陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

早稲田・鈴木創士 初の箱根駅伝で「ヒーロー」になった男が目指す2年目の逆襲

初の箱根駅伝で7区を任された鈴木(右)は、追い上げのきっかけをつくった(撮影・佐伯航平)

早稲田大は今年の箱根駅伝で3位以上を目指していたが、往路は9位だった。巻き返しを狙った復路だったが、6区で12位に沈む。ここで7区の鈴木創士(そうし、1年、浜松日体)が区間2位の快走。チームを9位に引き上げたのが分岐点となり、早稲田は総合7位をつかんだ。

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「勝ちたい」から始まった陸上人生

どんどん追い上げる鈴木の走りに、競走部の相楽豊駅伝監督から「お前、ヒーローになれるぞ!」との声が飛んだ。それでも鈴木自身は「自分のこの結果は素直にうれしいんですけど、チームの目標と照らし合わせたら、1秒でも2秒でも、もっと速く走らないといけなかった」。1年生は冷静に振り返る。

いきなりの大舞台で堂々とした走りを見せた鈴木は、幼いころから箱根駅伝にあこがれていた訳ではない。静岡県磐田市出身で、最初にサッカーや水泳をしていた鈴木が陸上に心を向けたのは、小学校の持久走大会がきっかけだった。どうしても勝てない子がいたため、かつて陸上部だった父親と一緒に走り始めた。「結局、4位か5位で微妙だったんですけど」と、苦笑いで振り返った。

浜松日体中学校(静岡)では迷いながら陸上部へ。1年生の3000m記録会で9分7秒台という好タイムが出たことで前向きになれた。面白い先輩がいて、部の雰囲気も心地よかった。3年生のときにはジュニアオリンピックの3000mに出場し、8分43秒97で8位入賞。さらに全国中学駅伝では最終6区(3km)を区間タイ記録で走った。このまま浜松日体高校でも陸上を続けると決めた。

「勝てることが楽しい」「1位になりたい」。それが陸上をやる上でのモチベーションだった鈴木にとって、高校時代は目標を明確に持てずに終わってしまったという気持ちが強い。2年生のときには都大路を走ったが、3年生の静岡県予選会は韮山(にらやま)高校に負けて、都大路に届かなかった。最後のインターハイは1500mで出場したが、本命の5000mでは出られなかった。高校時代は、あと一歩が遠かった。「大きな年間目標があって、そのために2、3カ月先を見すえた目標を立てる。そんな風にプロセスを踏んでいく意識がなかったです」

関東インカレで人生初の周回遅れ

陸上を続けるにあたって最も自分に合った環境を求め、早稲田競走部の門を叩いた。5月の関東インカレ男子1部10000mは、鈴木にとって「エンジに白のW」のユニフォームで走る最初の舞台となった。そのレースは法政大の佐藤敏也(4年、愛知)が外国人留学生たちに食らいつき、28分41秒58と日本勢トップの3位と力を見せつけた。鈴木は30分6秒93で24位。初めて周回遅れの屈辱を味わった。その悔しさを6月の全日本大学駅伝関東地区選考会(10000m)にぶつけ、第2組のトップでゴールした。

「エンジのW」のユニフォームでの初レースは、周回遅れという苦い思い出となった(撮影・北川直樹)

夏合宿前後にけがをしてしまい、10月の箱根駅伝予選会に向けて距離を踏めなかった。ハーフマラソン自体は高3のときに1度経験していたが、不安は残った。予選会当日は季節外れの暑さ。前半は抑えて後半で巻き返すレースを思い描いた。徐々に同期の井川龍人(九州学院)の背中が見えてきたが、あと一歩届かなかった。井川に次ぐチーム3番目の60位でゴール。チームは9位とギリギリでの予選会通過だった。

その1週間後の全日本大学駅伝で6区(12.8km)を任され、学生三大駅伝デビューを果たす。後半は失速したが、区間6位の走りでつなぎ、早稲田は6位でシード権を獲得した。ただ、鈴木自身は自分の走りに満足はしていない。

「力不足を感じました。確かに予選会の疲労はありましたけど、東京国際大の伊藤(達彦、4年、浜松商)さんは予選会で日本人トップ、全日本でも2区の区間賞でした。言い訳はできません。走る能力もそうですけど、早く回復させるのも能力の一つでしょうから、その点でほかの大学の選手に劣ってたんじゃないかと感じてます」

鈴木(右)にとって初の「三大駅伝」となった全日本大学駅伝は、自分の課題を浮き彫りさせた(撮影・安本夏望)

1km2分55秒ペースで鍛え、箱根で勝負

速いペースで入っても、後半我慢できる体をつくる。1km2分55秒のペースを目標に、箱根駅伝に向けて強化を続けた。11月末の10000m記録挑戦会では28分48秒26と自己ベストを更新。2分55秒ペースにも体が順応していき、100%に近い準備ができたという自信があった。

前述のように、今年の箱根駅伝の往路を早稲田は9位で終えた。「優勝を狙えるチームだと思ってましたし、9位は確かに想定外でしたけど、まだ3位以上という目標を達成できる位置にはいると思ってました」と鈴木。7区(21.3km)の1年生の最高記録(1時間3分20秒)を破ると心に決め、前半から突っ込んだ。10kmまではほかの選手の姿が見える中でレースを進められたが、10~15kmはたった一人での戦いとなった。

沿道の大歓声の中でも冷静にペースを刻み、運営管理車からの相楽監督の声もしっかり聞こえていた。「もう少し頑張れば、お前が区間2位だ」。その言葉は力に変わった。平塚中継所には高校の先輩でもある太田直希(2年)が待っている。持てる力すべてを振り絞り、太田に襷(たすき)を託すと、背中を押し出した。鈴木は区間2位の走りで三つ順位を上げた。

高校まではそれほど箱根駅伝に思い入れはなかった。しかし実際に身を置いたその世界は、注目度も観客の多さも、過去のどの駅伝と比べてもケタ違いだった。

鈴木(右)は苦しさに顔を歪めながらも、最後は笑顔で太田に襷をつないだ(撮影・松永早弥香)

新チームはすでに動き出している。ルーキーイヤーを振り返ると「ヒーロー」になった箱根駅伝の喜びよりも、周回遅れとなった関東インカレの悔しさの方が強いという。今年の関東インカレはハーフマラソンに照準を合わせている。「トラックよりもロードの方が、自分には向いているのかなと思ってます。今年はまず、ハーフで入賞が目標です」。早稲田には地に足のついた、頼もしい新2年生がいる。

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