陸上・駅伝

駒澤大・田澤廉、世界陸上で感じた自分の立ち位置 駅伝シーズンは「区間賞区間新を」

7月の世界陸上は田澤にとって初のシニアの世界大会だった(代表撮影)

駒澤大学のエースで、学生長距離界トップの実力を持つ田澤廉(4年、青森山田)。7月にアメリカ・オレゴン州ユージンで開催された世界陸上に現役の大学生として出場した。改めて世界の舞台を経て感じたこと、学生最後となる駅伝シーズンに向けての思いを聞いた。

駒澤大・田澤廉「世界との差を感じることもできなかった」 初の世界陸上で残した悔い

万全の状態ではなかった世界の舞台

田澤は日本時間の7月18日、10000mに出場して28分24秒25で20位。前半は集団について走ったものの、後半は徐々に遅れ、次第に苦しい表情となった。「5000mまでは14分1桁台ぐらいで通過して、そこから一気に2分40秒に上がりました。その時は自分なりに対応できたんだけど、差し込みがきてしまったのと、左足の状態があまりよくなくてついていけなかったです」

レースがあったのは現地時間の午後1時。日本ではあまりない時間帯ということもあり、食事などの量の調節などもいつもとは違い、それが原因で差し込みがきてしまったかもという。田澤は5月の日本選手権10000mでは10位で世界陸上即内定とはならなかったが、他の選手の結果次第では代表選考の可能性を残していたため、強度の高い練習を継続してきた。その疲労の蓄積なのか、左足の感覚がなくなっていて「ちょっとおかしいな」と感じていたという。万全の状態ではなかったのか、という問いに「そういうことになりますね」と答えた。

高校の時にもジュニアの世界大会に出場した経験があるが、やはり世界陸上の舞台はスケールの違いを感じたと田澤。「シニアのレベルはまったく違うな! と感じました」。上位の選手は、9000mぐらいまではアップのような雰囲気さえあり、ラスト1000m、400mでの勝負の世界だと改めて目の当たりにした。今回のレースでも、最後の1周は53秒。「800mのようなスピードがないといけないです。今の自分では、1本だけならそのスピードで走れますが、9000mまで走ってきてからは無理ですね」。そして考えるのは、「特化しないと勝てない」ということだ。

田澤(中央)はラスト1000m、400mでの勝負の世界だと改めて知った(代表撮影)

「自分のように駅伝やトラック、バラバラな状態でやっているよりは、一つの種目に集中できる選手の方が強いのかな、と思ったりもしました。26分台で走る選手はもちろん5000mでも速いんですけど、自分にはそういう力がないので……。本当に世界で戦うためには、一つの種目に対して特化していかないといけないのかなと感じました」

主将、エースとして引っ張り続けた3年目

現状では駒澤大のエースとして、トラックだけではなく駅伝でも結果が求められる状況だ。田澤は大学2年生の時にも12月にあった日本選手権の10000mに出場し、この時は自己ベストを更新する27分46秒09の好記録。しかし1カ月後の箱根駅伝では2区区間7位と、本来の力を100%発揮しきれたとは言えなかった。

だが同様にトラックと駅伝に臨んだ昨年度は、出雲駅伝こそアンカーの6区で東京国際大学のイェゴン・ヴィンセント(4年、チェビルベルク)に区間賞を譲ったものの、全日本大学駅伝7区、箱根駅伝2区では他大学のエースを抑えて区間賞を獲得した。さらに12月の日体大記録会で日本人学生新記録となる27分23秒44をマークし、世界陸上の派遣標準記録を突破した。

「昨シーズンは東京オリンピック出場に照準を合わせていたけど、(出場が)難しかったので。そこからすぐに『世界陸上には絶対出たい』と切り替えました。『12月に(標準記録を)切りに行く』と決めて、駅伝もありつつも標準記録の突破を意識づけて練習にも取り組んでいました」

2年生での箱根駅伝の2区を走り「坂がきつい」と感じたため、1年間通して2区の上り坂をイメージしてトレーニングしてきたことも好結果につながった。全日本大学駅伝の7区では1年生でマークした52分09秒から50分36秒へ、箱根駅伝2区では1時間07分27秒から1時間6分13秒へと、それぞれ1分以上記録が縮まった。「力がついたなと感じました」と手応えを語った。

昨シーズン、田澤は主将としてエースとしてチームを支えてきた(撮影・西畑志朗)

さらに昨年度は主将の役割もあり、エースとしてチームを引っ張る存在でもあり、「ほぼ自分の時間がなかった」と振り返る田澤。今年度は同級生の山野力(4年、宇部鴻城)が主将となり、役職からは外れた。率直に「楽になった」と言い、チームのことをまったく考えないわけではないが、自分の時間が取れるようになったと話す。

今シーズンのチームとしての目標は、昨年と同じく3大駅伝三冠だ。個人としては「区間賞はもちろん取って、区間新記録も狙っていきたい」。特に全日本大学駅伝は駒澤大学にとっても相性が良く、田澤も3年連続で区間賞を取っている。「4回(区間賞を)取りたいですね」。7区、8区、7区といずれも長い区間を走ってきたが、「勝っていく上では後輩に長い区間を体験させることも必要だと思っています」と上級生らしい視点から全体を見ている。

チームとしてはけがをしている選手も徐々に戻ってきている。後輩の中で期待する選手をたずねると、篠原倖太朗(2年、富里)の名前をあげた。「練習の取り組みへの姿勢がいい」というのが理由だ。「やろう、と気迫で伝わってきます。そういう選手が上がってくるし、強くなると思います」。もちろん他の選手も今からでも上がってくるし、強くなる可能性もある、と言い添えた。

世界大会に毎回出られるような選手に

田澤は基本的にずっと1人で練習を継続している。実力を伸ばしたチームメートが練習をともにすることもあるが、けがをして離脱してしまったり、体が追いつかなくてAチームに戻ったりすることが多々あるという。このスタイルで実力を伸ばしてきたことはたしかだが、「自分より上の選手と練習してみたいという気持ちはずっとありますね」と本音ものぞかせる。

駅伝とトラック、ともに走る難しさを感じながらも、チームの目標である「3大駅伝三冠」に向けて力を尽くす(代表撮影)

今回、世界陸上で5000mの代表として出場した遠藤日向(住友電工)は、実業団に籍を置きながらアメリカ・オレゴン州のバウワーマン・トラッククラブ(BTC)で練習を積んできた。「大学にいるうちは(アメリカなどを練習拠点にするのは)厳しいと思いますが、自分も実業団に入ったらそういうところに行きたいという気持ちはありますね」。それは田澤が明確に世界を見ているからだ。

「今回走り終わってすぐ、『また出たいな』と思ったんです。来年はまた世界陸上(ハンガリー・ブダペスト)があるし、24年にはパリオリンピックもある。必ず出場する選手になりたいし、出場するだけじゃなくて、体験したことを無駄にせずにしていきたいです」

パリオリンピックまでは10000mをメインに考えている。来年のブダペスト世界陸上の参加標準記録は、27分10秒00とオレゴンよりも18秒も速くなった。田澤も自己ベストを更新し、標準記録を切りに行く必要があるが、このあと駅伝とトラックの練習をどのバランスでしていくかはまだ決まっていないと話した。もちろん「挑戦はしたい」と口にした田澤。大学ラストイヤーに得た大きな経験を糧に、今後も大きく躍進していくことを期待したい。

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