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立教大・荘司康誠 大学3年秋の飛躍、最速151km右腕が狙う「エースの座」

秋リーグで成長を見せた荘司。最速151km右腕に注目が集まる(写真提供・立教大学野球部)

この秋の東京六大学秋季リーグ戦。立教大の背番号「11」荘司康誠(しょうじ・こうせい、3年、新潟明訓)が成長を遂げた。主に2戦目の先発を任され6試合に登板(先発登板は5試合)。勝ちはつかなかったが防御率はリーグ5位の2.22。エースの池田陽佑(2年、智辯和歌山)とともに投手陣を引っ張った。最速151kmを誇る右腕に秋季リーグ戦のこと、けがに苦しんだ大学1、2年生の頃の話や大学ラストイヤーに向けての話を聞いた。

春デビュー後にフォームを見直し成長

「これまでまだ実績がなかったため不安はありました。でも始まってみたら『やるしかない』という気持ちになって、良い意味で割り切れたのが結果に出たのかなと思います。秋が始まる前の自分からしたら予想以上だったのかもしれませんが、投げていくうちにだんだん自分の中で『もっとこうしたい』と欲が生まれてきました。特に後半戦はもう一つ上のパフォーマンスができたのではと感じます」

荘司自身は秋のリーグ戦をこう振り返る。188cm、88kgと恵まれた体格を誇る荘司はこの春、初めてリーグ戦のベンチ入りを果たし3試合に登板。5月15日の慶應義塾大1回戦では最速151kmを記録し注目を集めた。春季リーグ戦後には自らの投球を改めて見直し、投球フォームを修正。始動するときのグラブの位置がお腹の前から胸の前に変わり、右足一本で立つ際にはやや二段モーション気味となった。荘司がその意図を説明する。

あこがれのダルビッシュの投げ方も少し真似たと話す(以下すべて撮影・武山智史)

「春は力任せで投げていたところがありました。色々と試した結果、この形になりましたね。体のブレが大きかったことが抜け球につながっていたため、できるだけブレを少なくする意識でフォームを変えました。自分の中ではタイミングやリズムを意識して投げていました。あと、ダルビッシュ有投手が好きなので、ちょっとマネしたこともうまくハマッたかもしれません」

秋の成長の一つに大きく縦に曲がるカーブも欠かせない。元々、高校時代から投げていたボールだったが、大学入学後は高校時代のようにうまく使うことができなかった。この秋のリーグ戦が経つにつれて徐々に感覚を取り戻し、カウントを取るためのボールと決め球として用いた。「カーブを簡単に使えるようになって、楽なピッチングができるようになった」と自信を深めている。

慶應大との対戦で感じた「投手の本能」

この秋、最初の先発となった9月20日の早稲田大2回戦は4回1失点。「一生懸命に投げていた感じでした」と振り返る。続く翌週の東京大2回戦ではマウンド上で余裕が生まれ、打者の様子を見ながらボールを投げ込む本来の投球を見せ六回途中まで8奪三振、2失点の投球内容だった。荘司が最も印象に残る試合に挙げたのは10月18日の慶大2回戦。このとき、優勝争いに絡んでいた立教大は16日の1回戦で5-8と試合を落とす。雨天中止で1日順延となったこの試合、荘司は「自分で負ければ優勝が無くなってしまう」と強い気持ちでマウンドに臨む。「他の試合とは気持ちが違って、それが良い方向にいったと思います」と語るように、5回無失点と試合を作った。(最終的に試合は2ー2の引き分け)。慶大の打者との対戦は、投手としての本能を掻き立てられた。

「4番の正木智也さんを筆頭に良い打者が揃っていますよね。他の打者なら空振りやファウルが取れたりするんですが、なかなかうまくいかない。それに対して『じゃあ、このボールはどうだ』と楽しめたというのか……そんな気持ちになりました」

「4回を1失点か2失点に収めてリリーフにつなぐ」というチームの方針もあって、この秋の最長イニングは東京大戦の5回1/3。「先発としての役割と考えると、物足りなかった気持ちがあります」と悔しさをにじませた。

大学入学後のけがで変われた

新潟西シニア時代は主に外野手だった荘司は、新潟明訓高から本格的に投手へ転向。高校2年春から公式戦で登板し、「かわすピッチングが好きで、変化球を織り交ぜる技巧派ピッチャーでした」と自らの高校時代を評する。高校3年夏は初戦で敗れ甲子園出場は叶(かな)わなかったが「野球を楽しめたことが一番大きかった」と振り返る。

