青学がアンカー勝負で敗れて全日本大学駅伝2位、原晋監督「監督の采配ミス」
第53回全日本大学駅伝
11月7日@愛知・熱田神宮西門前~三重・伊勢神宮内宮宇治橋前の8区間106.8km
1位 駒澤大 5時間12分58秒
2位 青山学院大 5時間13分06秒
3位 順天堂大 5時間14分20秒
4位 國學院大 5時間14分53秒
5位 東京国際大 5時間15分13秒
6位 早稲田大 5時間16分29秒
7位 明治大 5時間16分46秒
8位 中央大 5時間17分06秒
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9位 法政大 5時間17分39秒
10位 東洋大 5時間17分58秒
「そりゃ悔しいですよね。勝てるチャンスが幾度となくありました。最後、決戦で敗れた。残念でした」
青山学院大学の原晋監督は全日本大学駅伝直後の会見でそう口にした。アンカーの飯田貴之主将(4年、八千代松陰)が駒澤大学の花尾恭輔(2年、鎮西学院)の背中を捉えながら勝ち切れなかった責任を強く感じていた中、原監督は「今回の負けは監督の采配ミスだと思っています」と言い切った。
岸本が復活レースで3区日本人トップの快走
青山学院大は1区に志貴勇斗(2年、山形南)、2区に中村唯翔(3年、流通経大柏)、3区に岸本大紀(3年、三条)、4区に高橋勇輝副将(4年、長野日大)、5区に2年連続で佐藤一世(2年、八千代松陰)、当日変更で6区に若林宏樹(1年、洛南)と7区に近藤幸太郎(3年、豊川工=現豊川工科)、そしてアンカーに飯田を配置した。特に岸本は昨年8月に痛みが出始め、9月に左の大腿骨(だいたいこつ)の疲労骨折が判明し、本格的に走り込みができるようになったのは今年6~7月になってからだった。「期待値を込めてスタートに立たせた」と原監督は言い、襷(たすき)をつなぐ選手たちも、岸本がどれだけの走りができるか予測ができないところがあった。
1区の志貴はトップの駒澤大と5秒差の4位で襷をつないだが、中村が区間14位と苦しみ、10位で襷リレー。中村と岸本はレース前、「どちらかはきついだろうから、お互いにカバーしよう」と話していたという。その中村が厳しいレースになっているという情報が岸本に入ってからは、「自分がしっかり追い上げよう」と改めて気持ちを入れ直した。駅伝を走るのは1年生だった2020年の箱根駅伝以来。スタート直前も、久しぶりに駅伝を走れることが楽しくしょうがなかった。
1kmを2分50秒ペースで刻んでいき、11位だった拓殖大学のジョセフ・ラジニ(3年、オファファジェリショ)が前に出てからは岸本も一度粘った。しかし今の自分の状態を考えて後ろにつくのをやめ、自分のペースに戻した。終盤は1kmが2分55秒ペースになったものの、順位を2つ上げ、日本人トップの区間3位につけた。「状態としてはまだベストではないんですけど、10kmの通過が自分のベストと同じくらいだったので、自分の中ではまだまだいけるんじゃないかなと思いました」と岸本は言い、復活レースで存在感を示した。
近藤「神林さんのような走り」を目指し
岸本がもたらした追い上げの流れを高橋は区間賞の走りで更に加速させ、6位で佐藤に襷リレー。佐藤は「自信を持っていけ」という原監督からの言葉を受けて前半から攻めながら、後半に失速した前回大会での経験を踏まえ、ペース配分を考えながらレースを組み立てた。最後は2位の順天堂大学と2秒差での3位につけ、若林に襷を託した。佐藤は2年連続での区間賞に対しても、「去年、自分が出した区間新を目標にしてたので、そこを出せなかったのは悔しい」と現在地に満足していない。
今回のメンバーで唯一の1年生として出走した若林は区間12位と苦しいレースとなり、駒澤大、法政大学と同タイムの5位で7区のエース・近藤に襷をつないだ。青山学院大としては、7区への襷渡しの時点で首位に立ち、追い上げてくるであろう駒澤大の田澤廉(3年、青森山田)との差を30秒以内にとどめ、アンカーの飯田につなげるというレースを想定していた。近藤は前回大会で7区を走った神林勇太のような走りをイメージし、実際に神林からも「最初の10kmを楽に走ってそこからが勝負だよ」とアドバイスを受けていた。加えて「幸太郎は俺よりも100倍強いから」と背中を押してくれたという。近藤自身、前回大会で2区区間13位と苦しみ、7区で首位に立った神林に助けられたという思いがあった。それから1年、「神林さんのような走りを思い描いてやってきました」と近藤は言う。
