「神戸へ帰った」オリックス、田口コーチの思い 震災から27年
プロ野球オリックスの田口壮コーチ(52)は昨年11月27日、特別な思いで一塁コーチスボックスに立った。
神戸に帰ってきた――。
ヤクルトとの日本シリーズ第6戦。新型コロナの影響でシリーズの日程が繰り下がり、京セラドーム大阪に別の予定があったため、かつての本拠地、ほっともっとフィールド神戸(神戸市須磨区)で行われた。
「震災を風化させないために、すごく重要な1試合だったなと思います。もう1試合、やりたかったですけどね」
試合中のふとした瞬間も、スタンドのファンに目が向いた。「みんな、元気かな」と考えている自分がいた。
試合は延長十二回までもつれた末に敗れた。四半世紀前にこの地でつかんだ日本一はならなかったが、深夜に及んだ激戦にファンは胸を熱くした。
昨年、オリックスは長い低迷期を脱し、連覇した1995、96年以来のパ・リーグ優勝を飾った。震災からの復興のシンボルとして、「がんばろう神戸」を合言葉に戦った強いチームを思い出させた。
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震災があった時、田口さんは25歳。入団3年目を終え、神戸市北区のマンションで暮らし始めたばかりだった。
「ドアを思いっきり閉めた時のような、ドーンという音が鳴って、跳び起きたんです。あの音と揺れは忘れられない」
今でもドアを強く閉める音には「ドキッとしてしまう」という。「死を感じたのはあれが最初で最後」ともいう。兵庫県西宮市の実家は半壊した。
当初は「野球をやっていていいのか」と思った。だが、球場には特別な雰囲気があったと振り返る。
震災がありながら、足を運んでくれるファンからは「生きるための希望を下さい」という思いを感じた。選手は必死のプレーで応えようとした。その結果が、リーグ連覇や96年の日本一につながったと信じる。
田口さんはその後、大リーグでも活躍。2度のワールドシリーズ制覇にも貢献したが、震災直後の神戸にあったファンとの一体感は、米国にもなかったという。「チームの勝ちを願う熱量を超えた、生きるんだという熱量ですね」
2016年から古巣の指導者になった。今は本拠が大阪に移り、新たに入団してくるのは震災後に生まれた選手ばかりになった。
「球団の歴史を知り、歴史を大切にしてほしい。そういう歴史があった球団でプレーすることを知ってほしいですね」
毎年1月17日、そうした思いで練習場に向かう。
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たぐち・そう 1969年生まれ。兵庫県西宮市出身。西宮北高から関学大を経て、92年にオリックス入団。好守の外野手として95、96年の連覇に貢献。2002年から大リーグで8年間プレーし、ワールドシリーズ制覇2度。オリックス復帰後、12年で引退。日米通算1894試合出場、1601安打。現在はオリックスの外野守備走塁コーチ。
(伊藤雅哉)=朝日新聞デジタル2022年01月17日掲載