陸上・駅伝

特集:第97回箱根駅伝

往路12位の青学が総合4位 8区岩見秀哉「神林の分まで」諦めずに示したチームの絆

2年連続で8区を走った岩見(右)は笑顔で襷を託し、最後の箱根駅伝を終えた(撮影・松永早弥香)

第97回箱根駅伝 

1月2~3日@大手町~箱根の10区間217.1km
青山学院大学
総合4位 11時間1分16秒
往路12位 5時間35分43秒 
復路優勝 5時間25分33秒 

箱根駅伝連覇がかかっていた青山学院大学にとって、往路12位は想定外の結果だった。往路を終えた時点で原晋監督は「優勝というのはうそになる。確実にシード権(10位以内)をとりにいきたい」と話していた。しかし復路の選手たちは全員、区間4位以内の走りで襷(たすき)をつなぎ、総合4位まで順位をあげ、復路優勝を成し遂げた。

東海大・石原翔太郎、青学・佐藤一世……箱根駅伝往路を彩ったルーキーたちの思い

大会5日前に神林主将の疲労骨折が発覚

今シーズンの青学は、主将の神林勇太(4年、九州学院)が精神面でも競技面でもチームを支えてきた。昨年11月の全日本大学駅伝では7区区間賞の走りで首位に立ち、アンカーの吉田圭太(4年、世羅)に襷(たすき)をつないでいる。その全日本では4位に終わったが、自身の引退レースとなる最後の箱根駅伝では「こういう状況下の中ですけど、箱根駅伝優勝という大きな目標だけを追いかけ続けて頑張ってきた。必ず最後は笑って終われるように力を出し切る」と心に決めていた。

往路・復路・総合全てで「優勝」を掲げていた原監督は、往路で流れをつくるべく、全幅の信頼を寄せる神林を3区に配置する予定だった。しかし昨年12月28日、お尻あたりの仙骨に疲労骨折が発覚。最後の舞台に立てない苦しさを胸に、それでも主将として自分ができることを考え、神林は1月2日を迎えた。

吉田「本当に最低限の走り」

1区を任されたのは2年連続となる吉田だった。全日本ではアンカー勝負に敗れ、「1~7区の選手がかなりいい、約40秒の貯金で先頭でもってきてくれたんですが、僕の不甲斐ない走りで途中から離れてしまって優勝争いができず、4年生として本当に悔しいです」と口にしていた。吉田にとっても、箱根駅伝は「自分を成長させてもらった大会」という思いがある。悔いのないレースをしたい。その思いで駆け出した。

高速レースになった前回と異なり、今大会の1区は最初の1kmが3分30秒という超スローペースな展開になった。ハイペースでリズムよく刻んでいくのが得意な吉田にとっては苦手な展開ではあったが、流れを読みながらレースを進めた。六郷橋の下りから始まったラスト3kmのスプリント勝負で集団がばらけ、吉田はトップの法政大学と18秒差での6位で襷をつないだ。区間賞をとれなかったことに「本当に最低限の走り」と口にしたが、それでも「今の力は出せたのかなと思います」と自身最後の箱根駅伝を終えた。

2年連続で1区を任された吉田(左)は想定よりも遅いレース展開に苦しんだが、自分が持てる力を出し切った(撮影・北川直樹)

しかし、2区の中村唯翔(2年、流通経大柏)と3区の湯原慶吾(3年、水戸工)がともに区間14位と苦戦。中村は優勝を狙うチームの2区を走ることにプレッシャーもあったが、それでも自信を持ってスタートに立てたという。原監督から「集団についていくだけだから、ついていけ」と声をかけられ、集団の中でレースを進めたが、14km地点の権太坂の登りで消耗し、集団から離された。「チームのみんなに迷惑をかけてしまったなと思っています。これが自分の力。自分の力が他大学の選手に比べてなかった」と悔しさをもらした。

竹石、3度目の山登りで苦しむ

4区は当日変更でルーキーの佐藤一世(八千代松陰)が走り、順位を11位から10位にあげて襷リレー。単独走となったが、この1年、そのための練習も積めてきたという自負はあった。しかし区間賞を狙っていた中で区間4位の走りに悔いを残した。