「中学時代は結果が残せず野球が嫌いになりかけた時期もありました。でも明訓に入学して『もっと上手(うま)くなりたい』という気持ちが純粋に生まれてくる環境で、自分にとってその点が大きかったです」

新潟明訓高校時代、野球を楽しめたことが莊司の財産となった

元々抱いていた「六大学でプレーしたい」という憧れもあって、新潟明訓の先輩が多く進学していた立教大へ進学。しかし、入学当初から右肩の痛みに悩まされる。整骨院や病院に行っても原因は分からず、「何で投げられないんだろう」ともどかしい日々が続いた。そんな暗中模索の中、荘司は本やインターネットからトレーニングやエクササイズの情報を取得し学んでいく。ツイッターで同じような境遇にある選手の発信を見て、「自分だけじゃないんだな」と気持ちを保っていった。

「けがをしたことで自分の考えが変わるきっかけになりました。大学野球の中で大きなポイントだったと思います」。仕入れた情報を自分自身で実践し、投げられない中でも自分のやるべきことを積み重ねていった。野球指導のオンラインサロンにも入り、選手やトレーナーの様々な意見や考えを知り視野も広がった。「情報をインプットして、その中からポイントや大枠を押さえながら自分の型に落とし込む。そんな感じで練習に取り組んでいきました」とその効果を挙げる。

けがも自分の糧に、自信になっている

大学2年の10月、まだ右肩の痛みが続く中でトレーナーの北川雄介氏と出会った。学生コーチ選出の時期が近づく中で「最後の砦(とりで)じゃないですけど、これでダメだったら選手をあきらめよう」と北川氏の指導を受けていた野球部の先輩のつながりで施術を受けた。施術だけでなく北川氏から動きのイメージを伝えてもらい、ネットスローでその感覚をつかもうとした。右肩の痛みも癒え、11月に静岡で行われたオータムフレッシュリーグでは東海大海洋学部戦に登板し5三振を奪う。球速はそれまでは142kmがマックスだったが、この試合では149kmを計測した。

「北川さんの指導を受けて、メンタルの部分で変わったことが大きかったです。それまでは『けがを治さないといけない』『やれることをやっているのに何で治らないんだ』とネガティブな考えでした。それが北川さんと話していく中で『こう考えた方が良いよ』と前向きな言葉を掛けてもらって気持ちに余裕が生まれてきましたね」

エースの座を狙い、さらなる飛躍を

この秋のリーグ戦は大きな手応えを感じた一方、荘司自身は「一番は制球力」と課題を挙げる。「四死球もイニング数と比べたら多いですし、それが球数増加につながり五回か六回で代えられてしまう。真っ直ぐにしても変化球にしてもしっかり投げ切れるコントロールをつけなきゃと感じます」

リーグ戦最終戦となった10月24日の明治大2回戦、先発した荘司は4回2失点でマウンドを降りたが、最後は4番手の宮海土(3年・國學院栃木)が打たれ4-5のサヨナラ負けで敗れた。荘司にとっては先発投手の役割について改めて考える試合になった。「結果的に宮が打たれて負けた形となりましたが、自分が取られた2点がなければ4-3の1点差じゃないですか。試合全体で見たら、できるだけ失点を減らさなければならないなと感じましたね」と言う。

ラストイヤー、圧倒的なピッチングができる投手に。荘司もチームも「進化」のときだ

2022年に向けて、立教大は新主将の山田健太(3年、大阪桐蔭)の下、「進化」をスローガンに掲げ始動した。経験を重ねたこの秋を踏まえ、荘司は4年生のシーズンをどう見据えているのだろうか。

「チームとしてはリーグ戦優勝、そして日本一を目標にやっています。そこに自分がどう貢献するか。今年は自分に勝ちが付かなかったんですが、自分に勝ちが付くかどうかよりも投手としての能力や数値を重視したいと思っています。そういう意味で圧倒的なピッチングができるようにしたいです」

この秋はリーグ戦2戦目の先発が主であったが、エースの証である1戦目の先発も虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。大学最後の年を更なる飛躍の年にするべく、荘司はオフシーズンも研鑽(けんさん)を続けている。

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