完全優勝の明治大学に見えた「覚悟」 負けられない一戦で、全員がバットを短く
終わってみれば、「メイジ」は強かった。3年ぶりに「勝ち点」制度が復活した東京六大学野球春季リーグ戦は、明治大学がすべての学校から勝ち点(同一カードで先に2勝すると勝ち点1が与えられる)を挙げる完全優勝を遂げ、41回目の栄冠を手にした。
ターニングポイントになった法政大学戦
ただ振り返ると、10勝3敗2分け、勝ち点5という数字とは裏腹に、苦しい戦いの連続だった。延長戦は3度。3時間超の試合が4度と、もつれる展開も多かった。「今日も長くなってしまいまして…」。会見冒頭に田中武宏監督がこう口にするのが、半ば恒例になっていた。ハードな日程もこなした。第5週と6週は11日間で7 試合と過密だった。
粘りに粘ってつかみ取った天皇杯。ターニングポイントになったのが、勝ち点2で迎えた法政大学とのカード、その2回戦だった。明大は1回戦で敗れており、連敗すると優勝から一歩後退する。絶対に負けられない中、1回戦で5安打に抑えられた明大攻撃陣がある変化を見せた。1年秋から4番を張る上田希由翔(きゅうと、3年、愛産大三河)も含めて、全員がバットを短く持ったのだ。
なりふり構ってはいられない――。その姿勢からは、高校時代に名を馳せた選手たちの、プライドをかなぐり捨てた「覚悟」が感じられた。
するとこの試合は、九回2死から同点に追いつき、引き分けに持ち込んだ。同点打を放ったのは山田陸人(4年、桐光学園)だった。田中監督は「その前の3打席は凡退で怒り心頭だったんですが(苦笑)、絶対に打ってくれると思っていた」と山田をねぎらうと、続けて言った。「ようやくメイジらしい形になってきました」
エース番号「11」を継ぐのは?
優勝の原動力になったのは3年生以下の選手たちだった。投手では蒔田稔(九州学院)と村田賢一(春日部共栄)の両3年生右腕が、先発2本柱に成長。蒔田は4勝、村田は5勝をマークした。特に蒔田は優勝をかけた立教大学との直接対決でも、1回戦は7回無失点、優勝を決めた3回戦も10回を投げて得点を許さず、エースらしい働きだった。「高校最後の夏は(熊本大会の決勝で敗れ)勝てなかった。その分をやり返そうと明大に入った」と明かす蒔田。優勝を呼び込む投球ができ、留飲を下げる思いだったに違いない。
春は明大のエース番号「11」が空き番だった。田中監督は「ふさわしい投手にしか付けさせない」と、リーグ通算30勝の野村祐輔(広島東洋カープ)や、リーグ通算20勝の山﨑福也(オリックス・バファローズ)といった投手だけが背負った「11」を重んじる。果たして、秋は蒔田が「11」を背負うのか。そのあたりにも注目だ。
打者では宗山塁(2年、広陵)と上田の3、4番コンビが光った。2人合わせて45安打、5本塁打、28打点。安打はチーム全体の3割以上、打点は4割以上を占めた。上田は「僕の前を打つ後輩の宗山がよく打つので、負けられないと思いながら打席に入っていた」と振り返る。その上田、立大2回戦の初回に値千金の2ラン。頼れる4番打者になった。
チーム改革に取り組んだ主将も貢献
3年生以下の活躍が目立ったが、明大の優勝を語る上で外せないのが「4年生力」だ。先頭に立ったのが、主将の村松開人(4年、静岡)だった。村松は2月に右ひざ半月板損傷の手術を受けた影響で、試合出場は代打での3試合のみ。プレーヤーとしては貢献できなかったが、ベンチの最前列から的確な声出しで仲間を鼓舞するなど、目には見えない大きな力になった。
村松はチームの改革にも取り組んだ。「昨年は勝ち切れなかった試合に勝つために、まず最上級生が自分たちを律しようと思ったんです」。これまでは下級生に任せていた雑用も最上級生がするように。リーグ戦でも試合に出場する3年生以下のために、用具の出し入れも買って出た。村松は、私生活が野球につながることを、1年生のときの主将だった森下暢仁(広島東洋カープ)の背中から学んだという。
4年生の姿を見て、3年生以下も私生活の細かいところに目を向けるようになった。蒔田は「以前にも増してスリッパをきちんと揃えるようになりました」と話す。
今の時代でも通じる「人間力野球」
最上級生が自らを律するのは明大野球部の伝統でもある。まだ上下関係が厳しかった昭和の時代。明大の「人間力野球」の礎を作った島岡吉郎元監督は、4年生にトイレ掃除を担当させた。社会に出れば、また1年生になる。そのための準備でもあった。
「各選手の人としての成長が、ゲーム後半の粘り強さにつながったと思います」と話すのが、正捕手の蓑尾海斗(4年、日南学園)だ。蒔田、村田をリードしてきた蓑尾は、立大3回戦の十一回、優勝を決めるサヨナラ犠飛を打った。
副主将を務める蓑尾は、苦労人でもある。
デビューは早かった。前回明大が優勝した19年春、マウンドに立っていたのが森下なら、マスクをかぶっていたのはルーキーの蓑尾だった。日本一に輝いた大学選手権にも出場している。しかし、その後は3年春まで出場機会が激減。それでも自分を見つめ直すことで、同年秋は初のベストナインに選出された。「人間力」の大切さを、身をもって知っている。
田中監督はしみじみと「島岡さんの教えは今も生きています」と語る。とはいえ、時代が変わっているのは確か。「今の選手には、現在プロで活躍している選手の名前を挙げ、彼らも人間力を磨き、打たれ強くなったから今がある、という話をしています」
「足踏みしている」と悔しさにじむ立教大学
明大との直接対決で勝ち点を挙げれば優勝だった立大は、このカード2敗1分けに終わった。昨春も慶應義塾大学との優勝をかけての直接対決で連敗し、2位に甘んじた。同じような結末に、溝口智成監督は落胆を隠せない様子だった。
「昨年からの進歩している感じはないですね。足踏みをしている。結果、6勝4敗(勝ち点3)ですし。試合の流れを感じる力、勝負どころでの思い切り。そういったところが明治さんとの差だと感じました」
収穫もあった。エース・荘司康誠(4年、新潟明訓)の好投だ。8回を2安打無失点、9奪三振。溝口監督は「エースらしい投球をしてくれた」と、1回戦では勝利目前の九回に同点とされた荘司をほめた。だが、荘司は悔し涙で目を赤くしていた。「自分が描いた通りには投げられましたが、勝てなかったので…勝てる投手になりたい」
また、4番で主将の山田健太(4年、大阪桐蔭)も、2回戦は3安打をマークしたが、3回戦は1安打。「主将としても4番としても思うような結果が出なかった」とこちらも沈痛な面持ちだった。 立大は春に流した悔し涙を、秋はうれし涙に変えるつもりだ。
東京六大学代表として負けられない戦いへ
優勝した明大には、もう1つの戦いが待っている。6月6日に開幕する「第71回全日本大学野球選手権大会」だ。昨年は東京六大学代表の慶大が頂点に立った。
田中監督は表情を引き締めながら誓った。
「昨年、慶大の堀井哲也監督から『前大会で明大が優勝しているので、東京六大学の代表として負けるわけにはいかないという思いだった』と聞きまして。今度はうちが同じ気持ちで戦います」 。明大の「春の陣」はまだ終わっていない。