5区を任されたのは自身3度目となる山登りに挑む竹石尚人(4年、鶴崎工)。前回はけがで、万全の状態で走れない自分よりも他のメンバーを走らせてほしいと原監督に申し出てメンバーから外れ、箱根路への思いから留年を決意。想定よりも後ろの10位で襷を受け取ったが、「チームの優勝に向けて少しでも前に」という思いを胸に、現役最後のレースに向かった。原監督も「1時間10分半、悪くても11分台」と期待し、竹石に託した。

しかし中盤以降、足が痙攣(けいれん)してしまい、思うように体が動かない。14km付近と15km付近で立ち止まってストレッチ。再び走り出したが、17km付近でまた足が止まった。ときおり顔をゆがませながら、最後は意地でゴール。記録は1時間15分59秒で区間17位。往路12位の結果を前にして、「結果が全てなので。思うようにいかなかったけど、明日の後輩たちを信じて、ゴールで待ちたいと思います」と無念さをにじませながら、自分ができる最大のことを考えていた。

竹石はラストレースの箱根駅伝に全てをかけてきたが、苦しいレースとなった(撮影・佐伯航平)

「僕たちの力はこんなもんじゃない」

原監督は復路の選手たちに、「プライドを忘れることなく攻めのレースをして、自分の能力を100%発揮できるレースプランで各区間を走ってほしい」と話し、復路優勝を掲げてレースに臨んだ。復路は8区の岩見秀哉(4年、須磨学園)以外、2~3年生という布陣。また、箱根駅伝経験者も岩見と9区の飯田貴之(3年、八千代松陰) の2人だけだった。岩見は神林から「やれることをやってこい」と言葉をかけられ、「神林の背中は大きくて……。神林の分まで頑張って、少しでも4年生としての姿を見せられたら」と思い描きながら、自身最後の箱根駅伝に臨んだ。

6区の髙橋勇輝(3年、長野日大)が区間3位の走りを見せ、10位で襷リレー。7区の近藤幸太郎(2年、豊川工)も区間3位と快走し、順位を7位まであげた。全日本大学駅伝では2区区間13位と苦しんだが、「(往路12位という結果に対し)逆にプレッシャーを感じることなく楽しく走れ、自分の役割を果たせました」と全日本の悔しさを晴らした。

全日本大学駅伝の悔しさを胸に近藤(左)は初の箱根駅伝に挑み、力を出し切った(撮影・北川直樹)

岩見、「復路優勝」を目指して2度目の8区へ

いい流れの中で襷を受け取った岩見は、復路優勝だけを見据えてスタートラインに立った。振り返ると自身初となった2年生での箱根駅伝では4区区間15位に沈み、青学は総合2位で5連覇を逃した。その責任から岩見は苦しんだ時期もあったが、チームメートの励ましを受け、気持ちを切らすことなく走り続けてきた。前回の箱根駅伝では8区を走り、区間記録保持者の東海大学・小松陽平(現・日立物流)が迫る中、区間2位で快走。今度は自分の走りで青学の優勝を引き寄せた。最後の箱根駅伝では神林や仲間の思いを背負い、自分のペースを刻んでいった。区間3位で5位まで追い上げ、飯田に笑顔で襷をつないだ。

飯田も区間2位の走りで4位に順位をあげ、アンカーの中倉啓敦(2年、愛知)へ。中倉は一度、3位を走る東洋大学の清野太雅(2年、喜多方)の前に出たが抜き返され、最後は4位でフィニッシュ。区間4位の結果に対しても勝ちきれなかった悔しさの方が大きかった。

吉田(右)は後輩たちに思いを託し、7区で付き添いをした後、アンカーの清野をゴールで出迎えた(撮影・藤井みさ)

原監督自身、往路12位の結果にモチベーションが下がってしまったところがあったと振り返る。しかし復路の選手たちは「僕たちの力はこんなもんじゃない」と原監督に発言し、気持ちを切らすことなく復路に臨んだ。

原監督が大会前に掲げた「絆大作戦」には、「この駅伝を通して青山学院全体の絆を結びつける走りを部員全員で行っていきたい」という思いが込められていた。チームを支えてきた神林が走れない痛手はあった。それでも仲間のために、この舞台を用意してくれた全ての人たちへ感謝の思いを胸に、最後まで諦めない走りを青学の選手たちは見せてくれた。

in Additionあわせて読みたい