陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2022

中大・三浦拓朗×早大・中谷雄飛 99年世代、名門エースの“等身大の素顔”

99年世代の同期、(左から)三浦と中谷

「緊張しますね(笑)」

そんな一言からスタートした同期の対談インタビュー。1999年生まれ、高校から大学と各校のエースとしてしのぎを削った中央大学の三浦拓朗(4年、西脇工)と早稲田大学の中谷雄飛(4年、佐久長聖)。ライバルとして、そして仲間として戦ってきた両雄は今春、実業団へと駒を進める。

そんな世代トップをひた走る両選手の仲を探ると、互いに対するリスペクトや関係の深さがうかがえた。高校時代の出会いから、名門のエースを務めた大学時代、そして今後見据えるものまで。今、考えていることとは。時折ユーモアを交えつつも真剣にたっぷりと語ってもらった。〈聞き手・及川知世(早稲田スポーツ新聞会)、杉浦瑛俊(中大スポーツ新聞部)〉

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他己紹介 「見た目がかわいいじゃないですか」

──まずはそれぞれの他己紹介をお願いします。

中谷:緊張しますね(笑)。拓朗とは高校時代から仲良くさせてもらっていて、当時から力がある選手で、正直後ろからいつやられるかというのを感じながら走っていたので、プレッシャーをかけられているなと常に感じていた選手の1人かなと思います。大学に入ってからは世界ジュニア(2018年・フィンランド)などで一緒に遠征やレースを走ることが多くなって、より負けたくないなというような意識が芽生えたと感じています。大学では直接対決というのはそこまで多くなかったのですが、関東インカレとか含めて負けていることが多く、もっともっと自分自身頑張らなきゃいけないなと思わせてくれた選手だと思っています。本当にみなさんが知っている通り、中大のエースとして走っていた選手なので、僕はすごくいろいろな部分で刺激を受けたり、学ぶことが多いなと感じていました。

三浦には「頑張らなきゃいけないと思わせてくれた」と中谷

三浦:中谷は高校時代から佐久長聖で活躍している選手で、自分たちの学年のトップを走っていて、速さだけではなく強さも持ち合わせている選手だと思っています。大学に入ってからは、中谷が故障とか調子が悪い時に何度か勝たせていただいたのですが、ちゃんとした状態で勝負となったら全然勝てない強い選手で、今までは「ライバルは誰ですか」と聞かれた時に「中谷です!」と答えていたんですけど、その実力も差が付き始めて簡単には言えないような感じになってきました。陸上ではしっかりしてそうなんですけど、普段だとちょっと抜けているというか、おっちょこちょいなところがあって(笑)。一緒にいて楽しいですね。

──競技面以外では三浦選手はどんな方でしょうか。

中谷:なんか、かわいいですよね(笑)。見た目がかわいいじゃないですか。本当に優しくて、ノリも良くてみたいな。性格の良さが顔に出ていると思います。

三浦:(笑)。

中谷とは「一緒にいて楽しいですね」と話す三浦

合宿で急接近 「そこから結構仲良くなりました」

2017年3月。高校2年生での伊那駅伝はともに2区で出場した。結果は中谷が区間賞、三浦が区間2位。チームとしても佐久長聖高校(長野)が9年ぶりの優勝で、西脇工高校(兵庫)が準優勝であった。その1年後、高校3年生での都道府県駅伝でも再び同区間で対決することになったが、三浦はその時のことが強く印象に残っているという。

──出会ったきっかけは。

中谷:初めてしゃべったのは伊那駅伝だと思っています、僕は。

三浦:えっ、伊那駅伝?

中谷:伊那駅伝の2区を走って、僕が話しかけたかなんかだったんですよ、確か。

三浦:そうそう、そうでしたね。

中谷:高校3年生に上がる前だったと思います。

──その前から認識はしていましたか。

中谷・三浦:そうですね。

──話始めてから仲良くなるまで早かったですか。

三浦:その次にあったインターハイの後の、なんやったっけ。

中谷:陸連の合宿だっけ。

三浦:そうそう。その合宿から結構仲良くなりましたね。

──地元も高校も違いますが、どのように意識をしていましたか。

中谷:高校時代に先生から、試合とか駅伝ではこういう選手がいるから、という風に言われていた部分もあったので、そういうところで名前を知って意識をし始めたという感じですかね。

