陸上・駅伝

特集:第96回箱根駅伝

早稲田・相楽豊駅伝監督「まだできることがあった」 箱根駅伝シード落ちからの一年

今年の箱根駅伝ではアンカー勝負で競り勝ち、7位でゴールした(撮影・北川直樹)

早稲田大は前回の箱根駅伝で12位になり、13年ぶりにシード権を落とした。昨秋の予選会では9位で辛くも本戦へ。全日本大学駅伝では6位と力を示し、今年の箱根駅伝では追い上げて7位に入った。競走部の相楽豊駅伝監督(39)は今年の箱根駅伝を振り返り、「ゴールした瞬間はホッとしましたけど、数分もしないうちに『もっとできたのかな』って思いました。レースでの選手たちの頑張りには満足してますが、『年間を通してとらえたらまだできたよな』という思いはありましたね」と語る。

箱根は予選会からの早稲田、“前哨戦”で強まった危機感
箱根駅伝予選会9位の早稲田、飛び出した太田智樹主将の覚悟

「仮想予選会」に選手が出そろわなかった

昨年の箱根駅伝を終えた直後、相楽監督は「人任せにしないチームづくり」を選手一人ひとりに求めた。「チームとして課題があるとき、解決を先送りにしてしまうところがありました。『次があるから大丈夫だ』『エースの○○さん、Aチームの○○さんがやってくれるだろう』という姿勢が、あの結果につながったと思ってます」

シード権を失った箱根駅伝の直後、2区で区間21位だった太田智樹(4年、浜松日体)は「すべて僕の責任です」と相楽監督に申し出たという。レース前から太田がけがで苦しんでいたのはチームの誰もが知っていた。しかし監督が「太田が間に合わないかもしれない」と投げかけたとき、2区に手を挙げる選手はいなかった。「もちろん太田には『いや違う。それは私の責任だから』とは言いました。突き詰めると、人任せのチームにしたことが問題だったと思いました」と相楽監督。だからこそ、この一年はことあるごとに選手一人ひとりの意識を問いただした。

チームは休養を挟み、すぐに3月の日本学生ハーフマラソンに照準を合わせた。学生ハーフは箱根駅伝の予選会とほぼ同じコース。「仮想予選会」という思いで臨むはずだったが、けがの癒えない選手が多く、想定していた人数の半分ぐらいしか走れなかった。「本番の予選会じゃないんだし、最悪出なくても大丈夫だろう」という意識が選手にあることを感じた相楽監督は、「こんなの続けてたら、本番の予選会もきっと落ちるよ」と厳しい言葉を投げかけた。

主力メンバーが欠場した学生ハーフで、4年生の三上が1時間3分46秒と自己記録を1分以上縮め、30位に入った(撮影・藤井みさ)

根本的な準備はずっと足りていなかった

トラックシーズンに入ると、けがから復帰した主将の太田智樹をはじめ、中谷(なかや)雄飛(2年、佐久長聖)や井川龍人(1年、九州学院)らが自己ベストを更新。その一方で芳しい結果の出ない選手もいて、チームが二極化してしまった。6月の全日本大学駅伝関東地区選考会では、本来走るべき上級生が欠けてしまい、1年生3人を含む8人で臨み、3位で本戦出場を決めた。「右肩上がりできてるのは間違いなかったんですけど、チームとして根本的な準備はずっと不足してました。ターニングポイントになるときに『問題を先送りにするな』『人任せにするな』と言い続けてたんですけど、まだまだ甘さが残ってたのかな」と相楽監督。

全日本大学駅伝関東地区選考会で、主将の太田は一人で留学生のトップ集団を追う気概を見せた(撮影・北川直樹)

駅伝シーズンを前にした夏合宿には、10月26日の予選会と11月3日の全日本大学駅伝を意識して入った。「この日程は変えられない。変えられるのは自分たちだよね」と、監督は選手たちに問いかけた。予選会を走る12人と全日本大学駅伝の8人、計20人をそろえられれば、年間目標である「全日本と箱根で3位以上」も見えてくる。ただし「人任せにしない」ためにも、二つのレースを戦えるタフなチームを目指して走り込んだ。

