中央大・三浦拓朗「自分たちが歴史を変える」 集大成の年も“楽しむ”気持ちを大切に
中央大学の藤原正和監督が「自分の走りで変えてやろうという気持ちが強い、エースらしいエース」と言うのが三浦拓朗(4年、西脇工)だ。1年生の時に10000mでアジアジュニアとU20世界選手権に出場し、世代を代表する選手として注目を集めてきたが、これまでの大学生活はけがなどの不調に悩まされることも多かった。そんな三浦はラストイヤー、「自分たちが歴史を変える」という思いで戦っている。
同じ兵庫の井上大輝と切磋琢磨
陸上を始めたのは中学生の時。「仲の良かった友達に誘われたから」と三浦は言い、長距離を選んだのも「仲のいい友達が多かったから」という理由だった。中3の時に全中に1500mと3000mで出場。ジュニアオリンピックでは3000mで決勝に進んだが、8分52秒63での14位に「周りにもっと強い選手がいて、自分は井の中の蛙(かわず)だったんだな」と思い知らされた。
全国で戦いたい。その思いから高校は地元・兵庫の強豪校である西脇工業高校に進んだ。その後、三浦は中央大でも寮生活となるが、「西脇で厳しい毎日を過ごしていたので、寮生活自体は大学の方が楽かもしれません」と言うほど、日常生活から徹底的に鍛えられた。高校時代に最も記憶に残っているレースは、インターハイ5000m決勝(12位、14分16秒58)ではなく、その翌9月に行われた日体大5000m記録会だという。1学年上の加藤淳(駒澤大~現・住友電工)が1年前にこのレースで13分台を出していたこともあり、三浦も13分台を目指して実業団選手や大学生に食らいつき、13分57秒04と自己ベストをマークした。
全国高校駅伝(都大路)は2年生の時に3区を走り、区間18位と苦しんだが、チームは6位入賞を果たした。「自分が足を引っ張ってしまった」という気持ちから最後の都大路にかけていたが、都大路につながる兵庫県高校駅伝で須磨学園高校に敗れ、都大路を逃した。そのレースで三浦は1区を走り、区間2位。区間賞は須磨学園の井上大輝(現・中央大4年)だったため、三浦の中では都大路は「井上に負けて逃した大会」という印象が強く残っている。井上とはレースで火花を散らす関係ではあったが普段から仲が良く、三浦は2人で競い合いながら上を目指したいという気持ちから、「一緒に中央に行こう」と井上を誘ったそうだ。
三浦が中央大への進学を決めたのは、西脇工業の先輩でもある藤原監督の存在が大きかった。「西脇がもっと厳しかった頃の選手なので、すごく厳しい方なんだろうなと思っていました」と三浦は言うが、実際に会ってみるとコミュニケーションを大切にしながら選手一人ひとりと向き合っているのを感じ、ここで強くなりたいという思いを強くした。
悩んだ末に箱根駅伝辞退、疲労回復に意識を向けて
前述の通り、三浦は中央大に入学した1年目に10000mでアジアジュニアとU20世界選手権を経験し、初めて日の丸を背負った。アジアジュニアでは30分55秒80で4位、U20世界選手権では30分12秒25で9位だった。「正直レースが始まる前は、あまり自分が日本を代表して走るという実感がなかったんですけど、スタートラインに立って隣にいろんな国の人がいるのを見て、初めて『自分は代表選手なんだな』という気持ちになりました。上位の方でゴールはできたんですけど、アジア以外の地域の選手が強くて、そこに実力差を感じました」。大学入学時に立てた目標は「学年トップになる」というものだったが、その1年目に世界を体験できたことで、段階を踏みながらその先を目指したいと思うようになったという。
三浦の学生3大駅伝デビューは2年生での箱根駅伝。1年生での箱根駅伝でもチャンスはあったが、悩んだ末、三浦は藤原監督に辞退を申し出たという。当時の三浦は疲労を溜(た)めこみやすい体質で、ピーキングが思うようにできていなかった。加えて箱根駅伝という大舞台だ。「普段から緊張すると体調が整わないタイプ」だったこともあり、無責任なレースはできないと強く感じた。
高校時代は監督から言われない限り、自分から率先してケアをすることはなかったという。「その状態で走り続けてきて、大学に入ってからボロが出たんだと思います」。その後は疲労回復のセルフケアも取り入れ、「1年生の頃から考えると、確実に回復力は上がっています」と三浦は言う。特に4年生になってからは疲労回復への意識から、練習後にたんぱく質を摂取するなど、食事の取り方も変えた。
2年生の時には箱根駅伝で3区を走り、区間12位。今年の箱根駅伝では往路を走る予定だったが、レース前に足を痛めてしまい、復路の8区にまわった。中央大は往路19位と想定よりも出遅れたが、三浦は襷(たすき)をつないでくれた仲間への感謝を胸に、自分の持てる力を全て出し切ろうと決めていた。三浦は前半からペースを上げて前を追い、区間7位の走りで17位から14位に順位を上げた。中央大は復路3位、総合12位だった。
