マリノス内定の明治大・木村卓斗 ボランチ転向で開けたプロへの道、国立で有終の美を
昨年度、創部100周年を迎えた明治大学サッカー部。今季はフォーメーションを伝統の4-4-2から4-3-3に変更。新たな戦い方で無冠に終わった昨年度からの逆襲を誓った。しかし、新体制発足後すぐに部内で新型コロナウイルス感染が広がり、春は屈辱的な幕開けとなった。それでも第2節・順天堂大学戦以降は4連勝を飾るなど調子を取り戻し、前期リーグを首位で折り返した。ケガ人が続出する中でも勝利を積み重ねた明治大の中心には常に、木村卓斗(4年、横浜F・マリノスユース)の存在があった。
今の姿を想像できなかった
横浜F・マリノスユースではJリーグユース選手権を制し、超攻撃的サイドバック(SB)として活躍した木村。鳴り物入りで明治大に進んだ彼を待ち受けていたのは、大学サッカー界の雄・明治大という大きな壁だった。長友佑都(FC東京)や室屋成(ハノーファー96)など日本代表クラスのSBを数多く輩出した明治大では、トップチームの試合に出ることからすでに簡単なことではない。木村が入学した年のトップチームには中村帆高(現・FC東京)や、常本佳吾(現・鹿島アントラーズ)など名だたるSBが在籍。さらには木村の代は14人中6人がSB。まさにSBだらけの大学生活で木村はもがき苦しんだ。
そんな木村に大きな転機が訪れる。2年生でのプレシーズンでのこと。栗田大輔監督に持ち前の運動量と球際の強さを見込まれ、ボランチへの転向を勧められたのだ。経験はまったくなかったが、「不安は一切なく、やるしかないという気持ちだった」
新たなポジションへの挑戦を決断し、プレシーズンでは猛アピール。この年のリーグ開幕戦にボランチとしてスタメン出場を果たすと、以降は途中出場が多いながらもトップチームで実戦経験を積んだ。3年生では背番号8を与えられ、主力として大学屈指のボランチへと成長。「1年生の時は今の姿を想像できていなかった」と語るほど、栗田監督との出会いは木村にとってターニングポイントとなった。
愛する古巣へ
7月21日、少年時代を過ごした古巣である横浜F・マリノスへの加入内定が決まった。「大学サッカーがこんなに面白いんだと思ってもらえるような活躍をしたい」。木村の活躍は、近年注目されつつある大卒サッカー選手の意義を証明してくれるだろう。
木村は自身のプレーを「熱く、泥臭く戦うタイプ」と語る。武器は、豊富な運動量とボールを奪いきる球際の強さ。明治大サッカーの根幹である球際、切り替え、運動量の三原則を体現している。攻撃面ではドリブルでボールを運ぶプレーや、パンチのあるミドルシュートで存在感を発揮し、的確なポジショニングでインテリジェンスの高さを見せる。まさに明治大らしい「強さ」とマリノスらしい「うまさ」を併せ持つ選手だ。
アカデミー出身の選手ではあるが、「明治の4年間で積み上げてきた木村卓斗として評価してもらいたい」。明治大で一回りも二回りも成長した木村は、「明治大学の木村卓斗」として再びトリコロールを身にまとう。
偉大な先輩とライバルの存在
木村に影響を与えた2人の先輩がいる。常本と安部柊斗(FC東京)だ。常本は木村の2学年先輩で「マリノスユースの頃からお世話になっている大きな存在」。実際、明治大進学を決めたのも常本の存在があったからという。常本もまたSBからリベロと、明治大で新境地を開いた1人。木村と同じように新たなポジションで進化を遂げた先輩の存在は木村にとって大きな刺激となった。
安部は木村の3学年上の先輩で、木村がボランチをやる上で一番影響を受けた選手と語る。今でも交流がある安部からのアドバイスもあり、木村は大学屈指のボランチへと成長した。「安部さんがいなくなってから、明治で成長した姿を見せて超えていきたい」と、来季マッチアップするであろう先輩との対戦を心待ちにしている。
そしてもう1人。木村とは小学校の頃からの付き合いで、マリノスユースではチームメートとして、大学では敵として切磋琢磨(せっさたくま)してきた棚橋尭士(あきと、国士舘大4年)。ポジションは違えど、「尭士が活躍したら悔しいし、負けられないという気持ちになる」と強い対抗心を持つライバルだ。棚橋は木村よりも先にJ2徳島ヴォルティスに加入が内定していた。このライバルの存在も木村のプロに対する思いを強くさせた。
最後の年にかける思い
4年生となった今季、最上級生として「歴代の4年生と同じように、常に勝ち続けてチームを上に引き上げる」という強い気持ちで臨んだ。しかし、前述の通り、コロナの影響でプレシーズンの活動は限定的に。迎えた3月の東京都トーナメント学生系の部では、関東大学2部リーグの立正大学に足元をすくわれ敗退。翌4月の関東大学1部リーグ戦の開幕戦では、昇格組の東京国際大学に0-4の完敗を喫した。「1年生の頃から開幕戦はずっと勝っている姿を見てきたので、敗戦が悔しくてショックで、その試合が頭から離れなかった」
この試合を機に木村は奮起。「自分が勝たせるという強い気持ちで、死に物狂いでやらなければいけないなと思った」。最上級生としての意識は、言葉だけでなく形となってプレーに現れる。東京国際大戦後の木村は誰よりも走り、誰よりも球際で勝負し戦い続けた。
今季は全試合にスタメン出場してきたが、7月24日のアミノバイタルカップ決勝は累積警告により出場はできず。応援席からチームを見守った。結果は国士館大学相手にPK戦の末敗れ、準優勝。ピッチに立てず見届けるしかなかった木村は悔しさをにじませた。
優勝を目指して臨んだ総理大臣杯全国大学トーナメントでは、準々決勝で大阪学院大学にPK戦の末敗退。またしてもタイトル獲得は遂げられなかった。残るタイトルはリーグ戦と全日本大学選手権(インカレ)の二つ。そして今季のインカレ決勝は来年1月1日、国立競技場で開催される。「栗田さんをはじめとするサッカー部に育てていただいて今の自分があるので、感謝の気持ちを持って恩返しがしたい」
自身の可能性を広げてくれた「人生において恩師」である栗田監督、4年間様々なことをともに乗り越えた同期、そして明治大に結果という形で感謝を伝えるために。モットーである「常に全力」でラストイヤーを駆け抜ける。