夏合宿の練習メニューは直近で予選会に出た13年前のものをベースにしながら、選手たちは自主的に距離を踏み、走行距離はチーム平均で900km超、1000kmを上回る選手も5、6人いた。「我々が(メニューとして)出すのは全員がクリアできる最低限のもので、走行距離は選手自身が経験値に基づいて決めてました。私が監督に就任して5年経ちますけど、これまでで一番走行距離が長いと思います」。3次合宿を抜けて9月の日本インカレに出場した選手には別途、例年はなかった3.5次合宿を設定。ほぼ全員が3度の合宿を経験し、予選会と全日本大学駅伝を戦い抜く体と心をつくっていった。

予選会翌日、新迫の叫びが最悪の雰囲気を変えた

予選会は、全日本大学駅伝を見すえて一部のメンバーを外し、さらに10日前から足に痛みが出た中谷も出場を回避させた。それでも3~6位を狙っていたが、9位だった。順位発表の瞬間、誰一人喜んでいなかった。チームの雰囲気は最悪だった。

箱根駅伝予選会に向けて準備を兼ねられてきたという思いはあった。その結果の9位は、チームに重くのしかかった(撮影・藤井みさ)

翌日のミーティング前、相楽監督は太田智樹を呼び出した。「いまからむちゃなボールを投げるけど、うまくまとめてほしい」。予選会は妥当な結果だったのか。全日本も箱根も「3位以上」を年間目標にしてきたが、全員がそれに見合った努力をしているのか。このミーティングを通じて監督はチームの膿(うみ)を出しきりたいと考え、選手たちの話し合いを後ろから黙ってうかがっていた。「全日本も箱根もシード権獲得が現実的な目標じゃないのか」という意見も出た。

すると新迫志希(4年、世羅)が沈黙を破った。「何でみんな、発言しないんだ!」。その大きな声に、相楽監督も驚いたという。新迫は中国電力の練習に参加していたため、夏合宿には参加していなかった。「そういう意味ではチームにネガティブな意識を持ってる側面はあったと思うんですけど、そんな新迫の言葉をきっかけに、普段発言しないような下級生たちも思いを口にし始めました。流れをつくったのは新迫たち4年生でした」と相楽監督。とくに一般入部組からの「強い早稲田にあこがれて入ってきた」という言葉で、みんな心を決めた。改めてチームは「3位以上」を目標に掲げることにした。

週末には全日本が迫っている。二つのレースを走りきるタフな体づくりを夏合宿から意識して走り込んできたが、誰もが経験のないことだっただけに、想定よりも疲労を感じている選手が多かった。予選会後の3、4日間は回復に専念。前日に刺激を入れ、全日本に臨んだ。1区で16位と出遅れたが、2区の太田智樹が区間新記録での区間4位と意地を見せた。一時は4位まで浮上しての6位で終わった。

全日本大学駅伝では青山学院大の前を走り、3位争いに加わるシーンもあった(撮影・安本夏望)

全日本は、やってきた練習は間違っていなかったという自信をつかみ、3位以内にはまだ足りないものがあると確認する場となった。予選会とは明らかに空気が違っていたと相楽監督は振り返る。「あの一週間は内容が濃くて、精神的にも重たい一週間でしたけど、チームの転機になりました。このままでは本当にまずいと私も含めてみんなが覚悟を決められた。全日本を経てメンタル面で上向いたのが大きかったかもしれませんね」

太田智樹主将の覚悟、箱根の借りは箱根で

11月末の記録会で複数の選手が10000mで自己ベストを出し、箱根に向けてチームの士気は高まっていた。その先頭には太田智樹がいた。

「口数は少ないですけど、ミーティングのときなんかはズバッと要点を射抜いて話をするし、まとめる力も高いんです。前回の箱根で彼の中には自分が(2区でもっと)走れていたらという気持ちがずっとあったでしょうし、その思いとか覚悟は語らなくても背中で伝えてくれるキャプテンだと思ってました」と、相楽監督は言う。それでも最後の箱根を前にしても、太田は「相楽さんが決めたところを走る」と言うだけで、1度も「2区を走りたい」とは言わなかった。「でも彼の姿勢を見てきて、2区で借りを返すという思いを見てきちゃってたので、そこでほかの区間というのは私の中にはなかったです」と監督。自信を持って2区を太田に託した。

