陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2022

駒澤大の“鉄人”佃康平「嫌いだった陸上が楽しくなった」、努力と挑戦の4年間

佃(右)は唯一の4年生として今年の箱根駅伝を駆け抜けた(撮影・北川直樹)

今年の箱根駅伝で3位となった駒澤大学。今大会には2年生7人、3年生2人、4年生1人が出走している。2年生の学年は学生トップクラスの実力者が顔をそろえることから「華の世代」と称され、3年生には10000mの日本学生記録保持者で前主将の田澤廉(3年、青森山田)もいる。一方、4年生は「谷間の世代」などと言われ、悔しさを味わってきた。そうした逆境を乗り越え、唯一の4年生として箱根路を駆け抜けた佃康平(4年、市立船橋)は、ひたむきに努力を続ける姿から“鉄人”とも呼ばれてきた選手だ。

粘り強い性格と、粘り強い走り

「大きな大会の常連校で、自分の走りがどこまで通用するか試してみたかった」。2018年春、1年生だった佃は駒大に進学したきっかけを「挑戦」と答えた。本来は高校で陸上競技をやめようと考えていたが、自分の限界に挑戦するため、縁のあった駒澤大陸上部に入部を決意。座右の銘は「継続は力なり」。「実績などはないが、座右の銘通りに泥臭く練習を重ね、1年目から駅伝メンバーに入りたい」と目標を掲げた。

1年生での箱根駅伝予選会ではボードを作り、チームメートを応援した

初めての夏の強化合宿では、高校時代よりも走る距離がかなり増えたことで苦労したという。それでも「自分の限界を決めつけず、もっと上のレベルで練習したい」と、挑戦に対する高い意識が佃を成長させた。この合宿では、大八木弘明監督から調子のいい選手の1人として名前も挙がった。監督からも一目置かれ、目標達成に向けて順調かと思われた大学生活。しかし、佃が学生3大駅伝のメンバーに入るまでの道のりは、決して簡単なものではなかった。

「努力はすぐに実を結ばない」

2年生の時には箱根駅伝で学生駅伝初となるエントリーメンバー入りを果たしたが、出走はかなわなかった。3年生での出雲駅伝は新型コロナウイルスの影響で開催中止。全日本大学駅伝で駒澤大は6年ぶりに優勝を果たしたが、佃の学年から出走した選手は1人もいなかった。駅伝を走ることができなくても、監督に言われた「努力はすぐに実を結ばない」という言葉を胸に、泥臭く練習を重ねてきた。佃には粘り強く練習に取り組んだ努力の日々と、地道に磨きあげた強さがあった。

そして迎えた21年の箱根駅伝で、駒澤大は13年ぶりに悲願の総合優勝を果たす。その8区を区間4位で好走し、優勝に貢献したのが、3大駅伝初出走の佃だった。箱根駅伝には佃の学年から3人が出走。自分たちの学年以外のメンバーで優勝した全日本大学駅伝には悔しさも感じたが、箱根駅伝では学年としてやっと結果を出せたことがうれしかった。

3年生の時に佃(左)は箱根駅伝に初出場し、チームの総合優勝に貢献した(撮影・松永早弥香)

「自分たちの学年は実績がなく、なかなか結果も出なかった。1年生の頃からきついことを先輩方や監督に言われていて、いつか全員で見返してやろうと話していた。3年目で結果を出すことができて、他の同期にもやればできることを証明できた」

4年生としての自覚と責任

最上級生となった佃は、常に「4年生として」の意識を強く持っていた。4月には5000mの自己ベストを更新。関東インカレでは男子2部ハーフマラソンで7位入賞を果たし、充実したトラックシーズンを過ごした。

出雲駅伝を走ることはできなかったが、「もうひとつの出雲駅伝」と呼ばれている出雲市陸協記録会5000mに出場。駒澤大の他に創価大学や帝京大学の選手たちも走る中、トップでフィニッシュした。全日本大学駅伝は大八木監督や田澤とともに区間配置を考えた。チーム状況や一人ひとりの調子の良し悪しを話した上で、大事な区間である3区を4年生として任せてもらった。

時には「練習の時点から後輩たちを引っ張るように心がけているが、自分たちの代はあまり実力がないので、なかなか難しい」と悩みを吐露することもあった。それでも、チームに貢献したいという気持ちと、監督やチームメート、支えてくれた両親に感謝の気持ちを持って走りたいという気持ちが原動力となり、頑張ることができた。

佃はこの舞台に立てなかった同期の思いも胸に、ラストレースに臨んだ(撮影・佐伯航平)

箱根駅伝では希望区間を5区か8区と明かしていたが、当日出走したのは6区。その背景を尋ねると、「6区の候補の選手たちの調子があまり良くなく、チーム状況もかつかつだった。でも、自分が任された区間がどこだとしても区間賞を狙う走りをすると決めていた。それが5区でも6区でも、8区でもいけるような準備をずっとしていた」という。最後の箱根路での走りは「その日出せる100%を出せたので悔いはない」と晴れやかに語った。

嫌いだった陸上が楽しくなった

「もともと、本当は全然陸上が好きじゃなくて。嫌いだったんですけど……」。佃は大学4年間を振り返って、冗談めかして明るく笑いながら語り始めた。

「駒大に入学した当初は、陸上としての競技力も、人間としての人間力もなくて、何も持たずに入ってきた。それでも2、3、4年生となるにつれて競技力がついてきて、人間性も成長して、3年目では箱根で優勝する経験ができた。ずっと充実していたわけではないが、全体を通して見たら充実した4年間だったと思う。陸上人生としては、最初は陸上が好きではなくてやらされていたが、走っているうちに楽しくなった。続けさせてくれた人たちには本当に感謝している」

以下は、同期や後輩、応援してくれたたくさんの人々へ、佃からのメッセージだ。

同期へ
今いる4年生はずっと支え合いながら1年生の時からやってきた。実績がなく、なかなか結果も出なかったが、それでもチームのために4年生として走らないといけない苦しい状況が続いた。みんなで手を取り合って最後の箱根までたどり着き、終えることができた。4年間ありがとうございました。

後輩たちへ
自分たちがいなくなったとしても十分戦っていける。来年度以降は今年度達成できなかった3冠を達成してほしい。もっともっと一人ひとりが意識を高く持って、目標を常に見据えてやっていかないと、今年度分かったようにそう甘くはない。意識を高めて、チームを一つにしていってほしい。

ファンの方々へ
自分たちがそんなに強くない世代という中でもずっと応援してくれて、箱根でも自分の走る姿を見せることができて良かったです。4年間、応援し続けてくれてありがとうございました。

実りの多い大学4年間だった(写真提供・駒澤大学陸上競技部)

大学卒業と同時に、佃は陸上競技を引退する。新たなステージに進む佃に対して、これからの活躍と幸せを祈る気持ちの中に、もうあの走りを見ることはできないという少しの寂しさもある。しかし、泥臭く努力を重ねてきた佃の姿は、そばで見てきたチームメートが一番よく知っている。「継続は力なり」。その言葉が示す本物の価値は、確かに後輩たちに受け継がれていく。

たくさんの人の心を震わせ、勇気づける走りをしてきた、駒澤大学陸上部の“鉄人”。佃康平は、きっと新たな場所でも、粘り強く挑戦を続けていくだろう。

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