大阪産業大・小栗瑛哉 数秒を残し、ドリブルをやめた 主将として最後に考えたこと
昨年の夏、出張で出向いた大阪で懐かしい顔に再会した。2018年のインターハイで全国制覇に輝いた小栗瑛哉(あきとし、4年、開志国際)。といっても本人に会ったのではない。JR大阪環状線の車内に掲示された大阪産業大学の広告に、ユニフォーム姿の彼が大きく載っていたのだ。
なぜ、3年生の彼が大学の"顔"として広告に取り上げられているのだろう……。そのときは少し不思議に思ったが、今大会を取材してようやく合点がいった。小栗は当時どころかその1年前、つまり2年生から一貫してチームのキャプテンを務めていたのだ。
中高と全国制覇を経験 大学は反骨精神で選んだ
中学時代に岡山県選抜チームで全国制覇、自チームだった倉敷市立玉島北中学校では全国準優勝。そして高校ではキャプテンとして開志国際高を初の日本一に導いた。誰もがうらやむような実績を持つ小栗が、強豪大学が集まる関東でなく関西の大学に進んだのは、「関西の大学で関東の強豪を倒したい」という反骨精神から。開志国際高の富樫英樹監督にその意向を伝えたところ、紹介されたのが大阪産業大だった。
小栗が進学を決めたころ、大阪産業大は関西学生リーグ1部から2部に降格。「俺がチームを1部に上げて、インカレに出してやる」というモチベーションのもと、小栗は入学直後から即戦力として試合に出場し、得点やアシストで突出した力を発揮した。しかし1部復帰は果たせず、インカレにも出場できなかった。
勝つのが当たり前だった中学、高校時代とはあまりにも違う競技環境に、小栗は戸惑い、苦しんだ。入学前に思い描いた”打倒関東”という目標も「正直あきらめかけたところもあったかもしれない」と振り返る。
そして、2年目のシーズンインを控えた頃、瀬戸孝幸総監督と露口亮太監督から「キャプテンをやってみないか」と打診された。
異例の主将就任、悩んだときに頼ったのは
3年生、4年生のプレーヤーがいる中での、異例の提案。小栗は「1年から試合に出させてもらっているので、覚悟と責任を持ってやろうと思った」とこれを受諾したものの、下級生がリーダーシップを振るうのはそう簡単なことではない。小栗も「大変だったといえば大変だった」と認めたが、「ゲームに出てる以上、先輩後輩は関係ないので、言うべきことは言わせてもらいました。何といっても、大前提はチームが勝つこと。その目的を達成させるためなら嫌われてもいいという覚悟でやりました」と振り返る。
思うようにいかないときは、決まって電話をかけた。相手は、中学時代のチームメートだった早稲田大学の土家大輝(4年、福岡大大濠)と広島大学の山本草大(4年、福岡大大濠)。他愛ないやり取りの中にさりげなく悩みをしのばせ、2人の意見を聞きながら自分なりのやり方を構築した。自分は強烈な個を持つプレーヤーではない。数字に残らないプレーに手を抜かず、声掛けで仲間たちの気持ちを鼓舞するようなリーダーになろうと指針を立てた。
ラストチャンスで届いた「打倒関東」
そして、チームの風向きは少しずつ変わり始めた。2年秋に1部復帰。3年は1部残留。インカレへのラストチャンスがかかった今年のリーグ戦は開幕4連敗から始まったが、下を向くことなく巻き返し、リーグ6位で17年ぶりのインカレ出場が決定。インカレ本番ではグループステージで早稲田大を82-74で撃破し、自身の夢だった「打倒関東」を達成した。
続く決勝トーナメント1回戦は、拓殖大学に68-87で敗れた。前半は互角の展開だったが、後半、自チームのファウルトラブルや拓殖大の高確率の3点シュートに苦しんだ。小栗自身も3点シュートを警戒され思うように得点できなかったが、エアポケットのようにぽっかりと空いた間を「ここ、ここ!」「まだまだ!」という大きな声で取り戻し、ディフェンスやルーズボールで気迫を見せた。それは、小栗がキャプテンになったときに掲げた理想像そのものの姿だった。
残り15秒8からスタートとなったラストオフェンス。自らがボールを運んだ。小栗は少しの逡巡(しゅんじゅん)の後、ドリブルをやめてタイムアップを待った。「もちろん最初は自分で行こうと思いましたけど、こう、もう………もう大丈夫と思ってやめました」。自分がここで何をしようが、結果は決して覆らない。様々な後悔が胸に押し寄せる中、それでも「やりきったんだ」と自分に言い聞かせるために、最後の数秒を使った。
「彼にはすべてを背負わせてしまって、しんどかったと思うんです」
試合後、2年生のときからキャプテンをつとめた小栗について、露口コーチはそう言い、「ただ」と続けた。
「それも彼なんじゃないかなと。その責任を背負えたのも彼だし、チームも彼にリスペクトがあった。僕は彼を2年生からキャプテンに置いてよかったなって思いますし、産大に来てくれて本当に感謝してます」
挑戦の終わりに後輩へ託したもの
大学最後の試合を戦い終えた小栗は、言った。
「大学で一番思ったのが、立てた目標を強く思い続けることがとても大事だということ。1年から『インカレに出てやる』っていう思いで、ずっとやってきた結果が最後に実った。どんなに苦しくても思い続けることって本当に大切。それは自分が後輩たちに教えてあげられたのかなって思います」
高木拓海(3年、開志国際)、古川晟(1年、帝京長岡)といった高校時代に全国トップレベルを経験した選手や、ジョシュア・ウデーレ(1年、開志国際)、金友蓮(1年、大阪桐蔭)、尾形隼(1年、大阪桐蔭)らポテンシャルの高い下級生たちが、大学バスケで勝つ喜びと負ける悔しさを経験した。
「ここをスタートラインとして、自分たちを踏み台にしてもらえたら、僕も『ここで負けてよかったな』って思えるようになるかもしれない。来年、再来年と続いていってほしいなと思います」
後輩たちの明るい未来を祈りながら、4年にわたって大阪産業大を牽引(けんいん)した大黒柱は新たな次のステージに挑む。目的地は、もちろんプロ。行く先が決まっているわけではなく「まだまだこの実力じゃ全然通用しない」と自己評価をしているが、かなうならばもっと高い場所で自分の可能性を試したい。小栗はそう考えている。