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特集:あの夏があったから2022~甲子園の記憶

青山学院大・中西聖輝 甲子園優勝の瞬間、歓喜の輪作らず 中谷監督の言葉に共感

昨夏の甲子園優勝投手は、青山学院大学からのプロ入りをめざす(撮影・矢崎良一)

第104回全国高校野球選手権大会は、いよいよ決勝です。4years.では昨年2年ぶりに開催された舞台に立ち、その後、大学野球の道に進んだ1年生の選手たちに、高校時代のことや今の野球につながっていることを聞きました。「あの夏があったから2022~甲子園の記憶」と題して、大会の期間中にお届けしています。最終回は昨夏の優勝投手・青山学院大学の中西聖輝(智弁和歌山)に振り返ってもらいました。

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「夏の甲子園優勝」から逆算したチーム作り

智弁和歌山は毎年、夏の甲子園優勝から逆算してチームを作り上げる。今年の夏のように初戦で敗れる年もあれば、出場を逃がす年もあるが、どの世代も甲子園優勝というゴールから引かれたルートの上を走っていることに変わりはない。

投手起用では、複数の投手による継投策を用いることが多いが、優勝を決めた瞬間にマウンドに立っていたのは、どの年も一番信頼する大黒柱だった。エースをそこにどれだけ万全な状態で送り出せるか。イコール、チームが一番強い状態でゴールを迎えられるかを常に考えている。

中西は、春夏合わせて4度目の甲子園優勝に輝いた昨年のチームで背番号1を背負い、最後のマウンドを託された。「ケツ(試合終盤)に行くにつれて番号の大きい投手が出て来てしまったら、野手も不安になるじゃないですか」と、エースとしての強い自負を持っていた。

昨年のチームにおける逆算のスタート地点は、どこだったのだろう?

智弁学園との「兄弟校対決」となった昨夏の甲子園決勝で力投する中西(撮影・田辺拓也)

市和歌山に3連敗し「自分たちは強くない」

オフシーズンの12月、イチローさんがグラウンドを訪れ、臨時コーチとして指導したことが大きな話題になった。甲子園出場、優勝など、チームは事あるごとに「イチロー効果」と取り上げられた。もちろん選手一人ひとりが大きな影響を受けたことは事実。夏の和歌山大会決勝では、イチローさんが強く意識付けした走塁を駆使して、試合を決める大事な得点を奪っている。

ただ「チームとしては、そこから始まったというわけではありません」と中西は言う。

新チームがスタートした秋、小園健太(現・横浜DeNAベイスターズ)、松川虎生(現・千葉ロッテマリーンズ)のバッテリーを擁する市和歌山に、新人戦準決勝、県大会準決勝、近畿大会の準々決勝で3連敗。特に近畿大会は4安打で、0-2の完封負けを喫し、翌春の選抜大会出場の望みを絶たれた。

「僕らの代は、和歌山県の中で『王者』としての立場から『挑戦者』になった。チームの目標としては日本一というものがありましたが、そこばかりを見られるようなレベルのチームでも個人でもない。自分たちは強くないという自覚を全員が持っていました。小園や松川のような飛び抜けた選手は一人もいなかった」

2020年秋、智弁和歌山は市和歌山に3連敗を喫した(撮影・滝沢貴大)

「もちろんプライドはあります。『俺たちは智弁和歌山だ』という誇りも100%持って戦うんですけども、そういう横綱相撲が出来るチームではない。目の前の1試合を勝つために全員が全力で戦って、それが甲子園の決勝戦まで続いたのだと思っています」

中西は当時のチーム全体の思いをそう振り返る。チーム状態がなかなか好転せず、中谷仁監督やコーチに怒られ続けた。「僕らは歴代でも一番叱られた学年です」と苦笑する。

甲子園初戦は例年なら閉幕している8月24日

夏の和歌山大会は、全5試合中3試合が相手に先行されての逆転勝ち。準々決勝の初芝橋本戦は延長13回タイブレークの末にサヨナラ勝ちを収めた。智弁和歌山は破竹の勢いで勝ち上がる姿が印象的なだけに、こうして苦しみながら勝ち上がってくることは意外でもあった。「自分たちでは『全試合コールドで勝つんや』と思っていても、結果が付いてこない。ただ必死にやっていただけで、それが周りには泥臭く見えていたのかもしれませんね」と中西は言う。

そして市和歌山との決勝戦。前年秋から「どうやったら打てるのか」と意識し続けた小園を、イチローさん直伝の走塁を絡めて攻略。4-1で勝って甲子園出場を決めた。

智弁和歌山の前に立ちはだかってきた市和歌山の小園(左)と松川(撮影・西岡矩毅)

甲子園では2回戦からの登場となったが、対戦相手の宮崎商が新型コロナウイルス感染により出場を辞退。不戦勝となる。雨による再三の順延もあって、初戦となった3回戦の高松商(香川)戦は、例年なら大会が閉幕している8月24日。すでに2試合を消化している他のチームもあった。

「和歌山大会を苦しみながら勝ったことで、チームにちょっとした自信が生まれてきたんです。選抜にも出ていなかったので、『早く甲子園で試合がしたい』という気持ちが選手全員にありました」

