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特集:あの夏があったから2021~甲子園の記憶

大阪桐蔭・山田健太 「勝って当たり前」のプレッシャーに打ち勝ちつかんだ春夏連覇

100回記念大会の甲子園、3回戦の高岡商戦でタイムリーを放つ山田(撮影・朝日新聞社)

2018年、大阪桐蔭高校が春夏連覇したときのメンバーだった山田健太。立教大学で1年春からリーグ戦に出場、3年春までに通算52安打を放ち、チームの主軸として活躍している。「最強」といわれ、「勝って当たり前」のプレッシャーの中で戦った甲子園の思い出について語ってもらった。

「100回大会で優勝したい」から大阪桐蔭に

愛知県出身の山田は小学校2年のときに野球をはじめ、中学時代には中日本選抜で世界大会優勝を経験した。自分が高校3年生の時に甲子園は100回大会を迎える。その記念大会で優勝したい!という思いを中学生の時から持っていた。「優勝したいならどこだ? と考えて、大阪桐蔭に行きたいなと思ったんです」

大阪桐蔭高校に入学して一番最初に見たのは、上級生のシートノック。スピード感、技術の高さに圧倒され、「これが強豪校か」と衝撃を受けた。だが、夏が終わるまでにしっかりアピールして、秋から試合に出たいと考え、とにかく上級生のいいところを見て盗んだ。「寮生活だったので先輩方に聞けるチャンスもたくさんありました。最初は怖いなとも思いましたが、自分から聞きに行って、どんどん取り入れていくようにしました」

その結果、1年の秋から4番を任せられるまでになった。しかし打率.241とふるわず、近畿大会では準々決勝以降は試合には出なかった。「今思えば、自分で自分に変なプレッシャーをかけてしまっていました。そこまで技術がないのにたぶん『大阪桐蔭の4番だから』とかっこつけようとして、追い込まれてしまって自分のいいところが出せませんでした」

不甲斐なさが残ったが、チームは翌年の選抜大会に選ばれた。そこまでの期間でとにかくコーチに話を聞いたり、メンタルも技術面もレベルアップしようと努力した。「思い切ってやれ!」と冬に言われ続けた結果、2年春の選抜では打率.571と大活躍。チームもどんどん勝ち上がり、春では5年ぶりの優勝。しかし、「正直その時のチームではみんな優勝できると思っていなかった」と山田は振り返る。もちろん、出場する以上「優勝」を目標に掲げてはいた。勝っていくうちにどんどんチーム力が上がっていき、本当に優勝できるとは、という驚きもあった。

ミスからのサヨナラ負け。あまりにも悔しい結末だった(撮影・朝日新聞社)

春夏連覇がかかった17年夏の甲子園では、山田は打率.250。「トータルで見ていても、チームとして全体的にうまく機能しなかったなと思います」と振り返る通り、チームは3回戦の仙台育英戦で、ゲームセットになるはずの内野ゴロで、中川卓也(現早稲田大学3年)が一塁ベースを踏みそこねるミス。そこからサヨナラ負けを喫し、敗退となった。悔しさが何倍も残るような負け方だった。

ライバル・履正社との対戦で勝ち越しタイムリー

新チームになり、山田たちの代が最上級生になってからは、「1つのアウトを確実に取ろう」という意識を持った。練習の時から常に「日本一」を頭に入れて行動するなど、「次は必ず優勝するんだ」という気持ちで全員が取り組んだ。特にその先頭に立ったのが、主将になった中川だった。「僕らの代は特に全国から選手が集まってきてる代だったので、個性というか、我が強い選手が多くて。キャプテンとしては、チームをまとめるのは大変だったんじゃないかなと思います」と笑う。山田自身は技術も高く、人間としても魅力的な同期たちと切磋琢磨できることをとても面白く思っていた。

「タレント揃い」と言われたチームにあって、中心となったのは根尾昂(現中日ドラゴンズ)と藤原恭大(現千葉ロッテマリーンズ)だった。その2人に負けじとチーム全体が強くなっていく雰囲気もあった。レギュラーメンバーだけでなく、メンバー外の選手もその思いを共有し、北大阪大会が近づくにつれて日に日にチームはひとつにまとまっていった。

選抜では圧倒的な強さを見せつけて2年連続の優勝を飾り、「今度こそ春夏連覇」の思いで臨んだ高3の夏。北大阪大会の準決勝で対決したのは履正社高校だ。六回まで両校無得点で続き、七回表に大阪桐蔭が3点を先制。しかし七回裏に1点、八回裏に3点を加えられ逆転されてしまう。九回表2アウト、ランナーなしとなり、「ここで春夏連覇の目標が絶たれてしまうのか」と焦りもよぎった。

ここで負けたら全国に行く前に夏が終わってしまう。山田は集中を研ぎ澄ませ勝ち越し打を放った(撮影・朝日新聞社)

