國學院大は箱根駅伝8位 前田康弘監督「新たなスタート、思いを継承して作り直す」
第98回箱根駅伝
1月2・3日@東京・大手町~箱根・芦ノ湖間往復の217.1km
國學院大學
総合8位(往路4位、復路13位)
箱根駅伝総合優勝。今シーズン、チーム史上初めて頂点を目標に掲げた國學院大學。ここまで戦力を整えてきたが、往路4位、復路13位と苦しみ総合8位でフィニッシュ。駅伝の難しさを改めて感じさせる結果となった。
直前に主力の故障が発覚
今シーズンの4年生は、主将の木付琳(4年、大分東明)を中心に、土方英和(現・Honda)が主将として箱根駅伝総合3位を成し遂げた2年前のチームを越えよう、もう1度インパクトを与えよう、と覚悟を持って取り組んできた。出雲駅伝はアンカーで一時単独2位となりながらの4位、全日本大学駅伝では過去最高順位の4位。全日本大学駅伝後にも質の高い練習が積めていたため、前田康弘監督にも優勝争いにからみ、総合3位以内に入れるのではないかという手応えがあった。
だがチームエントリー発表後、木付が左脚のアキレス腱を痛めてしまった。さらにアクシデントは続いた。2年連続山下りの6区を担当し、今シーズンは出雲、全日本と1区でスターターを務めた副将の島﨑慎愛(4年、藤岡中央)が12月に入ってから右ハムストリングに違和感を感じており、予定していた6区を回避せざるを得なかった。そのため1区にと考えていたが、区間エントリー後に再度足の痛みを訴えたため、予定していたオーダーを大幅に変更せざるを得なかったという。
1区から4区は「計画通り」のいい流れ
迎えた1月2日、1区は当日変更で藤木宏太(4年、北海道栄)。藤木はこれで4年連続の1区となった。6km付近での中央大学の吉居大和(2年、仙台育英)の飛び出しにはつかず、第2集団でレースを進めた。16kmすぎからのペースアップにも反応し、スパート合戦となったラストにも臆することなく、第2集団先頭の駒澤大学とは7秒差の6位で2区へと襷(たすき)をつないだ。
2区の伊地知賢造(2年、松山)は昨シーズンは期待されながらも力を発揮しきれなかったが、今シーズンは出雲駅伝5区区間2位、全日本大学駅伝アンカー8区区間賞など、実績を残してきた。前田監督も自信を持って送り出した実力の持ち主だ。伊地知は後ろから来た東京国際大学、国士舘大学、創価大学、山梨学院大学の留学生4人と、法政大学の鎌田航生(4年、法政二)、東洋大学の松山和希(2年、学法石川)には抜かれたが、粘りの走りを見せて10位で襷リレー。トップとの差は1分45秒、まだまだ往路優勝も射程圏内に入っていた。
3区はルーキーの山本歩夢(1年、自由が丘)。当初は山本は7区、木付を1区か3区と考え、その他の選手の仕上がりも見て区間を決めようと考えていた。しかし複数の主力のアクシデントで、山本を3区に配置。初の箱根路、ハーフマラソンの距離をレースで走ったことがなかった山本だったが、主要区間ながら堂々とした走りで、前を行く選手をぐんぐん抜き去った。6人を抜き4位での襷リレー。区間5位の力走に、前田監督は「練習通りの走りです」と評する。
4区は昨シーズンから主力としてチームの中心となっていた中西大翔(たいが、3年、金沢龍谷)。全日本大学駅伝では調子が合わず、3区区間11位と力を発揮できなかったが、2度目の箱根路は軽快な足取りで前との差を詰めていく。帝京大学を抜き、2位の東京国際大には9秒及ばなかったが、3位で5区の殿地琢朗(どんぢ、4年、益田清風)につないだ。
「山男」殿地、思うように体が動かず
殿地は昨年11月13日に箱根ターンパイクで開催された「激坂最速王決定戦」で、「3代目山の神」神野大地(セルソース)に次いで2位、学生1位となり、一躍注目度が高まった。本人の山に対する「愛」も大きく、区間エントリーが発表される前からすでに、殿地は5区エントリーがほぼ確定的になっていた。
