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特集:2022年 大学球界のドラフト候補たち

京都産業大・山口直哉 4年になってからプロを意識、追いかけ続ける北山亘基の背中

日本ハムに進んだ北山の背中を追う(撮影・沢井史)

大学最後の秋季リーグ戦は、「納得のいく形で投げられていないんです」と渋い表情を見せた。1年秋に関西六大学リーグ戦でデビューを果たし、昨秋を除くと各リーグ戦で4試合以上に登板。3年春にはリーグ4位の防御率0.95を残している。京都産業大学の山口直哉(4年、済美)という名前を見れば、ピンと来る高校野球ファンは多いのではないだろうか。

済美時代は夏の甲子園ベスト4

高校時代はエースとして、3年夏の甲子園でベスト4に進出。準決勝で春夏連覇を果たした大阪桐蔭に敗れたものの、準決勝までの5試合のうち、4試合で先発マウンドに立った。準々決勝の報徳学園戦もリリーフとしてマウンドに上がり、全試合に登板。2回戦の星稜戦では最速145キロをマークした。甲子園では、計607球を投げた。

山口の投球数は、大きな議論を呼んだ。その後の野球生活に大きな影響があったのではという懸念の声も聞かれたが、本人としては、肩ひじに特に問題はなく、大きなけがもないまま、大学での4年間を過ごせたという。

「あの夏はアドレナリンが出ていたので、あそこまで投げられたと思います。今、あの炎天下で投げるのは無理ですね」と、本人は笑顔をのぞかせながら振り返る。もともと背中の筋肉が柔らかく、けがはしにくい方だったという。

済美時代は第100回全国高校野球選手権記念大会でベスト4(撮影・朝日新聞社)

ベスト4進出の立役者になった山口の進路は、密かに注目が集まったが、高校からプロへ進む選択肢はなく、「大学でまず4年間頑張ろう」と地元関西の京産大へ進学した。

プロを意識するようになったのは、この秋から

この秋、プロ志望届を提出した。ただ、入学当初からプロへ熱い野望を抱いていたわけではなかった。まず4年間、どれだけの経験を積めるのか。とにかく目の前の試合に気持ちを向けた。大学卒業後は社会人のチームで野球を続ける予定だったが、プロへ行きたいと思うようになったのは4年生になってから。秋の初戦、大阪商業大学戦の後だった。きっかけとなったのが、同じ京産大の1年先輩・北山亘基(北海道日本ハムファイターズ)の存在だった。

「去年までは自分はまだまだ力がなく、プロへ行く自信もなかったんです。プロは遠い世界だと思っていたんですけれど、北山さんがプロの世界で投げている姿を見て、自分もプロの世界で投げたいと思うようになって。マウンドでの姿などを見て学ばせてもらいました」

先輩の姿を見て、早くプロ野球選手になりたいという思いが強くなった(撮影・沢井史)

北山はドラフト8位指名ながら開幕投手を務め、今季3勝を挙げた。昨年まで山口はともに練習を重ね、練習に真摯に向き合う先輩の姿をずっと見てきた。そんな身近な存在だった先輩がプロの世界で躍動している姿は、山口に勇気を与えた。自分も挑戦したい――。日に日に、その思いは強くなった。「2年後に社会人からプロを目指す選択肢もありますが、早くプロ野球選手になりたいという思いの方が強くなってきて……」

理想の投手は則本昂大

ただ決断には時間がかかった。今の自分が通用するのか。自分の球に自信を持って投げられているのか。リーグ戦で目立った成績を残しているわけでもなかった。

「球速自体もそうですが、もっとストレートで空振りを取れるようにならないといけない。どうしてもシュート回転してバットに当てられることが多かったですし、空振りを取れる方ではない。日々の意識を変えなければ」

キャッチボールからシュート回転しないよう、指のかかりなどを入念に意識しながら投げるようになった。フォームも改良しながら試行錯誤を繰り返し、最近ではストレートでも空振りを取れる率が高くなってきた。

3年秋に同志社大学とのオープン戦で最速152キロを計測した。カーブ、スライダー、チェンジアップ、フォークなど、もともと変化球は多彩だが、フォーク、ツーシーム、カットボール、ナックルカーブは大学に入ってから習得した。

「ストレートより変化球の方が得意なんです。ストレートで追い込んで変化球で三振を取れるのが理想です。プロでは、先発なら調子が悪くても試合を作れるピッチャー。抑えやリリーフでは1球目から120%の力で投げられるピッチャーになりたいです」

理想は則本昂大(楽天)投手だ。「背は大きくない方だけど、体の使い方がうまいし、ストレートは150キロを投げられて変化球が多彩。自分と似ているところが多いと思っているんです」

大学祭後のシーズンは、先発もリリーフも担う(撮影・沢井史)

調子が悪くても抑えられる投手に

秋のリーグ戦は先発、中継ぎと様々な役目を担ってきたが、調子は決していいとは言えなかった。狙ったところに投げられず、苦しい場面も何度かあり、もがき続けた。

「それでも調子が悪くても抑えられないといけないです。この4年間は、全体を通してうまくいかないことの方が多かったですね。プレッシャーではないですが、周りからの期待に追いつけない自分がもどかしかったです。昨年までは北山さんの後ろで投げていたら良かったけれど、4年生になって自分が率先して投げないといけないと思いすぎて、納得のいく結果を出せなかったのは悔しかったです」

数字上ははっきりと示せなかったかもしれないが、4年間の歩みとして見れば、高校時代よりも進化している。かすかに見える先輩の背中を追いかけ、少しでもその距離を縮めたい。並々ならぬ覚悟を胸に、運命の時を待つ。

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