開幕前に大阪の宿舎に入ったが、毎日、バスで和歌山のグラウンドに帰って練習していた。

「監督からは毎日怒られていました。甲子園期間だからといってチヤホヤされるわけでもなく、普段より厳しい言葉を、練習や宿舎での生活の中で常に浴びせられました。今にして思えば、県大会の初戦から甲子園の決勝戦が終わるまでが、3年間で一番厳しくされた気がします。自校のグラウンドで、めっちゃ走って、めっちゃ練習して。『甲子園が始まってるのに、こんなに練習するんか』とみんなで言い合ってました。でも、とにかく試合の日程が空きすぎたんで、それがなかったら、みんなメンタルを維持できなかったかもしれません」

最後のマウンドは誰にも譲らない

待ちに待った高松商戦は、先発で九回2死まで投げて5-3と快勝。準々決勝の石見智翠館(島根)戦は登板がなかったが、準決勝は近江(滋賀)を1失点完投(スコアは5-1)。決勝戦は智弁学園(奈良)との兄弟校対決となった。

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先発は連投になる中西ではなく、背番号18の伊藤大稀(現・日体大)だった。

「もちろん先発で行って完投する準備は出来ていました。ただ、和歌山大会の決勝で先発した伊藤が良いピッチングをしたので、もしかしたら伊藤もあるかな、とは思っていましたね」と中西は言う。

智弁和歌山は一回に4点を先制するが、二回に智弁学園が2点を返す。そして四回無死一、二塁とピンチを招いたところで中西がリリーフ登板。連続三振で切り抜ける。「自分で言うのはおこがましいですが、智弁学園の打線の力を考えると、僕でなくてはあの場面は抑えられなかったと思います」

昨夏の甲子園決勝でピンチをしのぎ、右拳を握る中西(撮影・西岡臣)

そのまま九回まで投げきった。「最後のマウンドは誰にも譲る気はありませんでした」と笑う。

「誰も、『負ける』という気持ちはなかったと思います。『あの小園を倒した』『市和歌山相手に勝った』ということが自信になっていましたから。それで甲子園に入ってから大差で勝ってきて、実力では相手のほうが上かもしれないけども、勢いが自分たちの方にあるなと感じていました」

「礼に始まり、礼に終わる」に共感

優勝決定の瞬間、智弁和歌山の選手たちは、マウンドに集まって拳を突き上げる歓喜の儀式を行うことなく、静かに整列した。前日のミーティングで、中谷監督から「試合は礼に始まり礼に終わる。相手を気遣うことなく自分たちだけが先に喜ぶのは、試合をする者のやることではない」という考えを聞き、選手たちで話し合って決めた。

「もし、コロナで大変な状況だから自重しなさいということだったら、心の中で不満を感じていたと思います。やっぱり僕らの夢は、甲子園で優勝して、マウンドに集まってみんなで手を挙げる。あの毎年の優勝シーンに憧れていましたから。でも、監督の話を聞いて、気持ちが晴れたんです。だから僕らも納得したうえで、ああいう形で最後を迎えられた」

整列する選手たちの表情は、どこか誇らしげに見えた。「なにか新しい歴史を作った感じがしたので」と中西は笑う。今年の優勝チームはどうするのだろうか。

「どうなんでしょうね? 喜ぶのも自然な感情で、そのときに選手がどういう気持ちでやっているのかが一番大事だと思います」

優勝を決めても、喜びは控えめだった(撮影・田辺拓也)

安藤監督に感じた、中谷監督に似た空気

大会を終えた後、それまでのプロ志望から、大学進学に進路を切り替えた。

「甲子園が終わってから、冷静に自分の評価をしてみたんです。ドラフト上位指名候補と言われている選手と自分を比較した時に、勝てる選手が一人もいなかった。じゃあ、今ここで無理にプロに行くよりも、大学で4年間しっかり積み重ねてから、もう一度チャレンジしたほうが良いのでは。夢を無理やり叶(かな)えるのではなく、もっと良い形にして叶えたらいいと考えんです」

早い時期から熱心に誘ってくれた青学大への進学を決意すると、安藤寧則監督には自分から直接電話で意思を伝えた。

「4年後、絶対にドラフト1位でプロに入ろうな」

電話口から安藤監督の言葉を聞き、胸が熱くなった。

「僕は智弁和歌山で中谷監督と出会えたおかげで、今の自分があると思っています。他にも良い監督はいらっしゃるんでしょうけど、大学で東京に出て来て、なおさら、あの人のすごさがわかりました。人間性の良さ。受け答えのうまさ。大切にしなくてはいけない人と話す時には、こういう言葉から入るんや、というのが高校生ながらに刷り込まれていました。安藤監督と接した時に、同じ空気を感じたんです。あの熱意。人への思い。言葉の強さ。この人の下でやっていたら成長できる、と思いました」

安藤監督から「4年後、絶対にドラフト1位でプロに入ろうな」と言われ、心を動かされた(撮影・矢崎良一)

東都のレベルの高さは、想像以上

1年生からリーグ戦で投げる気は満々だったが、入学後、中学時代からの古傷に少し痛みが出てしまい、春は治療とリハビリに専念した。「戦力になるつもりで来たので、ふがいなさはあるけど、今、焦っても仕方がないので」と冷静に言う。

東都リーグはレベルが高いと聞かされてはいたが、考えていた以上に投手も打者もレベルが高かった。同じ140キロでも高校生とはボールのすごみ、体の厚みが違うという。

「自分が出られなくても、ベンチに入っていなくても、すごい緊張感を感じながら試合を見ています。大学に来てよかった。この緊張感の中でまた野球が出来るんですから。4年後、注目される選手になってプロに行きたい気持ちは何があっても変わりません。このリーグで優勝したり活躍出来る投手になれば、その領域に行けると思っています」

中西の4年後の夢からの逆算は、もう始まっている。

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