン・ソンリョンだ。立ちはだかる壁は高い。

「チームメートである仲間はリスペクトしますし、切磋琢磨していきたいですが、GKのポジションは1つしかありません。試合に出るためには、1番てっぺんに立たないといけない。目の色を変えて、1年目からスタメンの座を奪いにいくつもりです。ソンリョンさんは日本一をとったチームのゴールをずっと守り続けている選手。すごいGKだというのは分かっています。だからこそ、抜きたいと思っています」

絶対的な守護神として、プロの舞台でも活躍を誓う (C)JUFA/REIKO IIJIMA

川崎Fへの思いも強い。アカデミー組織を離れてからも、クラブへの愛情が薄れたことはない。幼い頃から本拠地の等々力陸上競技場に通い、熱狂的なサポーターが陣取るエリアで応援したこともある。まだタイトルを獲得していない時代だったものの、憧れのチームはどこよりも強くて、かっこよく見えた。

「僕は終了間際で試合をひっくり返す『等々力劇場』を何度も見ましたから。その夢の舞台でゴールを守ることができれば、これ以上の幸せはないです。まずは試合に出ること。それから結果を残し、応援されるような選手になりたいです。昔の僕がそうしたように」

川崎Fの選手を追いかけていたあの頃

小学生時代の記憶が鮮明に甦(よみがえ)ってくる。Jリーグの試合後、等々力陸上競技場から出てくる川崎Fの選手たちを柵にしがみついてじっと待っている時だ。選手バスに乗り込む前にスタスタとファンの前まで歩いてくると、疲れた顔など1つ見せず、サイン入りのカードをすっと手渡してくれた。初めての経験だった。飛び上がるほどうれしかった少年の思いは、10年以上経っても色あせていない。当時、夢を与えてくれた選手は現在、川崎Fのスカウト担当を務めている。2020年末にジェフユナイテッド千葉で現役を退き、今年から川崎Fに戻ってきた田坂祐介さんである。

自分がそうだったように、子どもたちもワクワクするようなプレーを見せたい(撮影・杉園昌之)

「昔、カードをもらったことを本人に伝えたら、すごく驚いてしました。夢の世界の人たちが、現実の身近にいるので、わけが分からないですよ。GKの安藤駿介さん(現川崎F)もそう。小学生の僕が初めてセレクションを受けた時に、練習場にふらっと顔を出してくれたことを覚えています。次は僕が見られる立場になるので、見に来てくれた人たちの心を動かせるようなプレーを心がけたいですし、言動も意識したいと思います」

強い自覚と覚悟を持ち、夢を与えるプロフットボーラーの道を歩んでいくことを誓う。



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