ラグビー

日本大学、普久原琉と饒平名悠斗 幼なじみ2人が一緒にプレーするラストイヤー

日本大学ハリケーンズの普久原琉(右)と饒平名悠斗(撮影・すべて斉藤健仁)

ラグビーを一緒にプレーして丸16年。「りゅう」と「ゆうと」の幼なじみ2人はラストイヤーを迎えている。今季こそ関東リーグ戦で優勝し、大学選手権ではベスト8の壁を破り、日本一を目標に掲げている日本大学ラグビー部。1年生から試合に出て活躍しているのが4年生のFB(フルバック)普久原琉とSO(スタンドオフ)饒平名(よへな)悠斗(ともに4年、コザ)の2人だ。

2歳ぐらいから一緒に遊んだ仲

昨季、関東リーグ戦で2位となり、大学選手権では3シーズン連続のベスト8に入った日本大。今季の春季大会はAリーグで5連敗に終わった。それでも普久原は「ヘッドコーチが変わってコンタクト練習が増えてやっていて楽しい。秋までにディフェンスを修正したい」と言えば、今季はCTB(センター)としてもプレーする饒平名も「春はとにかくチャレンジした。アタックは得点も取れているので、いい感じでできています」と手応えを口にした。

ランとステップが武器の普久原と、冷静なゲームメイクが持ち味の饒平名。2年生の時からバックスの中心選手である2人は、ともに沖縄県沖縄市の出身で、保育園も同じ。2歳くらいから一緒に遊んでいたという。

2人が泡瀬幼稚園に通っていた5歳の頃、普段から遊んでいた公園でコザクラブジュニアが練習をしていた。普久原の兄でウィングとして活躍した虎(たいが)がラグビーを始めた影響で、弟の琉も楕円(だえん)球に親しむようになる。

普久原(右)と饒平名は幼少期から一緒に過ごしてきた。試合中もコミュニケーションは欠かさない

すると普久原は一緒に遊んでいた饒平名を楕円球の道に誘った。普久原は「覚えていないくらいです」と照れるが、饒平名は「りゅうが声をかけてくれたのでラグビーを始めた。ありがたい」とハッキリとその瞬間を記憶している。そこから2人の遊びの中心はラグビーになった。

バスケットボールで培ったラグビーセンス

2人は始めた頃からバックスとしてプレーしていた。運動神経が良かったこともあり、チームの中心だった。スクールでラグビーをすると同時に、泡瀬小学校の3~6年生の間はバスケットボールにも親しんだ。2人とも沖縄市の選抜チームに選ばれ、県では3位に入った。普久原のトリッキーなステップやオフロードパス、饒平名の視野の広さ、パスセンスはラグビーだけでなく、バスケットボールで培ったものだった。

饒平名は「美東中学に入ったらバスケットボール部に入ることも考えた」という。普久原も同様にバスケットボール部に入ることも頭をよぎったが、兄がすでに泡瀬中学校でラグビー部に入っていたため、「兄の影響が大きかった」とラグビー部を選ぶと、饒平名もそれに続いたという。

ただ中学3年時に部員が6人になってしまったため、近くの中学校の生徒とともに、沖縄ラグビースクールが立ち上がった。コザクラブジュニアで一緒だった帝京大学のFL(フランカー)當眞慶(4年、流通経済大柏)、関東学院大学のPR(プロップ)濱元敦希(4年、コザ)もチームメートだった。

ラグビーでも沖縄選抜としても活躍した2人は、普久原の兄もプレーしていた沖縄市にあるコザ高校で「いっしょにやろう」(普久原)と進学した。

普久原(右端)はフルバックとして、攻守の要を担う

花園で大敗も、際だった存在感

高校2年時には、目標としていた「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場した。1回戦で明和県央(群馬)に7-67で大敗したが、2人の存在は際立っていた。特に「高校まで弱かったので大学では大舞台でやりたい!」と思っていたFB普久原に多くの強豪大学から声がかかり、川松真一朗GM(当時)が熱心に足を運んでくれたこともあり日本大への進学を決めた。

饒平名は「コザ高の先輩がいた愛知の大学に進学しようかな」と漠然と思っていたという。ただ高校3年時にケガをしていたものの高校日本代表候補に選ばれたことから、普久原とともに日本大から誘われ、2人そろって大学でも同じチームへと進むことになった。

饒平名はチームの司令塔だ

「(普久原)琉が誘われたことで、僕も目にとまった。一緒だったので安心して東京に来られた」と饒平名が言えば、普久原も「饒平名は一番、気が許せる存在です。親同士も仲がいいですし、一緒に日本大学に来て安心したと思います」と振り返った。

しっかり者と、マイペースな自由人

東京に出た後、特別2人で外出することはないが、2人で沖縄に帰省するときもある。2人で話すときは自然と沖縄の言葉で話している。2人の性格は「真逆だからいいのかもしれない」と普久原が言うように、よく話す饒平名はしっかり者で几帳面(きちょうめん)、口下手な普久原は沖縄出身らしくマイペースな自由人で、自然と気が合うという。

実家から沖縄のお菓子や食べ物が送られてきたときは毎回、シェアしている。ラフテーが好きだという普久原は「先日、饒平名のお母さんからサーターアンダギーをもらいました。おいしかったです!」と言えば、饒平名は「ゴーヤチャンプルーが好きですね!」と笑顔を見せた。

試合は激しくぶつかり合うが、普段の普久原はマイペースな自由人だ
試合中に冷静な判断が求められる饒平名(中央)は、しっかり者できちょうめん

「リーグワン」では別々のチームへ

2人とも、来年からは社会人リーグ「リーグワン」のチームに進むが、違うチームに所属することになるため、一緒にプレーするのは今年がラストイヤーになる。

饒平名は「ラグビーを誘ってくれたのも日本大学に進学できたのも琉のおかげです。最後なので楽しくやって、いっしょに優勝したい!」と言えば、普久原も「たまたまずっと一緒にやってきたというのもありますが、2人で優勝したいですね」と語気を強めた。

同じチームでラグビーを続けて今年で17年目。饒平名は「長い間やってきたので息が合う。やろうとしているプレーがなんとなくわかる」と言えば、普久原も「本当にどういったプレーをするかわかります」と話す。

普久原(左から2人目)と饒平名(右端)は下級生の頃から、試合で体を張ってきた

今季の日本大学バックスのメンバーは昨シーズンとさほど大きく変わっておらず、2人を筆頭にタレントもそろう。息の合った幼なじみのコンビプレーが、ハリケーンズ躍進の鍵を握っている。

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