箱根駅伝、早稲田大は総合6位 鈴木創士主将、名門復活へ「ちょっと芽は出た」
第99回箱根駅伝
1月2・3日@東京・大手町~箱根・芦ノ湖間往復の217.1km
総合優勝 駒澤大(2年ぶり8度目)10時間47分11秒
2位 中央大 10時間48分53秒
3位 青山学院大 10時間54分25秒
4位 國學院大 10時間55分01秒
5位 順天堂大 10時間55分18秒
6位 早稲田大 10時間55分21秒
7位 法政大 10時間55分28秒
8位 創価大 10時間55分55秒
9位 城西大 10時間58分22秒
10位 東洋大 10時間58分26秒
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11位 東京国際大 10時間59分58秒
第99回箱根駅伝で早稲田大学は10時間55分21秒の総合6位に入り、2年ぶりにシードを獲得した。花田勝彦監督の新体制になり、主将の鈴木創士(4年、浜松日体)が、エースの井川龍人(4年、九州学院)と「二枚看板」になってチームを牽引(けんいん)。目標の総合5位以内には届かなかったが名門復活への足がかりをつかんだ。
井川龍人が9人抜きの快走で5位に浮上
前回総合13位に沈み、リベンジを誓ったシーズンだった。昨年6月に花田勝彦監督が就任し、新体制がスタート。駅伝主将の鈴木が中心となり、チームをつくってきた。今回の箱根も、10000m27分59秒74のタイムを持つ学生トップランナー井川と「二枚看板」になって総合5位以内を目指した。
往路でチームの流れをつくったのはエースの井川だった。
1区は全日本で学生駅伝デビューしたルーキーの間瀬田純平(1年、鳥栖工)が務め、トップの明治大学と39秒差にとどめ14位。2区の石塚陽士(2年、早稲田実業)も区間10位で順位をキープし、3区の井川に襷(たすき)をつないだ。
花田監督は冷静に前を追うように指示。井川は自分のペースを守って走った。9人を抜き去ると、区間賞まで7秒に迫る区間2位タイの1時間1分58秒で5位に浮上した。「(レースの出来は)90点くらい。10点は(とれなかった)区間賞の差。エースとして結果でチームを引っ張っていかないといけないと思っていた。後半の選手たちに勢いをつけることができた」と誇らしげだった。
4区佐藤航希(3年、宮崎日大)と5区伊藤大志(2年、佐久長聖)はともに区間6位と流れを引き継ぎ、往路は5時間27分33秒の5位と好位置につけた。
鈴木創士、國學院大のルーキーとデッドヒート
目標達成に向けた復路で、鈴木は小指卓也(4年、学法石川)からの当日変更で7区に配置された。
6区の北村光(3年、樹徳)がトップの駒澤大学と4分23秒差で芦ノ湖をスタートすると、区間3位の好走で2つ順位を上げた。小田原中継所で待つ鈴木は後輩からの襷をしっかりと握り、駆け出した。
序盤から38秒後にスタートした國學院大學のルーキー上原琉翔(1年、北山)にじわじわと迫られた。9km過ぎからは熾烈(しれつ)な3位争いを展開し、意地で食らいついた。最後は國學院大と13秒差の4位で襷を渡した。1時間4分12秒の区間12位で最後の箱根を終えた。
「あまり調子がよくない中で最後まで使うか迷っていた」と花田監督は明かす。それでも鈴木を送り出したのは、チームの「要」だからだ。「経験者としてリクエストどおり(1時間)4分前後でまとめてくれた」と目を細めた。
8区は伊福陽太(2年、洛南)が区間10位で4位を維持、9区の菖蒲敦司(3年、西京)は区間9位と耐えるも法政大学と創価大学に抜かれ6位に。アンカーは学生駅伝デビューとなる菅野雄太(2年、西武学園文理)が20km過ぎで法政大と創価大をとらえて5位に再浮上した。だが区間賞を獲得した順天堂大の西澤侑真(4年、浜松日体)に抜かれ、10時間55分21秒の総合6位でフィニッシュ。目標達成まであと1歩だった。