しかしなんと4者連続四球で同点に。なおも満塁の場面で山田に打席が回ってきた。「ここで絶対打つ!」と気持ちが乗り、レフトへの勝ち越しタイムリー。そのまま6-4で勝利した大阪桐蔭は決勝では23-2の大勝で甲子園出場を決めた。「高校を通して、3年夏の履正社との試合が一番印象深いかもしれないです。勝ち越しタイムリーの時は本当に集中していました」と思い返す。

決勝は「カナノウ旋風」、でも目の前の相手を倒すだけ

山田が目標としていた100回記念大会の甲子園。「最強」と言われ、周囲からの「勝って当たり前」という雰囲気も感じていた。「やはり夏の甲子園は、春とは世間からの注目のされ方が全然違いました。だけどそこでひよることなく、注目されていることを全員がうまく力に変えてやっていけたのは大きかったと思います」

準決勝の済美戦でも山田はタイムリーを放ち、チームの勝利に貢献(撮影・朝日新聞社)

チームは順調に勝ち進み、決勝で相まみえたのは秋田代表の金足農業高校だった。メンバー全員が地元出身、公立校として時には劇的な逆転勝ち、サヨナラ勝ちをおさめて勝ち進む金足農への注目は日に日に高まり、「カナノウ旋風」という言葉も生まれた。決勝戦の甲子園球場は満員の観客で埋め尽くされ、全体が金足農業を応援するような空気になっていた。「正直、アウェー感は感じていました。でもやることは変わらないので。いつもと変わらず、目の前の相手を倒すだけだと思っていました」

その言葉通り、大阪桐蔭は初回から攻めた。先発の吉田輝星(現北海道日本ハムファイターズ)に対して初回から3点を奪う。7番セカンドで先発した山田は、五回にレフトへのツーベース、六回にもヒットを放った。九回が終わり、13-2で完勝。全員で目標としていた春夏連覇についにたどり着いた。ゲームセットの瞬間は、山田自身は「やった!」という思いもあったが、それ以上にホッとした気持ちのほうが強かったという。「周りから勝って当たり前と思われている、その重圧の中で勝ち抜けたなと思いました」

勝った瞬間は嬉しさもあったが、ホッとする気持ちのほうが大きかったとも(撮影・朝日新聞社)

プロに行った同級生に負けぬ活躍を

秋のドラフトでは、根尾、藤原、横川凱(現読売ジャイアンツ)、柿木蓮(現日本ハム)の4人がプロ志望を提出し、全員がプロ入りを果たした。山田はプロ志望届を出さなかった。「六大学でやってみたい、という思いが中学の時ぐらいからありました。立教大は先輩も行かれていて、とてもいい雰囲気だというのを感じていました」。山田が高2の時の春(2017年)に優勝しているのもあり、立教でやってみたいなという思いが強くなり、進学を決めた。

プロに行った4人に負けないという気持ち、大学卒業後には必ずプロに行くという気持ちで入学した。1年の春からレギュラーをつかみ、1年秋には1塁で、2年秋には2塁でベストナインを獲得するなど、チームには欠かせない存在になっている。3年の春シーズンが終わって、打ったヒットはリーグ通算52本となった。

山田が4年間で目指しているのは100安打達成だ。4年間で通算100安打以上を打った打者は、100年近い六大学の歴史の中でも33人しかいない。直近では慶応大の柳町達(現福岡ソフトバンクホークス)が2019年秋に113安打を達成した。山田が100安打に到達するには、残り3シーズンで1シーズンあたり16本を打たないといけない。「でも達成できたら価値が上がってくると思うので。記録にもこだわってやっていきたいです」と目標に対してぶれていない。

100安打達成、そしてプロへ。山田の挑戦は続く(写真提供・立教大学野球部)

高校時代、何度も大舞台でプレーした経験は、確実に山田の糧になっている。「相手ピッチャーに負けない、という気持ちで打席に入れたり、守備でも物怖じせずにできていると思います」。一方で、一発勝負だった高校時代とは違う難しさも感じている。「同じ相手と何度も戦うので、相手のことも深くわかる一方、相手も自分のことをすごく研究していると感じます。高校とは違い、しっかり考えないと結果が出せないなと感じています」

これから甲子園に臨む後輩たち、すべての選手たちにメッセージを贈るとしたら。そう問いかけると、「甲子園で野球ができるのは幸せなことです」と山田は言う。「これからの野球人生にもすごくつながってくると思うので、楽しんでほしいです。甲子園での9イニングを無駄にせず、失敗を恐れずに楽しんでプレーしてほしいです」。それは山田自身がうまくいかない時、消極的になってしまっていたことの反省からくる言葉でもある。うまくいかないときこそ楽しんで、思い切ってやってほしい、と伝えたいという。

立教大学は今年春、慶応大と最後まで首位を争い、2位となった。「勝ちにこだわる」ようになってチームが変わったといい、秋は2017年春リーグ以来の優勝を目指す。どん欲に勝ちを目指した夏の思い出を胸に、山田はさらなる高みを見すえている。

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