陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2023

「これが箱根駅伝なんだ!」田澤廉が見せた走りが分岐点に 駒澤大学・円健介(上)

目指していた箱根の舞台で好走し、チームの三冠に貢献した円(撮影・北川直樹)

2022年度に駒澤大学の副将を務めた円健介(4年、倉敷)。自らも4年で初めて全日本大学駅伝と箱根駅伝を走り、チームの学生3大駅伝三冠に貢献した。自分のためにから、チームのために。これまでの軌跡と、変わってきた思いについて聞いた。

思ってもみなかった強豪校からのスカウト

岡山県笠岡市出身の円。小学4年生のときにあった学校単位のリレー大会で、走ることの楽しさを感じ、地元の陸上クラブチームに入団。5年生から長距離をはじめ、笠岡西中学校でも陸上部に入部した。

中2の秋頃からは県大会にも出られるようになり、中3では中国大会出場を目指して練習していた。結果的には中国大会出場はかなわなかったが、岡山県内で上位の成績を残す選手になっていた。そこに、県内ナンバーワンの強豪である倉敷高校から声がかかった。

スカウトされた時は、正直戸惑ったという。「もちろん高校でも陸上をやりたいとは思っていたんですけど、正直倉敷に行くとは考えてもいませんでした。そこまでガチでやるとは、という感じでした」。だが、チャンスがあるのならば、と入学を決めた。

陸上をはじめた頃はこんなに本気で取り組むとは思ってもいなかった

円が入学した時点で、倉敷高校は全国高校駅伝(都大路)に38年連続出場していた。少数精鋭、全員で30人ほどの寮生活。初めて親元を離れ、「きつかったです」と振り返る。この年、出場39回目にして倉敷高校は悲願の全国初優勝を果たした。3年生の戦力は充実していた。中央学院大学に進んだ畝歩夢(現・埼玉医科大グループ)、中央大学に進んだ畝拓夢(現・日立物流)の兄弟に、若林陽大(中央大4年)の兄で駒澤大に進んだ大輝さん、明治大学に進んだ前田舜平さんら、そうそうたる面々がそろい、「レベルが違うと感じました。こんなところでやっていくんだなと思いました」。

駅伝メンバー入りも、負のスパイラルに

高1最後の試合で5000m14分台を出すことができ、同期と切磋琢磨(せっさたくま)しながら成長していった円。2年生では都大路のメンバー入りを果たした。アンカーを担当し、2位でもらった襷(たすき)の順位を守ってゴールにたどり着いたが、区間45位と苦しんだ。「『自分のせいで優勝できなかったらどうしよう』と考えてしまい、夜2時間ぐらいしか寝られませんでした。緊張していたし、自信もなかったですね」と振り返る。

とにかく悔しかった。都大路の後の帰省期間も1人で寮に残って練習したが、結果的に胃腸炎になってしまい帰省。練習を再開したあとも疲労骨折に見舞われ、けがが治ってもずっと不調のまま、自己ベストの更新もできない、負のスパイラルに陥ってしまった。

大学で陸上を続けてみようと思ったのは、「箱根駅伝を走ってみたい」という気持ちが心のどこかにあったからだ。駒澤大は円が実力を伸ばし始めた高2の秋ごろに声をかけてくれた。高3で不調となった円に、他のスカウトは来なかった。「厳しいチームなんだろうな」と迷う気持ちはあったが、駒澤大に進学することにした。

実際に入学してみると、環境が整っていることに驚かされた。練習はもちろん、高校時代よりきつくなった。同級生の田澤廉(4年、青森山田)がすぐにAチームに合流しているのを「すごいな」と思う反面、円は高校時代の不調を引きずってしまい、前期はほぼ走れない状態だった。夏合宿でも苦しみ、秋になってからようやく本来の走りが戻ってきた。12月の日体大記録会では5000mの自己ベストを2年ぶりに更新。やっと大八木弘明監督からも声をかけられるようになった。