近藤はあの時の借りを返す時だと心に決め、田澤に併走。しかし田澤のペースが速かったため、離れて自分のペースを刻む走りに切り替えた。最後は田澤と18秒差での2位で襷をつなぎ、近藤は田澤に次ぐ区間2位だった。「追いかける展開だったから最初の10kmを楽には走れなかったけど、きつくなってからもしっかり粘れました。田澤とは初めて一緒に走って、すごいなと思ったんですけど、いつも雲の上の存在だったので、(18秒差にとどめられたのは)自信にはつながったかなと思います。でも次は10秒差前後に、いずれは勝負できるように頑張りたいです」と近藤は青山学院大のエースとしての走りを見せた。
8区は19.7kmという最長区間。アンカーを託された飯田は、駒澤大の花尾の背中が見える中で1kmを2分55秒ペースで刻み、8km地点で花尾の背中を捉えた。2分55秒ペースで最後まで押していける自信はあったが、花尾の表情を見ると余裕がありそうに見えたため、後ろについてラスト1kmで勝負しようと考えた。8区は16kmを過ぎてから上り坂が続く。その上りの途中となったラスト2kmで花尾がペースを上げた。しかし飯田は上り始めたところで足に余裕がなくなってしまい、花尾を追うことができなかった。そのまま花尾は首位を守り、笑顔でゴールテープを切った。トップとの8秒差でのゴールに、飯田は人目もはばからず号泣した。
原監督「監督としての目力」を
レースを振り返り、原監督は「1、3、4、5区はしっかりと区間賞に近い走りをしてくれたんですけど、2区間で二桁になると優勝は非常に難しい。その中でも優勝争いに絡んでいけたので地力があるのかな」とコメント。特に近藤に対して、学生ナンバーワンの呼び声が高い田澤にも食らいつき、その差を最低限にとどめたことを踏まえ、「10000mのベスト通りの区間タイムだと思うので、地力があった。学生ナンバーワンに近づく走力のある選手になっていると思う」とたたえた。
ただ2位という総合結果に対して、「力がありながらも、最後、パズルの組み合わせに失敗したのかなと思います」と監督としての責任を感じている。チームエントリー入りした16人はどの選手を走らせてもいいと感じられるほど、戦力が充実していたという。その意味では10区間で競う箱根駅伝に手応えを感じることもできた。だからこそ、日頃から選手の状態を見極める「監督としての目力」をつけていく必要があることを原監督は強調した。
飯田主将「何か1つ残して終われたら」
原監督の横で会見に臨んだ飯田は終始、伏し目がちだった。「前半区間苦しんだ区間もありましたけど、僕に優勝を狙える位置でみんながつないでくれたのに、勝負に徹した中で競り負けて2位という結果だったので、チームの代表として、キャプテンとして、部員には申し訳ない気持ちでいっぱいです」。後ろについたところで前に出なかった後悔と競り負けた悔しさを感じながら、「素直に実力不足だったと思います」と口にした。
10月10日の出雲駅伝では2区区間7位でチームは2位。今回の全日本大学駅伝では8区区間3位でチームは再び2位。「キャプテンとしても青学の一選手としても不甲斐(ふがい)ない走りしかできてないので、最後、箱根駅伝が1つだけ残っているので、何か1つ残して終われたらいいなと思っています」。悲痛な表情を浮かべながら、強い覚悟がその言葉に込められていた。
今の4年生が幹部になるにあたり、「速さより強さを求めていこう」と決めてチームをまとめ、日々の練習から一人ひとりの意識を上げていくことに心を砕いてきた。「強さを求めてきたら速さもついてきました」と高橋は言うように、今年の青山学院大は5000mを13分台で走る選手が20人超と過去最速を誇る。
「三大駅伝3冠」を掲げていた青山学院大は、皆が悔しさをもって2位という結果を受け止めている。だからこそ、最後の箱根駅伝だけは譲れない。