10人のメンバーを選ぶ上で最後まで悩んだのは、最終学年で初めてエントリーメンバーに入った三上多聞(たもん、早稲田実)をどうするかだった。1月2日の往路のレース中も、10区を宍倉健浩(ししくら・たけひろ、3年、同)にするか三上にするか、まだ決めきれていなかった。「三上にとってのカギは精神的な変革が起きるかどうかでした。4年目に心の殻を破りかけてたんですけど、それがあと一歩及ばなかったのが残念でした」。最終的に三上を外した。それでも伊澤優人(東海大浦安)も含めた4年生について、監督は「彼らの姿は間違いなく、Bチームや下級生の励みになってました」とたたえた。

箱根駅伝で1区の中谷は積極的にレースを引っ張り、トップと17秒差の6位で太田智樹に襷(たすき)をつないだ。太田は一気に前を追い、先頭集団の中でレースを展開。トップの青山学院大と1秒差で3区の井川へ。5区の吉田匠(3年、洛南)が区間15位と苦しみ、往路は9位。ただ5位の明治大との差は1分37秒と、上位の背中が見える位置ではあった。

中谷はレース前、相楽監督から「大迫や佐藤悠基みたいな、レースの流れをつくるスタイルがお前に合ってると思う」と言われていた(撮影・安本夏望)

復路のスタートとなる6区の半澤黎斗(れいと、2年、学法石川)は区間19位とブレーキ。順位は12位とシード圏外へ。7区の鈴木創士(1年、浜松日体)は、ほぼ単独走となりながらも区間2位の快走で9位に浮上。その後も徐々に追い上げていき、9区で1人、アンカーでも最後にまた1人抜いての7位フィニッシュ。

山区間の5、6区を合わせたタイムは18番目だったが、それ以外の区間の総合タイムは5番目だった。「例年、箱根は5区の結果が勝負に大きく関わるという印象があります。それが、今年は気象条件とかシューズとかの影響もあったんでしょうけど、平地の8区間の方が、勝負への貢献度が高かったのかなと思ってます」と相楽監督。

中谷には大エースになってほしい

前述のように相楽監督は「まだできることはあった」と感じている。監督は今回の箱根で過去最高順位更新した3位の國學院大と5位の東京国際大の校名を挙げて言った。「2校とも1年間ずっといい流れでチームがきてました。もういまの箱根は“一夜漬け”ではごまかせない。夏合宿から頑張ったようなチームだったら、付け焼刃かな。だから学生には『年間を通じて高い目標をもってやらないと勝てないよね』と話してます。それは彼らもこの一年を過ごしてきて肌で感じているところだと思います」

そしてまた新たな一年が始まっている。トラックシーズンから好結果を出す上で、相楽監督は中谷が大エースになることを期待している。もう一つは5000mで全員が自己ベストを出すこと。昨年も多くの選手が10000mの自己ベストを更新したが、5000mの自己ベストをマークしたのは井川だけだった。「去年はけがでシーズン序盤に出遅れてしまったのもあるし、全日本の選考会があったので、6月は10000mメインでやらざるを得ず、5000mを走るチャンスがなかったというのもあります。でも今年のトラックシーズンはスピードを磨くシーズンとして5000mでも自己ベストを出すチームにならないと、駅伝シーズンもうまくいかないだろうと考えてます」

「いまは大学の力が拮抗してて、ちょっとした油断で転落してしまいます。指導者としては苦しいですけど、ある意味で駅伝はいろんなチャレンジをしながら戦える種目になってきたのかな」と相楽監督(右)は言う(撮影・松永早弥香)

吉田が主将となった新チームも「3位以上」を年間目標に掲げている。相楽監督は選手たちに問い続ける。「優勝を目指す努力と、3位以上を目指す努力の間に差があるのか?」と。

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