アメフト

京都大学の廣田峻也 トレーナーからキッカーへ、チームのために蹴り込む

京都大学のキッカー廣田峻也。滝藤雅貴(19)との息もぴったり(撮影・全て笠川真一朗)

どんな場面でも冷静に。己を信じて楕円(だえん)球を蹴り込む。アメリカンフットボールのキッカーは、ボールを高く遠くに蹴るパワーと正確性が求められる。緊張感やプレッシャーに負けない強靭な精神力も必要不可欠だ。京都大学の廣田峻也(4年、旭丘)はキックでチームを支えるスペシャリスト。キッキングの場面で颯爽(さっそう)とフィールドに現れ、ボールを確実にポストの間に通して得点を奪う。チームの期待に一蹴りで応え、決して気持ちを緩めることなくすぐに次の出番に備える。

3本のFGで今季初勝利に貢献

今秋の京大は関西学生1部リーグのBブロックで3連敗を喫し、7年ぶりに2部との入れ替え戦に回ることが決まった。1974年の創部以来2度目。苦しい状況が続く中で迎えた11月14日の桃山学院大学(Aブロック4位)との7位決定戦。この日も苦戦を強いられる。

キッカーへの転向を打診されたのは、ほぼ1年前だ

京大は第1クオーター(Q)に7点を先制したが、第2Qに10点を奪われ、3点のビハインドで前半を折り返す。そして後半。第3Qに廣田の2本のフィールドゴール(FG)で6点を奪い13-10と一度は逆転したが、第4Qに相手キッカーにFGを決められ、試合は振り出しに戻った。簡単には勝たせてくれない。今秋の戦いぶりを表すような戦況だった。試合終了までは残り57秒。ゴールポストまでは23yd。ここで廣田がフィールドに現れる。「『これを決めたら勝ち』とかは気にせずに。ただただ距離と角度に向き合う」。右足を振り抜いた。ボールはゴールポストの間をスッと通り抜ける。勝ち越しのFGが決まった。16-13で試合終了。京大は今季初勝利を挙げ、1部7位に。27日に行われる2部2位の神戸学院大学との入れ替え戦に向かう。

3年生まではトレーナーとして活動

この日3本のFGを決め、チームの勝利に大きく貢献した廣田。実は3年生を終えるまでトレーナーとしてチームを支えてきた。高校時代はサッカー部に所属。MFとしてプレーしていたがけがに見舞われ、リハビリやトレーニングに関わる時間が多かった。「この経験を大学で生かせたらいいなと。強いチームに憧れを持っていましたし、『日本一を目指してる部活があるよ』という話も聞いて、アメフト部にトレーナーとして入部しました」

トレーナーでも選手でも。仲間のためにという気持ちは変わらない

自らの経験を生かし、トレーナーとして日本一を目指した。担当はストレングス。筋力トレーニングなどの管理・指導がメインだ。「最初はいろんな人とコミュニケーションを取ることに苦労しました。自分が1年生でも4年生のトレーニングを見たり。その中でどうやって壁を作らずに選手全員と向き合っていくかを考えました」。自分と同じようにけがに悩まされないよう選手の体をしっかり育てる。そのために選手としっかりコミュニケーションを取る。廣田は体について学び、仲間と連携をとりながら信頼を深めてきた。

そして3年生の10月、選手としてキッカーになった。それまでチームのエースキッカーを務めていたのは当時4年生の川勝瑞祥(旭丘)。後釜がいないというチーム事情があり、キッカー転向の打診を受けた。「もともと受け入れがちな性格なので、『いいえ』と言うことはなかったです。人生の中で言うと大きなイベントですけど、落ち着いてはいました。任されたことは何でもやりたいので」と1年前の大コンバートを笑いながら振り返った。

キッカーとしてたどり着いた考え

それからは高校時代と同じようにボールを蹴る日々が始まった。しかしあの頃のボールとは大きく異なる。「蹴る動作は身についていましたが、アメフトのボールに対しては全くの別物。そこにどうやってアジャストさせていくか。川勝君に教えてもらいながら練習しました」。廣田にとって新たな挑戦。決して甘い世界ではなかった。