三浦:自分は雑誌とか記事とかで「中谷雄飛」とよく見ていたので、一緒に走れる時は光栄だなと思いながら走っていました。

──直接対決や同じ大会で印象に残っているものはありますか。

中谷:僕はアジアジュニア(2018年・岐阜)とかは結構印象に残っています。一緒に10000mに出たので。

──国際大会ですと前後で過ごす時間も長いですか。

中谷:そうですね。

三浦:同じ部屋でした。

──三浦選手は印象に残っている対決や同じ大会はありますか。

三浦:高校3年の時の都道府県駅伝(2018年・5区)ですかね。直接隣で戦っていたわけではないんですけど、自分が区間賞ペースで走っていて。通過の秒数が中谷よりリードしていたんですけど、ラスト1kmで余裕で自分より20秒くらい早く中谷がゴールしていたので、やっぱり強い選手だなと認識した大会がそれでしたね。

──秒数は走っている途中に把握できていたんですか。

三浦:そうですね。監督が「おい、中谷に何秒勝っているぞ」とかすごく言ってくれていて。苦しいながらも中谷に勝ちたいと思いながら走っていたんですけど、結局ラスト1km。というか、本当に800mとか500mとかで30~40秒まくられたので、それはやっぱりすごいなと思いましたね。

18年の都道府県駅伝での一枚。左から半澤(現・早稲田大)、中谷、千明(現・早稲田大)、三浦(写真は本人提供)

──三浦選手はそうおっしゃっていますが、中谷選手はその時、意識していましたか。

中谷:いや、今初めて知りました(笑)。

三浦:中谷が故障明けで走ると言っていたので、勝てるなと思っていたんですけど(笑)。全然だめでした。

中谷:思ったよりタイムが伸びていなくて、区間賞はちょっと無理かなというのは正直あって。最初にチームの関係者に「三浦何秒でしたか」って僕が聞いたのは覚えています。

三浦:(笑)。

共通点は強豪校エースの宿命

高校卒業時点での5000mの自己記録は、中谷が13分47秒22で三浦が13分57秒04。全国屈指の名門校でチームをけん引した両選手には、「エース」という立場で重なるものがあった。

──競技面でここが共通点だと感じる部分はありますか。

三浦:やっぱり、佐久長聖と西脇工業ということで、強豪校というか、周りから期待されている学校で走ってきたエース的存在というのが共通点じゃないかなと感じました。

──それを感じる瞬間というのは。

三浦:寮生活の話とか練習の雰囲気とかは似たようなところがあるなと思いました。

──それは中谷選手も感じていた部分ですか。

中谷:そうですね。なんというか、それぞれの県でのチームの立ち位置とかも同じだったと思いますし、チームの中でエースと呼ばれる部分でも一緒だったので、レースとか、監督の指導とか、何を言われたとか、そういう部分では結構共感できるというか。確かにそういうのあるわ、というのはたくさんあったと思いますね。

──競技面での共通点を挙げていただきましたが、プライベートなどで共通の好きなものだったり趣味だったりというのはありますか。

中谷:うーん、なんだろう。でもカラオケとかボウリングは行ったことありますよ。

三浦:えっ、カラオケ行ったことあるっけ。

中谷:あったよ。関東インカレの時だよ。関東インカレの夜に。

三浦:なんかボウリングしたな。確かに。

中谷:ラウンドワンかどこかで佐久長聖で遊んでいたら、西脇工業の集まりが来てみたいな。

三浦:そうそうそう(笑)。

──インカレ後に高校の同期と集まってというような。

中谷:そうですね。

──ちなみにカラオケは何を歌われましたか。

中谷:覚えてないですね(笑)。でもボウリングをめっちゃやったという覚えはあります。

──ボウリングはどちらが強かったですか。

中谷:たぶん三浦が。僕はそんなに得意ではないので。

三浦:僕もそんなに強くはないですね。

中谷:そこは、三浦が強いということにしておいてください。

三浦:じゃあ、自分が強いです(笑)。

レースの結果で刺激 「負けていられないな」

──走りのスタイルでお互いにうらやましいと思う部分はどこでしょうか。

中谷:三浦は結構きつい時に仕掛けるタイプなんですよ。なので、そういう相手がきつい時に仕掛けられるような走りができたらいいなというのを思っていたのと、大学に入ってからは僕がうまくいかなかったというか、勝負事のレースの時に結果を出せなかったということが多かったので、狙うところでの勝負強さというのはすごくうらやましいなと思ってずっと見ていました。

