2時間睡眠で挑んだ箱根駅伝、最終レースは監督夫妻とNYで 駒澤大学・円健介(下)
駒澤大学の円健介(4年、倉敷)は、3年目の箱根駅伝が終わって新チームとなり、最後の1年間は副将を務めることになった。4年で初めて全日本大学駅伝と箱根駅伝を走り、チームの学生3大駅伝三冠に貢献。これまでの軌跡と、「自分のため」から「チームのため」に変わってきた思いについて聞いた。
最後の1年、「誰かのために」陸上をやろう
副将となった円たち新4年生は、新入生として佐藤圭汰(1年、洛南)など強い選手が入ってくることをわかっており、チーム力の充実も感じていた。「三冠を狙おう」と学年で話し合い、それを大八木弘明監督にも伝えた。
もともと、陸上は大学までと決めていた円。最後の1年は、もちろん箱根駅伝を走りたいという気持ちもあったが、「自分のためだけではなく、人のために陸上を頑張ろう」と決めた。学年ミーティングでもそれを同級生にも伝えた。ここまで支えてきてくれた両親、監督、寮母の大八木京子さん、コーチ、そして青山さん……自分が感謝を伝えられるのは、陸上しかないという思いで、改めて取り組んだ。
ずっとジョグを取り組んできた成果が、4年目になってから目に見えて現れてきた。まず故障が少なくなった。そして疲労がたまりにくい体になり、ジョグもポイントも常に高いレベルでこなせるようになった。なにより、積み重ねてきたものが結果になるということを、後輩に示すことができた。後輩のマネージャーにも「円さんがジョグをしてくれるのは、後輩にとっても大きいことだと思う」と直接言われたこともあった。
5月には関東インカレのハーフマラソンで自己ベスト(1時間3分36秒)を更新し、12位。そこが4年目のターニングポイントだったという。夏合宿では田澤がアメリカ・オレゴン州で行われた世界陸上のため別メニュー、山野も体調不良で出遅れ、「自分が引っ張らないといけない」という気持ちで臨んだ。積極的に練習を引っ張り、声をかけた。自分のためでもあったが、それ以上に「チームのために」という気持ちが大きく、その姿を大八木監督もしっかりと見てくれていた。
出雲駅伝ではメンバーに入れなかったが、チームに帯同して出雲に向かった。鈴木芽吹(3年、佐久長聖)がアンカーで優勝のゴールテープを切ったとき、心からうれしさがこみあげてきた。「今までだったら補欠で走れなくて、チームが優勝したら悔しいと思っていたんですが、この時は悔しさが全然なくて。このチームで三冠を本当に狙えるんだ! ととにかくうれしかったですね」
大八木監督から「お前の努力は買ってるから…」
ついに11月の全日本大学駅伝で、円は大学駅伝デビューを果たした。駅伝を走るのが夢だった円にとって、「やっと走れる」というワクワク感が大きかった。ラストはスパート合戦となりしんどい時も、「チームのために」という気持ちが出てきて踏ん張れた。「駅伝ってこんな感じなんだ、と改めて思いました。走りたくても走れない人がいっぱいいて、悔しいながらもサポートに回ってくれてるので、彼らのためにもと思いました」。1区区間4位で、全日本大学駅伝3連覇に貢献した。
全日本で好走できたことでさらに自信が深まり、2週間後の上尾ハーフマラソンでは自己ベストを大きく更新する1時間1分51秒をマークし、日本人学生トップとなる2位。最後の箱根駅伝のメンバー入りを確実なものとした。
箱根駅伝の1週間前からは、普段の生活をしていて、まったく気にならないことが気になってしまったり、布団に入ったら自分が熱く感じて寝られなかったり、いつもと様子が違うと感じた。緊張しているつもりはなかったが、体がいつもと違う反応を示していた。レースの5日前、大八木監督に「お前の努力は買ってるから、自信を持って使える」と声をかけられ、今までで一番うれしく思った。
三冠は、うれしすぎて逆に涙が出なかった
都大路のときと同様、本番前の日は2時間睡眠。だが違ったのは、「絶対にいける」と自信を持って臨めたことだ。「駅伝を走るなら1区を走りたい」と思っていた円は、全日本と同様、1区にエントリーされた。大手町のスタートラインから号砲とともに走り出した。レースは関東学生連合の新田颯(育英大4年)が飛び出し、その他の選手は大集団となって進んだ。六郷橋のポイントでも円には余裕があった。
誰かしら仕掛けるだろうと考え、前の方に誰かが来ても反応できるように、と考えていた。予想通り六郷橋を渡ったあと、明治大の富田峻平(4年、八千代松陰)が仕掛けた。猛烈なスピードにはじめは置いていかれたが、ラストでしっかりと粘れる余裕があった。富田から遅れること9秒、区間2位での襷(たすき)リレー。自分の役割をしっかりと果たす走りだった。
小田原中継所でトップで襷渡しをした駒澤大は、復路は一度もトップを譲らずに大手町のフィニッシュ地点へ。円たちは、アンカーの青柿響(3年、聖望学園)を笑顔で迎えた。大学初の三冠を達成した瞬間だった。
「三冠を達成して、うれしくて泣くだろうと思っていたんですけど、うれしすぎて逆に涙が出てこなかったです。この1年間三冠を目標にやってきて、達成できて、チームのみんなで喜べたのも大きかったです。うれしさを分かち合うことができました」
人から尊敬される人になりたい
円はかねてから言っていた通り、大学で陸上をやめる。上尾ハーフマラソンの結果を見て声をかけてくれた実業団もあったが、就職が決まっている一般企業に進み、社会人経験を経て、いずれは実家の寺院を継ぐ予定だ。まだやれるのでは……と思わず声をかけると、「高校、大学と強豪校でやってきて、箱根駅伝以上の目標を持ってやるモチベーションが持てなかったというのもあります。心の底から、悔いなくやりきったと言えると思っています。現役は終わるけど、趣味で走ったり、楽しく陸上をやれたらいいのかなと思います」と穏やかに話す。
円の現役ラストレースは、上尾ハーフマラソンの結果で出走権を勝ち取った3月19日のニューヨークシティーハーフマラソン。それまでは練習を継続し、しっかりと引退レースを飾るつもりだ。大八木監督と妻の京子さんが帯同予定になっており、「お2人にもニューヨークを楽しんでもらいたいです」と笑う。
円が入学する前から気にかけてくれていた青山さんは、円について「本当に一生懸命練習する選手でした。4年生まででやりきるという決断をして、諦めずにずっと努力し続けて結果を残してくれて、本当に頑張ったなと思います。今後も『円さんのようになりたい』と憧れる後輩が出てくると思いますし、良い伝統が受け継がれていくと思います。僕を尊敬してくれていると言っているのは素直にうれしいですが、僕も彼のことを尊敬しています」と話してくれた。
卒業後は、自分たちが青山さんやOBの先輩方にしてもらったように、チームを助け、恩返しをしていきたいとも思っている円。「自分が尊敬できる先輩がいたので、その人のように……人から尊敬される人になっていきたいなって思います」と話すが、青山さんが言った通り、すでにその努力と姿勢は、多くの選手を勇気づける存在となっているのではないだろうか。