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特集:第71回全日本大学野球選手権

明治大学・村松開人 主将の先発復帰は、秋に向けたさらなる競争の幕開け

全日本大学野球選手権大会から先発に復帰した明治大学の村松(すべて撮影・井上翔太)

第71回全日本大学野球選手権大会、準々決勝

6月9日@神宮球場(東京)

佛教大学 3x-2 明治大学(延長10回サヨナラ)

今春の東京六大学リーグでは代打のみの出場だった明治大学の主将・村松開人(4年、静岡)が、第71回全日本大学野球選手権大会から先発に復帰した。佛教大学との準々決勝は、「1番・指名打者」で出場。サヨナラ負けで2019年の第68回大会以来となる優勝には届かなかったが、秋季リーグは戦力がさらに厚くなりそうだ。

リーグ戦は固定できなかったセカンド

1年生の頃からリーグ戦を経験している村松が、今年2月に右ひざ半月板のクリーニング手術をして離脱したことは、チームにとって大きな痛手だった。田中武宏監督は「新チームになったときから、村松がどこに入るかということを考えながら、やってきましたから」。主将が本来守るはずだった二塁手のポジションは、中心打者の上田希由翔(きゅうと、3年、愛産大三河)や1年生の吉田匠吾(浦和学院)を併用し、リーグ戦終盤に堀内祐我(3年、愛工大名電)を起用するまで、固定できていなかった。

その分、主将はチームのために尽くした。

首脳陣の指示をグラウンド上の選手たちに伝えたり、イニングの合間に外野手がキャッチボールしている球を受け取ったり、ベンチから声をからしたり。最上級生がこういった裏方の仕事をするのは、村松が考えた「改革」だった。

自分がプレーしていないときは、チームのために尽力する

あと1アウトに泣かされ続けた

明大の選手たちが今年のチームを語るとき、折に触れて口にしてきた言葉がある。「1球に泣いたり、あと1アウトが取れなかったり、終盤に追いつかれて勝ちきれないゲームが続いていました」。特に昨秋の早稲田大学戦で味わった悔しさは、記憶に新しい。2点リードの九回に4本の適時打を浴び、逆転負けを喫した。

「どうして勝てないのか」「チームとしてあるべき姿は何か」。新チームで村松らが中心となって導き出した答えの一つが、最上級生が率先して裏方の仕事に取り組み、下級生が野球に集中しやすい環境を作ることだった。

「これまでは1、2年生がやっていた道具を出したり片付けたりするのを4年生が『自分たちでやりたい』と言ってきたこともありました。勝手知ったる4年生が、てきぱきと動いている姿は見ていました」と田中監督は言う。

次打者席で相手投手の球筋を確認する

全日本の舞台で逆に発揮した「粘り」

2回戦の神奈川大学戦は、「足の具合を見て」(田中監督)と7番打者を務めていたが、この日は先頭打者に昇格した。「動いている姿を見て、心配ないなと。なかなか1番バッターが決まらなかったシーズン。初回は出塁してくれましたし、役割を果たしてくれたと思います」

村松自身は舞台を全国に移しても、状況に応じて自身のできることをする姿勢は、リーグ戦から変わっていなかった。指名打者での出場のため、守備の時間はベンチの最前列から声を出し、二回途中で打球を右手に当てた先発投手の蒔田稔(3年、九州学院)を気遣った。

だからだろう、と一概には言えないが、2点を追う九回の粘りは見事だった。2死三塁から勝負強さが光る蓑尾海斗(4年、日南学園)が中前適時打を放ち、1点差。イニングの合間にベンチ前でダッシュを繰り返していた飯森太慈(2年、佼成学園)が二盗を成功させ、途中出場の西山虎太郎(4年、履正社)が左中間に同点二塁打を放った。土壇場で追いつくのは、これまでとは逆の形。「改革」の方向性は正しかった。

自分が出塁した際も、次の打者に声をかける

同点劇をベンチで見つめた村松は、「意地というか、明治らしい野球が最後の最後でできた」。ただ最後は無死一、二塁から始まるタイブレークで、バントの成否が勝敗を分けたところもあり「勝負の場面で、ああいうミスが出るのはまだまだ」と反省も忘れなかった。

「春とは違うメンバーになる」

明大は村松が万全ではない中で春季リーグを制し、選手層が底上げされた。田中監督は秋について「春とは違うメンバーになると思います」と早くも宣言した。

「まず村松が帰ってくる。1年生を含めて他にも計算できる選手が出てきているので、4年生には申し訳ないけど、結果が出なかったら、(実力が)一緒だったら下(の学年の選手)を使うとずっと言っています」。どんなメンバーになるか「自分自身も楽しみにしています」。

佛教大学戦は、1番打者として一回に左前安打で出塁した

今回の敗戦は秋季リーグ戦に向けて、さらなる競争が幕を開けた瞬間でもあった。

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