バレー

特集:全日本バレー大学選手権2021

東海大・内山裕瑛、春高出場校のエースからマネージャーへ 日本一の夢は叶わなくても

内山(奥中央)は選手からマネージャーに転向し、ラストイヤーは主務としてチームを支えた(撮影・全て松永早弥香)

第74回 全日本大学男子選手権 準々決勝

12月3日
東海大学2(25-22.20-25.28-26.23-25.12-15)3中央大学

最後の最後まで、祈り続けた。ほとばしる思いを懸命に抑えながら、勝利のために何ができるか。東海大学のベンチでマネージャーの内山裕瑛(4年、水戸啓明)は最後の瞬間まで必死に考え、声をかけ続けながら「勝てる、大丈夫、勝つぞ」と何度も祈り、仲間を信じた。

2セットを先取し、第4セットも中盤までリードを奪いながら、追いつかれ、フルセットの末、勝利したのは中央大学。ゲームセットの笛が鳴り響く中、内山は人目をはばからず号泣した。

例えコートに立たずとも、ユニホーム姿ではなくても。込み上げる思いは同じか、それ以上。拭っても拭っても、涙は止まらない。そんな内山を小澤翔監督がそっと労(ねぎら)う。その目にまた、内山の涙が溢(あふ)れた。

東海大・新井雄大 勝ち切れなかった悔しさ、恩師・仲間の思いを胸にJT広島で戦う

「日本一になれる」東海大へ

県内の強豪チームを倒して、全国大会に出て優勝する。誰もが「無理だ」と笑うような夢を、内山は叶(かな)えた。全国優勝には手が届かなかったが、水戸啓明高校(茨城)では3年生の時に春高初出場。初戦を突破し、2回戦では全国を幾度も制した強豪・東福岡高校に勝利した。そして、エースとしての活躍を見た小澤監督に誘われ、東海大へ。

「他にも大学はあるけれど、間違いなく日本一になれる、日本一に近い大学から声をかけていただいて、自分がそこに入れることが本当に嬉(うれ)しかったです」

全国で名を馳(は)せた選手が集う大学で、自分の出番は回ってくるのだろうか。ユニホームを着られるのだろうか。当初は不安しかなかったが、入学間もない春、練習試合でメンバーに入り、リリーフサーバーとして試合に出場する機会を得た。「右も左も分からなかった」と振り返るが、それでも自分の取柄は何かと考えたら、やるべきことは明確だった。

「思いきりやること。サーブ、サーブレシーブ、レシーブが自分の武器だし、1つ上には新井(雄大、現・JTサンダーズ広島)さんがいる。得点は新井さんが獲ってくれるから、新井さんを活(い)かすために少しでも貢献したい、と必死でした」

「最善」を考え、選手からマネージャーへ

もっとうまくなりたい。もっと試合に出場したい。選手としてごく当たり前な欲望を抱き、練習に励む。地道な基本練習も手を抜かず、常に全力。だが、現実はどれだけ願っても叶えられる夢ばかりではない。練習試合だけでなく、春季リーグでも出場機会が与えられる中、左膝(ひざ)を負傷した。それでも試合に出られる機会があるのだから、と治療やリハビリに励みながら練習を重ねた結果、痛みは増すばかりで、学年が上がると満足いくプレーができなくなった。

選手を続けたいという思いもあった中、内山は迷った末にマネージャーになる決意をした

選手として続けるか。マネージャーや学生コーチなど、裏方に回るのか。気遣いや気配りができて、周りを鼓舞することもできる。内山の人間性を知る小澤監督から「マネージャーになってくれないか」と打診されたが、当然選手として活躍したい、という思いは消えない。約2カ月、迷いに迷った末、マネージャーを引き受けると決めた内山には覚悟があった。

「自分の膝やチーム状態を考えたらそれが最善だと思ったし、チームをまとめる存在が必要だと思いました。教員志望でもあったので、そういう未来を考えればマネージャーという経験もいい選択かもしれない。何より、求められる場所に進むこと自体がいい機会で、ありがたいことだと思って、自分とチームのために決断しました」

「選手でい続ければよかった」と思うこともあった

とはいえ、簡単なことばかりではない。選手としてコートに立ち、自分のプレーで表現し、結果に結びつけることを求めればよかった頃と違い、周りを動かさなければならない難しさを嫌というほど味わった。

「安部(翔大 4年、東福岡)も米村(恒輝 4年、東海大札幌)も自分が引っ張るタイプではなく、引っ張られてついていくタイプ。もっとこうしよう、やるぞ、と言ってもなかなかうまくいかなくて、自分1人で引っ張ることがつらいと思った時期もありました。正直に言えば、あのまま選手でい続ければよかった、と思うこともありました」

それでも、センターコートや日本一を目指しながらも届かず、涙する先輩の悔しさを「必ず晴らす」と誓った以上、諦めるわけにいかない。何度も発破をかけ、引っ張るだけでなく時には後ろから背を押し、同期やチームを盛り立てた。

同期の米村(左)などの性格を知った上で、内山は自分が引っ張る役目を買って出た

この2年、公式戦が軒並み中止になった。試合でトライ&エラーを繰り返しながら成長していくのが難しい中ではあったが、秋季リーグを終え、全日本インカレに向け、悔いを残さぬように。内山の言葉や姿勢に引っ張られた4年生が中心となり、少しずつチームが1つになっていく。全日本インカレの戦いは1つとして簡単なものはなかったが、劣勢でもひるまず、戦い続ける姿は頼もしく、だからこそ勝ちたかった。

「最後の試合も負けたのは悔しいですけど、安部も米村も、コートの中でやるべきことを全力でやって、優しすぎるぐらいのヤツなのに、自分にムチ打って周りを盛り上げる。その姿が見られただけで、託してよかったと思いました。僕たちは勝って終わることはできなかったですけど、後輩にはそれぞれの信念を貫いてほしい。我慢などせず、思ったことをまっすぐぶつかり合えるチームになってほしいです」

熱く、まっすぐ、仲間を信じて戦い続けた4年間は終わった。コートへ立つことは叶わず、例え記録に残らずとも、内山の残した思いはきっと、これからのチームへと受け継がれていくはずだ。

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