ラグビー

特集:駆け抜けた4years.2022

東洋大学・松田新之介主将 1部を追い続けた4年間、29年ぶりにつかんだ昇格切符

関東大学リーグ戦1部復帰を決めた東洋大学。だるまを抱える松田新之介主将が引っ張った(写真は全てラグビー部提供)

2021年12月、関東大学ラグビーリーグ戦の1、2部入れ替え戦で29年ぶりの1部復帰を決めた東洋大学。そのチームを率いた主将は、PR(プロップ)松田新之介(4年、日向)であった。20年度は2部で優勝したが、入れ替え戦は中止。自身の「1部リーグで戦う」という夢は叶(かな)わなかった。しかしながら、涙をのんだ先輩、先がある後輩のためにも戦い抜いたラストイヤー。7年間のラグビー人生で、最も苦労し、最も喜んだ、そんな主将としての1年だった。

高みを目指し、ラグビーの世界へ

7年前、宮崎県立日向高校に入学。宮崎県内ではラグビーの強豪としても知られるが、ラグビーをするために選んだわけではなかった。小、中学校とプレーしていたのはバレーボール。ラグビーに関しては、ルールどころか、そのスポーツ自体もよく理解しておらず、縁遠い競技の1つだった。しかし、松田は「せっかくならレベルの高い競技がしたい」と、ラグビー部への入部を決意。こうして、高校からの競技人生が幕を開けることになった。

高校からラグビーを始め、大学で初めて主将を任された

松田のような初心者がいれば、小学生からプレーしている経験者も。日向高のラグビー部は半々だった。やはり経験の差は大きく、ユニホームをもらえない1年を過ごす。このことが「悔しかった」と松田。「ラグビーは根性論というところがある」と言うように、ひたすら走ったり、相手にひるまずぶつかっていったり、強い気持ちで経験者に追いつこうとした。

2年生に上がると、努力の結果が「ユニホームをもらう」という形で表れてくるようになる。さらに成長を見せていく松田だったが、チームとしては、目標としていた高鍋高を前に勝ち星を挙げられず、その先の全国大会へ進むことができなかった。しかし、ここでの悔しさが大学へとつながる原動力になっていく。ラグビーを続ける選択肢には九州の大学もあったが、監督と一緒に見に行った東洋大から声がかかった。宮崎の延岡星雲高出身で1学年上のSH(スクラムハーフ)高橋太一(現・三菱重工相模原ダイナボアーズ)も所属していた東洋大に、「宮崎県でも優秀な選手だった太一さんと一緒にプレーできるせっかくのチャンス」と、入学を決めた。

進学して痛感した高き壁

当時、東洋大は関東大学リーグ戦の2部。実に24年もの間、1部の舞台から遠ざかっていた。その中で入学した松田の目標は「1部リーグへの昇格」。やはり「ラグビーの聖地・秩父宮ラグビー場でプレーしたい」という思いがあった。しかし、大学ラグビーのレベルの高さ、選手のパワーの強さを痛感。1年生のときは、ひたすら食べて、筋トレをするなど、体重や筋力をつけることに励んだ。一方、チームは20年ぶりに1、2部入れ替え戦へ進んだが、2部残留。個人としてもより努力をしなければ、1部には昇格できないと感じた。

2年生になると、リザーブとしてベンチ入りする試合もあった。しかし、同ポジションの先輩が負傷した際に出場する程度で、そこまでの信頼は置かれていなかった。松田も「暗黒時代」と表現したように、スタメンほどの実力はなく、伸び悩んだ1年だったという。また、ポジションによっては1、2年生から出場していた選手もおり、「自分も負けていられない」という気持ちになった。

新型コロナに奪われた舞台

松田にとって大学ラグビーの折り返し。残された時間が多くない中、思いもよらぬ事態に直面する。新型コロナウイルス感染症の感染拡大。東洋大ラグビー部に限った話ではないが、20年4月、寮は閉鎖、実家への帰宅命令がなされた。8月までの4カ月間、全体での活動は許されず、個人的にトレーニングを続ける日々。「そんなに長い間ラグビーをしないのは初めて」という心配と同時に、「ラグビーができるのは当たり前ではない」と、改めて感謝の気持ちを持つきっかけにもなった。

