駒澤大・篠原倖太朗 向上心が強い学年のエース「誰かから憧れてもらえる競技者に」
「誰も俺のことを取り上げてくれない」。ふざけたように発した言葉が、本心のように感じて、私は篠原倖太朗(2年、富里)を記事にしたいと思った。
駒澤大学は、今年度の出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝の学生3大駅伝をすべて制し、史上5校目、駒澤大としては初の三冠を達成した。箱根駅伝終了後には28年間指導してきた大八木弘明監督勇退の発表もあり、多くのメディアで関連の記事が多数掲載されたが、スポットライトが当たるのは限られた選手のみ。篠原は全日本大学駅伝と箱根駅伝に出走し、いずれも区間2位の好走を披露したが、なかなか取り上げてもらえずにいた。
大腿骨の骨折とヘルニアで昨年の出雲を走れず
大学に入学した頃、5000mの自己ベストは14分36秒11。同期の中でも決して速い方ではなかったが、大八木監督からは注目選手に選ばれていた。当時から大成長の片鱗(へんりん)が見えていたのだろうか。1年時には「自分の陸上人生を大きく変えた」と振り返る全日本インカレの5000mで、青山学院大学の近藤幸太郎(当時3年、豊川工)に続く2着。出雲駅伝では1区を走った。2月の全日本実業団ハーフマラソン大会では、初のハーフマラソンで1時間1分1秒の好タイムを記録。2年になっても、コンスタントに記録を出し続け、5000m、10000m、ハーフマラソンのすべてで自己ベストを更新した。
順調に思われた大学陸上生活だが、故障に悩まされることも多かった。1年時の全日本大学駅伝と箱根駅伝は故障のために出走がかなわず、昨年の出雲駅伝は、夏に大腿骨(だいたいこつ)の骨折、腰のヘルニアを患い、走れない期間が続き、エントリーから外れた。大腿骨の骨折は、篠原が「憧れ」と話す田澤廉(4年、青森山田)や鈴木芽吹(3年、佐久長聖)も経験し、時期も駅伝シーズンまで期間があったことから、あまり焦りはなかったという。だがヘルニアは、駅伝シーズンの直前で、歩けなくなった。出雲駅伝に間に合わないことが分かり、悔しがっていた時、大八木監督からは「『いい経験してるよ』と前向きに考えられるような言葉をもらった」と話す。
「自分は強くなっている」と実感した全日本
「練習はけが明けということもあり、完璧にできていたわけではなく、自分の中では不安もあった」という中で迎えた昨年の全日本大学駅伝。篠原は5区にエントリーされ、区間2位の好走を見せた。「監督が自分を使ってくれたので、しっかり応えようと思い、走って、区間2位というのは悔しい部分もある。しかし、1年生の時に比べれば『自分は強くなっている』と改めて思った」と振り返った。
「調子は絶好調。練習も完璧にできている」と満を持して迎えた箱根駅伝。「自分はまだ伸びしろがあって、競技者として完璧ではない。駒大のエース格と言われるまでは、気持ちでやってきた。他大の2年生には負けないという気持ちがある」と意気込み、当日変更で3区にエントリー。実はこの出走には紆余(うよ)曲折があった。出走が予定されていた選手たちに体調不良者が続出。得手不得手が少ない万能型の篠原は「出走はずっと決まっていたが、3区を走ることに決まったのは12月31日。最初は4区予定だったが、6区→7区→1区→7区→最終的に3区に決まった」とぎりぎりまで、自分の走る区間が分からなかったそうだ。
2区の田澤から2位で襷(たすき)をもらうと、青山学院大とともにトップを走る中央大学を追った。最初に仕掛けたのは篠原。18km手前でペースを上げると、そのまま青山学院大を突き放し、4区の鈴木へ襷リレー。「大八木監督から『もう少し早く出ろ』とは言われたが、あの状態でラスト5km(約16km地点)から出ても、少し不安があった。また力をつけて、『ついた』と思ったらラスト5kmから仕掛けられるようにしたいと思う。今回はこれで良かった」と話した。
離れそうなときは「こなせたら強くなれる!」
篠原は「強くなりたい気持ちが強すぎる」と自己分析する。日々の厳しい練習はつらくないかと尋ねると「好きで陸上してるので、つらくはない。ただ、練習で離れそうな時は『この練習こなせたら強くなれる!』と思って走っている」と答え、向上心の強さをうかがわせた。練習をやりすぎることで故障も多い篠原に、大八木監督から「まだ走るな。やりすぎるな」と声がかかるほどだ。田澤も篠原について「これからを担っていく選手。気持ちが強い。積極的に自分(田澤)とやりたいと言ってみることが、篠原自身を強くしているのかなと思う。これから見たら面白い選手」と話し、憧れの先輩からの期待も大きい。田澤は卒業後、大八木監督との二人三脚で世界を目指すが、その指導に篠原も混ざるようだ。
またコミュニケーション能力が高く、コマスポが昨年12月に行った「なんでもランキング」の仲の良い先輩後輩部門では、断トツの票数で赤星雄斗(3年、洛南)とのコンビがトップに。篠原は鈴木のことを「お師匠さん」と慕い、先輩・後輩問わずご飯に行くことも多いそうだ。箱根駅伝後に行ったオンライン取材では、先輩である鈴木や安原太陽(3年、滋賀学園)がコマスポの記者になりきって、篠原の取材を行うというほほえましい一幕もあった。
現在の成績を見れば、十分活躍しているように感じるが、本人は「まだまだです」と一言。
「箱根駅伝が終わって、駒大2年生エースとして自分が一番注目度が低い。しっかり自分が駒大のエースと呼ばれるようにしたい。今各学年にエースが1人ずついるが、自分が一番レベルの低いエースだと思われていると思う。自分が一番走れるエースだと言われるようにしたい」と現状に満足する様子はない。取材中には「エース」という言葉をよく発することからも「エース」への強いこだわりが感じられる。大学生活はあと2年。「田澤さんと(鈴木)芽吹さんに自分が憧れたように、自分も誰かから憧れてもらえるような競技者になる」という大きな目標に向かって、今後も練習に励む。