──その点、三浦選手は普段からレースで意識している部分ですか。

三浦:高校の時はしていたかもしれないんですけど、無意識のうちにやっていたので、今こうやって言われて改めて頑張らないといけないなと感じました。

──三浦選手は中谷選手のこの強さがほしいと思うところはどんなところでしょうか。

三浦:もう、全部ほしいですね。やっぱり前半も速くて、中盤も速くて、最後も速いという強さがあるので。特に最後の絞り出し方がすごくほしいですね。

──お互いのレースの結果は見ていたりしますか。

中谷:僕は結構見ている方ですよ。

──自分が出ていないレースでもですか。

中谷:SNSとかを介して情報が入ってくることが多いので、そういうのでよく見ています。

──そういった結果が刺激になったりしますか。

中谷:そうですね、もちろん。自分も頑張らないといけないな、負けていられないなというのはよく思います。

──三浦選手はいかがですか。

三浦:結構見ますね。自分の参加していない大会とか、早稲田の記録会とかで早稲田の選手が結果を出しているのを見ると、焦るというか、やばいなという風になりますね。

──大学時代を通してお互いをどういう風に位置づけていましたか。例えばライバルなのか、それともともに戦っていくような捉え方なのか。

中谷:僕はライバルという方が大きかったかもしれないですね。

三浦:自分は、ライバルは誰ですかという質問で、最初は「中谷」と即答していたんですけど、中谷に挑む前に倒していかなくてはいけない人たちが大学に入ってでてきてしまったので、大学では中谷は目標にする選手という位置付けでしたね。

早稲田と中央で、進路の決断

今年1月の箱根駅伝では中央大が6位となり10年ぶりにシード権を獲得。一方で、優勝を狙った早稲田大は総合13位で3年ぶりにシード権を逃すこととなった。両選手の話で、中央大と早稲田大でともに共通するのは「選手思いの監督」と「自分のやりたいことができる環境」である。進路を決める際の葛藤は、結果としてそれぞれにとって正しい選択であったに違いない。

──それぞれ、大学4年間を振り返っていかがでしたか。

中谷:本当に山あり谷ありという感じで、苦しいことが大きかった4年間だったかなという風に思います。うまくいかないことばかりで、高校時代の実績が取り上げられる部分もあって、うまくいかない時にプレッシャーをかけられたり、結果に対していろいろ言われることが多かったので、そういう部分では苦しかったというか、複雑な思いになることが多かった4年間だったかなと思います。

──その中で、早稲田で良かったなと思う場面はありましたか。

中谷:周りの同期に恵まれたなというのは思っていますし、特に監督は自分の意思を尊重して、他の大学ではやらせてくれないようなことをたくさんやらせてくれたので、そういう部分は早稲田でしかできないですし、早稲田で良かったなと思います。

ともに充実した4年間を過ごしたと振り返る(左から中谷、三浦、写真提供・中谷雄飛)

──三浦選手は中大での4年間を振り返っていかがでしたか。

三浦:年々強くなっていく4年間だったなと思いますね。高校から大学に上がる時に、早稲田か中大かですごく迷っていて。同じ理由になってしまうのですが、監督が自由というか選手思いで指導してくれるところがあったので、自分は中谷と対決するというところでも中大を選んだんですけど。中大の良さは監督を含め環境が整っているところですかね。

──早稲田と迷っていたというのは、中谷選手はご存知でしたか。

中谷:でも、早稲田に行きたいというような話はちょくちょく聞いていました。高校時代から。

──早稲田の同期には他にも強い選手がたくさんいますが、そういう流れもあったんですかね。

中谷:誰かを誘ったりというのはなくて、気付いたら自然と集まっていたという感じですね。本当に初めて「どこ行くの」って聞いて、「早稲田だよ」というような。それで「僕も早稲田なんだけど」というのが多かったですね。

──三浦選手は中大を選択した決め手は何でしたか。

三浦:同じ兵庫県でずっと戦ってきていた井上(大輝、中大)に「中大に一緒に行こうよ」と言われて決めました。

──中谷選手は早大を選んだ決め手はどこだったのでしょうか。

中谷:もともと僕は高校時代、早稲田と東海さんからしか声がかかっていなくて。大迫さん(傑、早大OB)のような選手になりたいというのが目標だったのと、あとは自主性を重んじてやらせてくれるチームだったので、早稲田にしたという感じです。