「自分も走りたい!」そこから変わった

1年目の箱根駅伝、円は1区と10区の走路員を担当した。往路では早々に走路員の仕事が終わると、同級生の北厚(成田)、藤本優太(聖望学園)、前垣内皓大(世羅)とともに田澤が走る3区まで応援に向かった。沿道にぎっしりと人が駆けつけ、その中を走っていく選手たち。初めて箱根駅伝を生で見て、「これが箱根駅伝なんだ!」と感じた。「自分も走りたいなと、強く、改めて思えました」。これが円のターニングポイントになった。

田澤(右)の走りが円の心を大きく動かした(撮影・松永早弥香)

そこからはまず、ジョグの取り組みを変えた。駒澤大では週3回、80分ジョグの時間が設けられているが、ペースは各自に委ねられている。「長い距離を走るには、ジョグが一番大切かなと思って、そこからしっかりしようと決めました」。ポイント練習のあとに体がきつかったとしても、80分間、最低1km5分のペースで16kmは走る、と決めた。

しかし、もともとポイント練習についていくのにいっぱいいっぱいだったところに、ジョグでも追い込んだため、ポイントでもっときつくなって離れ、何度も何度も怒られた。「でもその期間は、ジョグしながら粘れればいいや、と割り切っていました。いろいろ言われて悔しかったけど、結果で見返してやると思っていました」。ポイント練習で離れると監督の評価が下がり、駅伝のメンバーに使ってもらえないかもしれない、と考えて気にする選手もいたが、円は自分が強くなるため、考えたことを貫ける選手だった。

一方で主務の青山尚大さんにだけは「自分はこういう意図でやっています」と考えを打ち明けていた。青山さんは、円の高校時代からの先輩・若林大輝さんと同級生で仲が良く、巨人ファンという共通点もあって、入学前から円のことを気にかけてくれていた。

青山さんと東京ドームに巨人戦を見に行くことも(左が円、本人提供)

箱根優勝にも「うれしい」より「悔しい」

ジョグを続けた成果が徐々に現れ、夏合宿も1年時よりは練習ができるようになった。夏を乗り越えて涼しくなれば、より走れる。10月の東海大記録会5000mでは13分58秒33をマークし、初の13分台に突入。「やっと結果で示すことができたと思いました」。大きな自信となった。

箱根駅伝では16人のメンバーには入ったが、はじめから「走らない」とわかっていたという。先輩の小林歩(現・NTT西日本)や佃康平さん、同級生の山野力(4年、宇部鴻城)、後輩の花尾恭輔(3年、鎮西学院)などと比べても、長い距離を走れる力が圧倒的に不足していると自覚していた。

5区にエントリーし、当日変更で走ったのは鈴木芽吹(3年、佐久長聖)。当日は寮で鈴木と同じ時間に起きて、2人とも体調を確認し、改めて「円はメンバーから外れる」と言い渡された。この年、駒澤大は13年ぶり7回目の総合優勝を飾った。だが、円には「うれしい」より「悔しい」思いの方が強かった。「青山さんの存在が大きくて、青山さんが運営管理車に乗るのも最後だったので、青山さんの前を走って恩返ししたいという気持ちがありました」。この悔しさを次にしっかりつなげなければ。改めて決意した瞬間だった。

自分の走りで青山さんに恩返ししたい。より強く思った(本人提供)

その思いを持って臨んだ3年時、前半のトラックシーズンは故障で出遅れたものの、苦手だった夏合宿もBチームでポイント練習を完璧にこなせた。9月の日体大記録会では13分48秒67をマーク。箱根駅伝前の合宿でも練習をしっかりこなせ、メンバー発表の前の強度の高いポイント練習も、主力と一緒に余裕を持ってできた。「去年よりは確実にメンバーに入った」という手応えがあったものの、16人のメンバーにすら入れなかった。

「本当に悔しかったです。でもこの年は田澤が主将、山野が副将を務めていて、自分も学年リーダーをやっていたので、『自分のことだけじゃだめだ』という気持ちがありました。悔しいけど、チームのために自分がやるべきことをしっかりやらなければ、と考えていました」

2時間睡眠で挑んだ箱根駅伝、最終レースは監督夫妻とNYで 駒澤大学・円健介(下)

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