「しんどい気持ちが8、9割でした。精神的に。キッカーとして短い期間でゼロから作り上げないといけない。代わりもいない。外したらいけない。決めなきゃいけない。そういうメンタリティーで練習していたので、最初はダメでしたね。自分が抱いている理想のプレーと現実のプレーのギャップがかけ離れていて苦しかったです」。壁にぶつかった。一冬の間、懸命に練習を重ねたが、春の試合でもうまく蹴ることができなかった。それでも逃げずに自分のキックと向き合い続ける。その過程の中での努力が廣田の気持ちに大きな変化をもたらした。

「メンタルが強くなったわけではありません。考え方が変わったんです。『完璧じゃなくていいや』と思えてきた。ああしなくちゃいけない、こうしなくちゃいけないと小さく狭く考えていることが自分を苦しめていることに気付きました。諦観(ていかん)じゃないですけど、『こうでよくねぇ?』と思うようになったら良い方向に向いていきました」。一生懸命に努力を重ねたからこそ、この考えにたどり着いた。

「常に落ち着いているわけでもなく、若干の緊張感を持ちながら。それが丁度いいと思っています。蹴る前にボールとホルダーと目の前の壁とポストを見る。後は何も考えずに蹴るだけです」。シンプルな考えでパフォーマンスは向上した。

そして廣田は最初で最後のリーグ戦で大躍進を遂げる。ゴールポストに目がけて蹴ったキックはこのリーグ戦では一度も外れることがなく、全て得点につながっている。あまり表情を出すタイプではないが、10月30日の同志社大戦で決めた45ydのFGでは自然とガッツポーズが出た。「秋1発目のキック(FG)で長い距離がきたので『まじか』と思いましたけど、決められて嬉(うれ)しかったです。でも自分ひとりでできることじゃない。みんなで獲(と)ってきた得点です」

スナッパー田中虎宇汰(右)らへの感謝も忘れない

仲間への感謝を忘れなかった。それには理由があった。純粋にキックだけに向き合えたのは仲間の存在が大きかったからだ。「3回生までトレーナーだった自分がプレーヤーとの溝や壁を感じなかったのは、同じ愛知県の高校から京大アメフト部に入ったスナッパーの田中(虎宇汰、4年、東海)とホルダーの滝藤(雅貴、4年、南山)のおかげです。ふわふわせずにプレーすることができました」。田中が滝藤にボールをスナップし、滝藤がそれをキャッチしてボールをセット。それを廣田が蹴り込む。フィールドに立ったその日から、お互いに気を遣うことなく対等に意見を交換してくれた二人が廣田の肩の荷を降ろした。「『ここに自分の居場所はあるんだな』と思えました。仲間に恵まれてます」

とりあえず、やってみる

活躍を見守る主務の室口弓子(4年、神戸国際)は「廣田は仕事人。それはトレーナーの頃からです。何も言わなくても勝手に何でもやってくれる。何も心配していません」。信頼の言葉を口にした。

裏方であっても、フィールドに立っても変わらない。それが廣田の魅力だ。「どんなことも食わず嫌いせずに、とりあえずやる。頭ごなしに『やらないです』とは絶対に言いません。やってみて、それからどう考えるか。それが大切です」。これは廣田が京大アメフト部で得た「考え方」という無形の財産だ。キッカーとしてフィールド上で戦っている今の現実を一年生の頃に想像していたかを問うと「想像できるわけがないです」と笑った。可能、不可能を考える前に「チームのために蹴る」という選択をし、求められた場所で過程を積み重ね、花を咲かせた。

黙々と出番を待つ

そんな廣田の学生最後の試合は負ければ2部降格となる入れ替え戦だ。それでも気持ちはブレない。「負けたら2部ですけど、僕はそこを考えません。考えないほうがいい。勝ち負けに囚(とら)われずに目の前のことをしっかりやるだけです」

京大の仕事人は最後までキッカーの役割をやり遂げる。自分のスタイルを貫いて。

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