シード権の明暗、10年ぶりと3年ぶり

──今年の箱根駅伝について振り返っていただきます。お互いのチームの状況はどう見えていましたか、自分のチームと比較して感じたことはありましたか。

中谷:中大さんは1区から勢いに乗っていたので、今年の中央大学は一味違うんだなというのは実際に走りを見ていて思いました。また、結果として僕らより全然順位が上なので、そういったところで走りを見ていてすごいなと感じましたね。

──中谷選手はそう仰っていますが、三浦選手は内部にいた感覚としてはどうですか。

三浦:今年の中大は、結果を見て強かったというのもあるのですが、抜けがないというか。ほぼ万全な状態で全員が当日を迎えたので、そこが良かったのかなと思っています。

──早稲田の内部状況としてはいかがでしたか。

中谷:選手一人ひとりに目を向けると、脚に不安がある選手が主力でもいたり、自分も含め主力の調子が上がってこなかったりする選手が多く、チームの雰囲気も戦うぞというよりは、少し落ちていっているような感じだったので、やはり表向きには優勝と掲げていた部分があったのですが、僕は正直このままだと厳しいだろうな、というのは薄々感じていました。

中谷(左)は2区区間15位と苦しい走りになり、「ショックで言葉が見つからない」と振り返る(撮影・松永早弥香)

──お2人とも競技やそれ以外の面も含め、大学生活に悔いはありますか。

中谷:僕はもうありありですよ。思い描いていた通りのものができなかった部分があったので、もったいなかったなと思うことの方が多いです。

三浦:競技面では、まだまだ競技続けたいですしもっとこうしていたらな、と思うことはあるのですが、勉強が厳しいので早く卒業できるなら卒業したいかもしれないです(笑)。

──大学生活に関して、何かお互いから聞いた話で面白かった話はありますか。

三浦:中谷がスポーツ科学部にいるので、体育の授業の内容が本格的だというのはうらやましいなと思いました。ハードルの授業をするみたいなことを言っていて、自分たちはどちらかというとワイワイとやるような授業だったので、ハードルとかやってタイム計って、みたいな。そんなアクティブな授業なんだなというのはちょっとうらやましかったです。

──中谷選手はそのハードルの授業で競技に生きたことなどはありますか。

中谷:そんなにはないですけど(笑)。でも僕は結構他のスポーツが全然できないので、普段とは違う運動をやると刺激が入って、自分自身のスキルが上がったように勝手に感じていました。

──お2人はお互いのチーム内の話もよくしますか。

中谷:結構しますよ。愚痴とかするので(笑)。

──三浦選手はあまり愚痴とかは言わないですか。

三浦:いやいや、自分もしっかり漏れていますよ、しっかり(笑)。でも中谷は周りの速い選手、田澤(廉、駒澤大3年、青森山田)とかと仲がいいので、強い選手はそういう話してるんだ、というのが勉強になりますし、そっちの話聞くのはすごく楽しいです。

──それぞれの大学の新体制はどう見ていますか。

中谷:新チームにはとにかく駅伝でしっかり勝負できるチームになってほしいなと思います。去年の僕たちのチームは納得のいかない結果ばかりだったので、後輩たちには後悔することなく、力を精一杯出し切れるようにと。僕はそれだけを願ってOBという形になるのですが応援したいなと思っています。下の代は個性豊かな選手ばかりで、それぞれの強みを生かしたチームになればすごく面白いのではないかなと思っていますね。

三浦:自分たちがしっかり結果を残すことができたのは、下の代からの押し上げがあったからだと思っていて、今度はそこの代が主軸になってくるので、しっかり後輩たちを引っ張って新チームで頑張っていってほしいです。

──何か他にお互いのエピソードはあったりしますか。

中谷:コロナもあったので最後に会ったのがだいぶ前なんですよ。最後に会った時はお酒を飲んだ記憶があります(笑)。

三浦:そうですね、八王子まで来てもらって(笑)。

──そうなんですね。ちなみに次会えたら何がしたいですか。

三浦:みんなで集まってお酒飲んでしゃべりたいですね(笑)。一度だけ、99年度会というのをやったのですが、いろいろな話ができてそれがすごく楽しかったので、コロナが収まったらそういうのをもう一度開きたいなと思います。