「創士のチームだから」全日本の出走断念で成長
鈴木は1年次から学生駅伝を経験してきた。初の全日本大学駅伝は6区区間6位。続く箱根駅伝は7区区間2位で順位を12位からシード圏内の9位へ引き上げた。2年次の全日本は7区区間9位、箱根は4区区間3位で順位を8位から3位へ。3年次はけがの影響もあり、出雲駅伝のエントリーはなかったが全日本と箱根でともに7区区間5位と結果を残してきた。
主将となった今季、全日本ももちろん走る想定で練習を積んできた。だが、大会3週間前にあった箱根駅伝予選会直後に疲労骨折が判明。花田監督から全日本の出走を断念するように言われたが、どうしても受け入れることができなかった。
「出たいです」。鈴木は懇願した。
花田監督は「箱根」に向けて我慢してほしい、そして「箱根以降」、つまり実業団でも活躍してほしいと説いた。そして「いまのチームがあるのは創士が背中で引っ張ってきてくれたから。創士のチームだから」と伝えた。
2時間近くも話し合い、最後は監督の思いを信じ、そして自分が抜けても他のメンバーがシードを獲得してくれるだろうと信じて、諦めがついた。
出走メンバーのサポートに回るのは初めてだった。そこで見えた景色があった。「サポートしてくれる人がいて選手が100%の力を出して走れる。選手だけが頑張って結果が出るような競技じゃないとわかった。いままで駅伝を走ってばかりの経験をしていた僕の中では感謝の気持ちを持つというのはいい経験になりました。(今日の走りでも)いの一番に『ありがとうございます』という言葉が出たところが人として成長したかなと思います」
4年間早稲田で競技ができたこと、相楽豊前監督、花田監督、切磋琢磨(せっさたくま)してきた同期、ついてきてくれた後輩たち、長距離以外の競走部員たち、応援してくれた家族へ。鈴木は感謝の言葉を何度も口にした。
主将として「人生の中でもいい1年」
早稲田大は箱根駅伝が始まった1920年の第1回大会から出場し、今大会は92回目。うち13回の総合優勝を誇る。大迫傑(ナイキ)らを擁して優勝した2011年の第87回大会を最後に栄冠から遠ざかり、名門復活へは道半ばだ。
「楽しいこともつらいこともあった中で、この1年は長く、人生の中で考えてもいい1年だった」と鈴木は振り返る。
いまのチームを父・博久さんから聞いたクルミの話になぞらえて語った。
「早稲田大学というものがいろんな形で出来上がってきた思想や、駒澤大学や青山学院大学に比べたらゆるい環境」は手で簡単に割れない硬いクルミの殻。「クルミを割るんだったら土に入れないと割れない。土に入れて待つしかない。すぐに何事も変わらないしできない」。だからこそ、練習をしっかりやるという基本中の基本から生活面まで見直してきた。
「長い時間をかけてベースはできたかなと。僕が水をあげ続けて、ちょっと芽が出た。でもまだまだです。僕自身も甘いところがあった。この1年では変わりきらなかったところもあるけれど、2年後、3年後にしっかり伝わって結果を残すことにつながったら」と、これからの成長に期待した。
花田監督は「早稲田大学は常に優勝を目指すようなチーム」と言い切る。今回の箱根で総合3位が見えた。総合優勝も決して遠い目標ではない。
「推薦入学組が田澤(廉)君や近藤(幸太郎)君のようなエース格に育ってきて、伊福や菅野のような一般入学組が区間5番以内にまとめてくれば総合優勝できるようになる。来年度はもう1つ、2つ上の目標を立てたい」と新チームを思い描く。
「後輩たちがこの1年があったからと思えるように。優勝してもらえれば僕はそれだけでうれしい」と鈴木。卒業後は安川電機に進み、競技を続けながら母校を見守っていく。
やっと出てきた芽を後輩たちがどう育てていくのか。名門ワセダが大きく花開く日が来ると、鈴木は信じている。