陸上・駅伝

青山学院大主将・飯田貴之 チームの先頭で、「走るべき人間がしっかり練習を積む」

練習で先頭を引っ張る飯田。秋の駅伝シーズンに向けての思いを聞いた(写真提供・青山学院大陸上部)

近年の駅伝界をリードする存在となっている青山学院大学。今年、主将に就任したのは飯田貴之(4年、八千代松陰)だ。前期シーズンを振り返ってもらい、今のチーム状況と秋の駅伝シーズンに向けての意気込みを聞いた。

主将の大役にも自然体で臨む

飯田は昨年度、1つ上の先輩たちからも「(主将を)やるとしたら飯田だろうな」という声をもらい、最高学年になる前には主将を務める覚悟ができていた。そして部員間の話し合いで推薦され、正式に主将に決まった。だが、プレッシャーは意外と感じなかったのだという。「1年目から箱根駅伝にも出させてもらっていて、普通なら緊張するのかもしれないんですけど、僕はそんなに緊張しなくて『走れることが嬉(うれ)しい』という感じで楽しんで走れていました。もともと周りからのプレッシャーを感じないタイプなのかもしれません」

取材にも気さくに答えてくれた飯田。「プレッシャーを感じないタイプ」だという(写真提供・青山学院大陸上部)

前主将の神林勇太と比べて、自分の競技力で大丈夫なのか? という不安はあった。神林は最後の箱根駅伝には疲労骨折で出場はかなわなかったが、それまでのエースとしての走りはメンバーたちに大きな影響を与えていた。飯田も「特に全日本大学駅伝での走りは、見ていて感じるものがありました」と振り返る。

だが同時に、神林のリーダーシップによって、いいチームになっていく様子を間近で見ていた飯田は、自分が主将となることによってどうチームが変化していくのか楽しみにする気持ちもあった。「今はどうチームがまとまっていくか考えないとといけないし、周りの選手たちからの目線もより感じます。自分自身の生活や、競技面の取り組みも今一度見直したりもしています」

箱根直後に疲労骨折も、5月には目標の13分台に

今年の箱根駅伝で飯田は9区を走った。5位で受け取った襷(たすき)だったが、前を行く東海大の長田駿佑(4年、東海大附札幌)を抜いて4位に浮上。途中の15km手前では神林からの給水も受け取った。区間2位の力走でチームの復路優勝に貢献。だが、襷を渡したあと一度倒れ込むと、飯田は自力では立ち上がれなかった。「両足の股関節と大腿骨の4か所を疲労骨折していたんです。(1月)5日には診断を受けて、走れない期間が2カ月続きました。走り始めたのは3月になってからです」。いつ骨折したのかは定かではないが、箱根9区の23.1kmを走っている時は一切、痛みはなかったというから驚きだ。

年始の箱根駅伝では9区区間2位の好走。だがこの日に脚の4か所を疲労骨折していた(撮影・佐伯航平)

最終学年は関東インカレに出て結果を残したいという気持ちもあり、長い距離が得意なためハーフマラソンに出たいと考えていた。しかし完全に復帰できたわけではなく、選考段階でメンバーから漏れてしまった。結果的に関東インカレ男子2部ハーフマラソンでは、チームメートの西久保遼(3年、鳥栖工)が優勝。「個人としては悔しかったですが、チームとしては収穫のあるインカレでした」と振り返る。

飯田は5月9日の日体大記録会5000mで13分58秒32で走り、自身初の13分台をマーク。7月4日の絆記録会5000mでは13分55秒83と、さらに自己ベストを更新した。ずっと陸上をやってきて、初めて13分台を意識したのは八千代松陰高3年のとき。それから4年、「絶対に13分台を出す」と取り組んでついに目標を達成した。例年の前半期よりはいいと思う、と自らのシーズンを総括するが、青山学院大には飯田を含め、いま5000m13分台のランナーが22人もいる。「現状だと、自分より速い選手が15人もいるので、満足はしていません」。13分40秒台も視野に入れながらスピードを磨く。

7月の絆記録会では自己ベスト更新も、「組トップではないのでまだまだ弱い」(写真提供・青山学院大陸上部)

「13分台を出せたといっても、記録会の組トップを取ったわけでもないので。トラックレースでの勝負や駆け引き、競った時に勝ちきれる強さがまだ全然足りないです」。飯田は自らの弱みをこう表現してくれた。逆に、単独走で積極的に速いペースで押していくことには自信がある。起伏のあるコース、上りと下りはどちらでもいけるし、暑さや風にも左右されない。まさにロードレース、駅伝向きのランナーだ。その強みを買われて、1年時には箱根駅伝8区、2年時には全日本大学駅伝のアンカーを走り、箱根駅伝では5区を担当。そして3年時には箱根駅伝9区を走った。