ようやく活動が再開され、秋のリーグ戦は日程や対戦方式に変更があったものの開幕。その初戦で、松田はスタートメンバーとして出場を果たすことになる。「(リザーブの時とは)違った緊張があったが、いい弾みになった」と、自信につながる内容だった。チームとしても後半にかけて接戦をものにし、22年ぶりの2部リーグ優勝。目標の1部まであと1勝にせまり、入れ替え戦を見据えていた。

しかし、新型コロナの影響による入れ替え戦の中止。告げられたのは、優勝が決まって1週間後のことだった。突如として奪われた舞台に、松田は「虚無感というか、行き場のない悲しみがあった」と振り返る。当時の4年生としては、思いがけない形での引退。涙を流していたという。また、それは同時に、3年生が在学中に1部でプレーできないということも意味していた。松田の夢も叶わぬものとなってしまったが、それでも「後輩たちには1部でプレーさせてあげたい」と、ラストイヤーにかける気持ちは切らさなかった。

主将として1部に導く

新チームになる上で、福永昇三監督をはじめスタッフ陣から主将に推薦された松田。これまで役職に就いた経験はなく、「自分がやっていいのか」と、不安は大きかった。しかし、電話でコーチに相談を重ね、「選んでいただいた以上、自分のチームを作りたい」という思いになった。福永監督からの「新之介らしい色のチームに」という言葉。なかなか答えは見つからなかったというが、主将を終えて、「常に厳しく、気を張っているキャプテンではなく、言葉で鼓舞していくこと」、「過去の自分を照らし合わせたり、同じ目線に立ったりして指導すること」を大切にしたと振り返る。

昨年度の4年生の思いも背負って、目指した1部昇格。これまで2部リーグの上位を争ってきた立正大に敗れたものの、2位で終えた。ここでの1敗が心残りだというが、チームの団結につながり、入れ替え戦へと進む。昨年度は迎えられなかった前日、試合に出場できない4年生メンバーが、アニメ「イナズマイレブン」の『勝って泣こうぜ』の音楽に合わせた動画を送ってくれたという。それをふまえ、松田は「笑っても泣いても最後だから、勝って泣こうぜ」と言葉をかけた。

20年度は2部で優勝したが入れ替え戦はなくなり、その思いもぶうけた

運命の入れ替え戦。東洋大は先制の2トライで勢いに乗ったが、一時、逆転を許す。再リードして迎えた後半30分、自陣でのせめぎ合いが5分も続いた。少しでも押し込まれれば、昇格が遠のく状況だったが、「あのときのメンタル的には、どんなに来られてもトライされないという自信があった」と、見事に耐え抜く。ボールを取り返すと、最後は、松田がボールを持ち込み、SO土橋郁矢(3年、黒沢尻工)が蹴り出した。その瞬間を「もう忘れられない」とかみしめる。

「感謝」を抱いて、前へ

派手にはできなかったが、祝勝会も開かれ、キャプテンとして最後に感謝の思いを伝えた。それは、今回のインタビューでも変わらない。4年間を振り返り、「いい仲間を持ったというのが第一」とひと言。また、一緒に引っ張ってくれた同期、大学までラグビーを続けさせてくれた両親にも「感謝しかない」と思いを口にした。そして、来年度から1部リーグで戦う後輩には「当たって砕けろ東洋大ラグビー部!」とメッセージも忘れない。

卒業後、ラグビーは一段落だという。いったん競技からは離れるが、「機会があれば、自分が学んできたことを還元したい」と話す。ここまで高校、大学と約7年、走り続けてきた。ラグビーというスポーツの大変さも、楽しさも、学ぶことの多さも分かったからこそ、選ぶ道であろう。その中で、「続けたい」と口にする場面もあった。東洋大ラグビー部の歴史を動かした主将・松田。再びラグビーに関わる日は、そう遠くないかもしれない。

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