「呪いのミサンガ」は「邪気を全部吸ってくれるミサンガ」に
自分たちの代が幹部となり、高校時代から切磋琢磨(せっさたくま)してきた井上が主将になった。「自分で抱え込みすぎず、自分たちの誰よりも考える力があり、外から自分たちを見ることができる人が井上だったので、僕も井上を主将に推薦しました」と三浦は言う。その一方で、三浦は日々の練習から先頭を引っ張ることで、井上を支え、チームを支えられたらと考えるようになった。
中央大は前半シーズン、6月19日の全日本大学駅伝関東地区選考会で3位以内に入り、9大会ぶりとなる伊勢路への切符をつかむことを最大目標にしていた。中央大は2012年大会を最後に、伊勢路から遠ざかっている。三浦が1年生だった18年は途中棄権者が出て敗退。19年は5位までが本戦出場となる中、中央大は5位の中央学院大学と約17秒差での6位だった。そして昨年は新型コロナウイルス感染症拡大を受けて選考会が実施されず、19年の持ち記録に基づいて7校を選び、中央大は7位だった城西大学と7秒差での8位だった。
特に19年の選考会には三浦も各校のエースがそろう最終4組目に出走。自分の走りで伊勢路が決まるという中で、三浦は同期の森凪也(現4年、福大大濠)と出走し、森は29分09秒57で15着、三浦は29分36秒84で20着だった。約17秒差での次点に、三浦は「自分がもう少し走れていたら……」と涙を流した。
悔しい思いが続く選考会に、三浦は「呪われているんじゃないか?」と思うことはあったが、「いろんな選手から『全日本は3大駅伝の中で一番楽しい』と聞いていたので、やっぱり出たいなと思ったし、自分たちの代で流れを変えたいと思っていました」と最後の挑戦となる今年にかけていた。6月1~9日には選考会を走るメンバーだけで菅平合宿を実施し、心身ともに万全の状態でレースに臨むことができた。
三浦は右腕にミサンガを巻き、スタートラインに立った。このミサンガは今年の箱根駅伝前に昨シーズンの主将だった池田勘汰(中国電力)が、箱根駅伝を走る全メンバーのために編んだものだ。しかし結果は総合12位。悪い流れをここで断ち切りたい。「全部邪気を吸ってくれ!」とミサンガに思いを託した。三浦は第2集団を引っ張る積極的なレースを展開しながら、28分58秒51で13着につけた。7位までが本戦に進む中、中央大は5位に入り、9大会ぶり28回目となる本戦出場をつかんだ。「池田さんは『呪いのミサンガを作り出してしまった』と言っていましたけど、今は逆に『邪気を全部吸ってくれるミサンガ』と言っています」と笑顔で明かす。これからも大事なレースの時には巻く予定だ。
田母神さんのような影響力のある選手になる
今年は10月23日に箱根駅伝予選会、その2週間後の11月7日に全日本大学駅伝がある。「箱根駅伝予選会は通ることが大前提。チームには吉居(大和、2年、仙台育英)や森など頼れるエースがいるけど、そこに頼りすぎず自分もエースの走りをしたいです」と三浦は言い切る。夏合宿ではどちらのレースにも対応できるよう、リカバリーを意識しながらトレーニングを積んでいる。特に経験者がいない全日本大学駅伝では楽しむ気持ちを忘れず、この舞台に挑めなかった先輩たちの思いも胸に、シード権獲得(8位以内)を目指す。箱根駅伝も含めて三浦は特に希望する区間はないと言うが、エースとして自分がチームに果たすべき役割を心得ている。
駅伝に向けて走り込んでいる中ではあるが、9月17日からの日本インカレにも出場する予定だ。学生のうちに5000mでは13分40秒切り(自己ベストは13分41秒05)、10000mでは27分台(自己ベストは28分20秒13)を目指す。高校時代を振り返ると、トラックでは中谷雄飛(早稲田大4年、佐久長聖)と競い合ってきたが、「勝った試合はほとんどないんですよ」と苦笑い。そんな中谷は「三浦は強い」と言ってくれるという。中谷は大学に進み、5000mは13分39秒21、10000mは27分54秒06と更に記録を伸ばしている。「今年は同じ27分台を出して、『中谷も強いよ』と上から言ってみたいです」と三浦は野心を燃やす。
三浦が陸上人生を通じて目指しているのは、多くの人々に影響を与えられる人になること。「大迫さん(傑、Nike)や中大OBの田母神さん(一喜、阿見AC)はSNSやYoutubeなどを通じて自分の経験や思いを発信していますし、自分もそのぐらい大きな存在になって影響を与えられるような選手になりたいです」。特に2学年上の田母神は学生だった時から間近にその姿を見てきた選手だが、「その時から自分で楽しめる方向に持っていって、すごく楽しみながら陸上をしているなと思っていました」と話す。
結果を追い求めながら、その過程も大切にする。中央大の変革期にいる自分たちだからこそ、できることがある。三浦はワクワクしながら、9大会ぶりとなる全日本大学駅伝を待ちわびている。