襷を受け取ってすぐ前の東京国際大を捉えると、トップの青山学院大学に迫るかに見えた。しかし思うようにペースが上がらず、小涌園前(11.7km)手前では前回大会で区間賞を獲得した帝京大の細谷翔馬(4年、東北)にかわされる。さらに追い上げてきた駒澤大の金子伊吹(2年、藤沢翔陵)にも抜かれ、トップと3分43秒差の4位で芦ノ湖のゴールにたどり着いた。
殿地は「注目されているのもあったので、それなりの走りをしようと思っていました。でも前半で(体が)動かないなと感じてしまって、後半でかなりきつくなって、目標より1分遅くなってしまいました(1時間12分43秒)。悔しい気持ちのほうが強いです」と話した。後半10kmでは視界が狭まっていくような感じもあり、体に異常を感じていた。
前田監督は殿地について低血糖のような症状だったのではないかと話した。「1~4区は狙い通りのレースで、5区で勝負したいと思っていました。殿地は途中から足取りも悪くなって、心配していました。プレッシャーもあったのかなと。(走りきって)よくやったと言ってあげたいけど、そこが1分か1分半(詰めたかった)ですね」と悔しさをにじませた。
9区「勝負区間」で力見せた平林
翌日の復路、6区はルーキーの原秀寿(1年、新居浜東)が入ったが、下りのリズムに乗り切れず区間17位と出遅れ、順位を6位に落としてしまう。原から襷を受け取ったのは、木付だった。木付はレースの10日前には練習を再開できていた。しかし結果は無情にも、順位を5つ下げる結果となってしまった。
8区の石川航平(4年、日体大柏)は最初で最後の箱根駅伝。前を行く東洋大に追いつき並走する場面もあったが次第に離された。しかし大きく崩れることなく区間7位で走りきり、9区の平林清澄(1年、美方)へ。平林はルーキーながら出雲駅伝のアンカー6区で区間5位、全日本では7区で区間3位と好走。前田監督も9区を「復路の勝負区間」と考え、平林に任せた。淡々とペースを刻み、前に押していく、平林の持ち味である走りを存分に発揮し、前との差を徐々に詰めていく。5人を抜いて順位を5位に押し上げ、アンカーの相澤龍明(4年、藤沢翔陵)に襷が託された。
相澤もまた石川と同様、最初で最後の箱根駅伝。序盤で後ろから突っ込んできた東洋大、東京国際大に抜かれ、20km付近では創価大にも抜かれ苦しい表情になったが、なんとかシード権は守りきり、8位でフィニッシュ。相澤を出迎えたのは、同級生の木付と藤木だった。
もっと深さと強さを求めて
レース後、前田監督はチームの層の薄さに言及。「3番以内は見えてたんですけど……やはり直前でのトラブルに対応できる強さが足りませんでした」という。「ここからまた作り直しですね。一定の選手層はこれから作っていけると思います」。そして優勝した青山学院大に触れ、「なぜ選手があんなに高いレベルでたくさん育つのか。それにはトレーニング、治療も含めて、相当深いところまでいっているし、毎年一つひとつ進化していってるんだと思います。そこは見習わなきゃいけないし、僕ら指導者が『深さ』をもっともっと出していかないと、チームは変わらないと思います」と気を引き締める。
今回はルーキーの山本が3区区間5位、平林が9区区間2位と今後について明るい材料が見えた。そのことに話を向けると「山本、平林はまだ底を見せていません。それから同学年に複数人面白い選手もいます。チームとしての軸は見えてきているので、その軸をどう強化して、周りに肉付けしていくかだと思っています」。
新シーズンの主将は中西大翔、副将には伊地知と鈴木景仁(2年、國學院大栃木)が就くことが決まった。4年生たちが残したものを糧に、新しいチームへと襷はつながれていく。