全日本ではリベンジ、箱根では5区で区間賞を

青山学院大の今期の目標は、学生3大駅伝三冠。「今年箱根で4位になって、改めて優勝したい! と強く思いました。それだけじゃなくて、出雲、全日本でも優勝したいです。1年生にも強力なメンバーが揃っているので、走るべき人間がしっかり練習を積んで自分たちの駅伝ができれば、まず出雲は取れる。出雲が取れればその先に全日本、箱根が見えてくると思います」。例年以上の選手層の厚さがあるとは感じているが、その中からどれだけ走る者が調子を合わせられるか、(13分)40秒台、30秒台の力をつけられるかにかかっているとも見ている。

飯田自身は出雲駅伝を走ったことがない。「出るとしたら最長、6区10kmの区間なのかな」と話す。全日本大学駅伝では、2年時に走ったアンカーの区間でリベンジしたい、という気持ちがある。あのとき、飯田はトップで襷を受け取ったが、後ろから来た東海大の名取燎太(当時3年、現コニカミノルタ)に4.3km付近で抜き去られ、逆転で優勝をさらわれた。

自身を持って挑んだ全日本大学駅伝アンカーだったが、東海大の名取に力負けした(撮影・藤井みさ)

「当時、力はついてきているし自信はありました。名取さんともアンカーで引けを取らないと思っていたので、まさか追いつかれて逆転されるとは思っていませんでした。あのときの出せる力は出し切ったので、力負けでした」と振り返る。「だからその時と同じ区間を走って、今度はキャプテンとして優勝を決定づけるような走りをしたいですね」

また過去3回箱根駅伝を走り、いずれも好走している飯田だが、実はすべて区間2位だ。「毎回一歩及ばずというところなので、最後の年は絶対に区間賞を取りたいです。2年目、往路優勝のゴールテープを切った瞬間は今まで陸上をしてきた中でも最高の瞬間だったので、もう1度その気持ちを味わいたい、もう一度山の5区で勝負したいと思います」と力強く言い切る。

往路優勝のゴールテープを切ったのが「最高の瞬間」と思い返す飯田。またこの喜びを味わいたい(撮影・佐伯航平)

このときは國學院大の浦野雄平(当時4年、現富士通)が圧倒的な区間賞候補だと目されていたが、飯田は浦野の記録を上回る走りを披露した。「いま自分の走りを見返すと、フォームもブレブレで、よくのぼれたなと感じるぐらいでした。でもこの年は一番、年間を通して練習ができていました。夏合宿では月間1000km走るなど充実していたし、しっかり練習できたという自信もありました。走った距離は裏切らないし、僕はやったぶんだけ走れるタイプです。そこを意識して今も取り組もうとしています」。ただ、同じ練習量をこなそうとするとけがのリスクも高まり、少し弱気になりがちだとも明かす。「注意しながら、夏にしっかり練習できればと思っています」

頼もしいチームメートと目標に向かって

チーム内では、近藤幸太郎(3年、豊川工)が7月のホクレンディスタンスチャレンジ士別大会5000mで13分34秒88をマークするなど、飯田も「頭一つ抜けてる存在」と認める選手だ。「近藤は今年も必ずやってくれると思います。それから関カレのハーフで優勝した西久保は、僕と似たようなタイプ。練習量がすごくて、今年に入ってそれが結果に結びついてきて、10000mでも28分20秒台(4月24日の日体大記録会で28分21秒39)を出しました。間違いなく箱根駅伝には出走して、貢献してくれると思います」。八千代松陰高校の後輩、佐藤一世(2年)について聞くと「去年は途中、練習を抜けたりすることがある中でも箱根駅伝でしっかり4区を走れている(区間4位)のを見てました。今年は去年よりもしっかり練習を積めてると思います。彼もトラックより、ロードに強いと思います」と期待している。

走れば走るだけ強くなれる。秋に向けて充実した練習ができている(写真提供・青山学院大陸上部)

年初にはゲーム実況のYouTube配信にも挑戦した飯田。「簡単な編集でもすごく時間がかりました」と苦笑する。箱根駅伝後の取材なども少なくなる時期に、何か発信できたらいいなという気持ちもあったという。結果的にファンの人たちから「オフの姿を見られて嬉しい」といった声も届いた。「やってみてよかったのかなと思います」。こうしたことにOKを出す原晋監督はやはり、すごいですね……と思わず口にすると、飯田も「駅伝大会を作っちゃおうとか、いろんな分野のことも知っているし、イレギュラーな考えを持っている方だと思います。僕も影響を受けて柔軟な考え方を持てるようになりました」と笑う。

前半シーズンは駒澤大学の活躍が目立ったが、そこをどう攻略していくかが課題だとも口にした飯田。目標の学生駅伝三冠を達成するために、チームの先頭に立ってラストイヤーを駆け抜ける。

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