主将に立候補した立教大学・山田健太 まだ知らぬ優勝へ、掲げた「進化」
東京六大学野球リーグが、3年目に入ったコロナ禍で開幕した。立教大学で1年生の頃からその名をとどろかせた「立大の貴公子」も、最終学年となり、ラストシーズンを迎える。頼れる4番打者としてはもちろん、絶対的な主将へ。2017年の春以来となる優勝をつかむべく、「進化」を重ねる山田健太(4年、大阪桐蔭)の素顔に迫った。
誰よりも声を出し、自ら率先して動く
入学直後、1年春でリーグ戦に先発出場していたときから、主将という立場を意識していた。チームの主軸として活躍するにつれ、「自分が引っ張っていかないと」という責任感が増していった。正式に就任したのは、昨秋のリーグ戦を終えた直後。代替わりのタイミングで、監督や同級生に「自分が(主将を)やるから、ついてきてほしい」という決意の言葉を伝えた。
就任当初、自分が考える理想と現実のギャップに苦しんだ。今年のチームは、前年から先発出場していた選手が中心となる最強の世代。山田自身も、チームの力を過信し、「もっとできる」という勝手な期待を抱いてしまった。しかし、最初はチームをうまく回せなかった。理想の主将像を思い描いても、自分たちを苦しめるだけだと、初心に返って基礎を見直した。
グラウンド内では誰よりも声を出し、私生活でも自ら率先して動く。チームの士気を高める存在として、前だけを見つめていた。「うまくいかないときこそ、チームの柱がしっかりしなくては」と山田。どんなときでも自分の軸を貫くことが、役割だと感じるようになった。
寝食を共にした前主将の思いを受け継ぐ
昨年の春季リーグ、1球にかける執念はどの世代よりも強いはずだった。それでも慶応大学戦での連敗が響き、優勝には届かなかった。山田は身をもって、天皇杯の重さを痛感した。
昨年の主将・太田英毅(現・東芝)とは、入学した頃から仲が良かった。打撃練習では、フォームから球のとらえ方まで、多くのことを教えてもらい、寮でも同室で寝食を共にした。もちろん太田からも、勝ちにかける思いを受け継いだ。そのためには、自分たちが現状からさらに進化しなければならない。4年生全員で、スローガンを「進化」に決めた。
「優勝するっていう気持ちは、どこの大学と比べても強いと思います」。5年間遠ざかっている頂点。今の選手たちが誰も経験していない景色を目にするため、克服すべき課題をチーム全体で考えた。
立大野球部の一番の武器は「明るさ」。しかし、その長所が裏目に出る場面が、これまでは少なくなかった。普段からにぎやかな分、試合の流れが悪いときのもどかしさが、雰囲気に現れてしまう。明るさを常にプラスに働かせるため、単にどんちゃん騒ぎするだけではなく、「自分たちのプレー」を徹底することに目を向けた。
プロで活躍するため、ラストイヤーにかける
「自分の一番の強みは経験です」。
大阪桐蔭時代は甲子園の大舞台で春夏連覇。東京六大学の道に進んでからも、大学日本代表の強化合宿や侍ジャパントップチームの候補選手に選ばれ、数多くの注目を浴びてきた。重圧から「自分が打たなければ」と無理に追い込み、結果を残せないことも多かった。ラストイヤーとなる今季は「キャプテンで最後だからと言って、背負わず、今できる100%を出し切る」。高校時代に続いて、大学でも優勝をつかむため、相手に全力でぶつかることを誓った。
藤原恭大(千葉ロッテマリーンズ)、根尾昂(中日ドラゴンズ)、柿木蓮(北海道日本ハムファイターズ)、横川凱(読売ジャイアンツ)――。
大阪桐蔭からプロに進んだ同期が4人もいた中で、山田は東京六大学への道を選択した。自分で考え、自分と向き合うという立大の練習に魅力を感じたからだ。「全てにおいてレベルアップした状態でプロに行く」。その目標は、今まで一度もぶれなかった。ライバルの存在を追いかけ、大学で何度も感じた悔しさ。野球部での経験は、山田の確固たる決意と自信につながっていた。
野球を始めた頃と今では、価値観も感覚も大きく変化した。それでも根本には、「野球を楽しむ姿勢」が常にあった。今は全力でプレーをすることこそが、野球を楽しむことにつながる。主将として、伝統あるタテジマのユニホームを身にまとい、チームを率いる。大切な先輩から受け継いだ思いを晴らす。そして「大事で大好き」という野球で、自分自身にとって満足できる結果を残す。日本球界の未来を担う逸材は、春の神宮で死力を尽くしている。その手で栄冠をつかむために。