──99年度会はどなたが企画したのですか。

三浦:半澤(黎斗、早稲田大4年、学法石川)とか千明(龍之佑、早稲田大4年、東農大二)とかがやってた気がするんですけど……。

中谷:半澤とか千明とかが企画をして、法政の松本(光太郎、4年、東農大二)が全部取り仕切っていましたね(笑)。

実業団で世界を目指す、結果で恩返しを

今春、両選手ともに大学を卒業し実業団で競技を続ける。三浦は大塚製薬、中谷はSGホールディングスへの入社が内定。ともに関西実業団陸上競技連盟所属となるため、再び同じ舞台で切磋琢磨(せっさたくま)することになる。

──お2人とも関西の実業団に進むということで、同じ地域で競技を続けることになりますが、そのことについてどう感じていますか。

中谷:関西地区ということで、駅伝でも地区予選から戦うことになるかなと思うので、僕はひたすら三浦を撃破するということだけを考えて走ろうかなと思っています(笑)。

三浦:関西は僕のホームなので、やっぱり負けてられないですね(笑)。

──実業団への意気込みをお聞かせください。

中谷:競技を続けることができる環境をいただいたことにまずは感謝して、しっかりチームに貢献したいなと思っています。特にニューイヤー駅伝では上位に入るというのを目標にしているチームなので、しっかり貢献して、入って何年後かに優勝できるようなチームになったらいいなと思っています。個人としても世界で戦いたいという目標があるので、種目は何になるか分からないですが世界に出ていって、しっかり勝負して日本人でも戦えるんだというのを見せられる選手になりたいなと思っています。

三浦:大塚製薬さんに行かせていただくので、全国の二日酔いの学生にOS-1を届けたいです。

中谷:(笑)。じゃあ俺のところにも送ってや。

三浦:送ります、送ります(笑)。真面目バージョンもあった方がいいですか?(笑)。

──お願いします(笑)。

三浦:中高大とお世話になってきた方々に、しっかり感謝の気持ちを込めて、日本を代表するような選手になって恩返しをしたいです。

「自分の仕事は果たせた」 と三浦(左)は箱根駅伝で3区区間7位の走りを見せ、順位を押し上げた(代表撮影)

──実業団で直接対決するならこの大会がいい!といった希望はありますか。

中谷:トラックだったら全日本実業団(対抗陸上競技選手権大会)とか、駅伝は(全日本実業団対抗駅伝競走大会)関西地区予選ですかね。

──お2人ともトラックがメインになっていくのですか。

中谷:トラックを軸にやっていく予定でいます。

三浦:はい、もうマラソンは走りたくないです(笑)。

──それぞれ、トラックでの具体的な目標はありますか。

中谷:僕は10000mになると思うので、27分30秒を切れるくらいになりたいなという目標があります。

三浦:自分は5000mと10000mになってくると思うので、13分20秒台と27分台を目標にまずは頑張っていきたいです。

「少しぎこちなくなってしまいました(笑)」

──最後に、お互いに対して言いたいことはありますか。

中谷:いつもはもうちょっと軽い感じなんですよ(笑)。こういう感じでやるのは久しぶりで、直接話すのも久しぶりなので、今日は少しぎこちなくなってしまいました(笑)。僕が1つずっと思っているのが、三浦が使っているTwitterのアイコン。あの写真、僕も本当は使いたかったんですよ。使いたかったんですけど、おそろいにしたらよくないかなと思って僕は別の写真にしたんです。三浦がいいって言うなら僕もあの写真にしようかなって思います。

三浦:全然、大丈夫ですけど、もう実業団に入るので中大のユニホームから変えた方がいいかなって。

18年11月の日体大記録会。三浦のTwitterアイコンでもある(左から中谷、三浦、写真提供・@k_7250)

──実業団バージョンを撮らないとですね。

:そうですね。いつか会えたら撮ってもらいます。

中谷:それにします(笑)。

──逆に三浦選手から中谷選手に言いたいことはありますか。

三浦:中谷は今(2月末の取材時)、実業団の方に行ってしっかり頑張っている中、自分は帰省中でぬくぬくさせてもらっているのですが、勝ちたいという気持ちはあるので、今まで通りしっかり中谷を目標にして頑張っていきたいです。

(協力:早稲田スポーツ新聞会)

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