陸上・駅伝

特集:第34回出雲駅伝

駒澤大・鈴木芽吹 けがから復活の出雲路 支えられた感謝とうれしさに流した涙

ゴールした後、安原に抱きしめられる鈴木(すべて撮影・藤井みさ)

第34回 出雲全日本大学選抜駅伝競走

10月10日@島根・出雲大社~出雲ドームの6区間45.1km
優勝  駒澤大学    2時間08分32秒
2位 國學院大學   2時間09分24秒
3位 中央大学    2時間09分48秒
4位 青山学院大学    2時間10分18秒
5位 順天堂大学   2時間10分50秒
6位 創価大学    2時間10分52秒
7位 法政大学    2時間11分54秒
8位 東京国際大学  2時間11分59秒

10月10日に開催された第34回出雲駅伝で、駒澤大学が2013年の第25回大会以来、9大会ぶり4度目の優勝を果たした。アンカーとしてゴールテープを切った鈴木芽吹(3年、佐久長聖)はゴールに向かう最後の直線に入ると腕を突き上げ、高々と「1」を掲げてフィニッシュ。その目には光るものがあった。

1月の箱根駅伝以来のレースで実力を示す

「学生3大駅伝三冠」を目標に、初戦となる出雲駅伝もしっかりと優勝を狙っていた駒澤大。1区の花尾恭輔(3年、鎮西学院)が区間2位で流れを作ると、2区は追い風に乗り、スーパールーキーの佐藤圭汰(1年、洛南)が従来の区間記録を20秒も更新する衝撃の走りで先頭に立つ。3区田澤廉(4年、青森山田)、4区山野力(4年、宇部鴻城)はそれぞれ区間2位、5区安原太陽(3年、滋賀学園)は区間賞の走りで一度もトップを譲ることなく、襷(たすき)は鈴木へ。この時点で後ろを走る中央大とは、44秒の差がついていた。襷をもらった鈴木は力強い走りでペースを刻み、後続との差をさらに引き離した。ゴール奥ではチームメートたちが「めぶき、めぶき」とコールをして鈴木を迎え入れ、ゴール後には鈴木を中心に歓喜の輪ができた。

雄叫びを上げながらゴールに飛び込んだ

鈴木は入学してから順調に記録を伸ばし、実績を積んできた。1年時の9月の日本インカレでは、5000mで13分43秒07をマークし3位。新型コロナウイルスの影響で出雲駅伝は中止になったが、全日本大学駅伝で大学駅伝デビューを果たすと、エース区間の3区で区間5位。箱根駅伝では山上りの5区で区間4位と、ルーキーイヤーから実績を積み上げた。2年時にも5月の日本選手権10000mで田澤と走り、日本人学生歴代3位となる27分41秒68を記録。田澤と練習をともにし、田澤からも「自分の次のエースは鈴木」と認められる実力者へと成長した。

順風満帆な選手生活が一転、けがに苦しんで

しかし昨年9月に右大腿骨(だいたいこつ)の疲労骨折が判明すると、出雲駅伝、全日本大学駅伝への出場は回避。けがからの復帰レースとなった箱根駅伝は復路の8区にエントリーされ、しっかりとした足取りで走り出したが、12km過ぎから次第に苦しい走りとなり、区間18位でなんとか襷をつないだ形となった。このときに左大腿骨を疲労骨折していた。レース直後は歩くことはおろか、自分で動くことすらできないほどの痛みで、コーチやチームメートにおぶられて帰るほどだったという。

もともと疲労骨折をしがちだという鈴木は、高校2年の時にも同様のけがをしていた。しかし今回はレース中でのけがで無理をしたこともあり、今までで一番痛みを感じたと話す。「1ヶ月ぐらいはトイレやお風呂も自分だけでは行けなくて、誰かの助けがないと動けない、生活できないという感じでした」と振り返る。入学してから順風満帆とも言える選手生活。常に結果を出し続けてきたが、それができなくなり、どうしたらいいのかわからなくなった時もあったという。そんな時にたくさんの人が鈴木を支え、助けてくれた。「本当に周りの人たちに恵まれて、チームにも『ゆっくりでいいから戻ってきてほしい』と言ってもらいました。自分に自信をなくした時期もあったんですが、『このままじゃだめだ』というのはすごく思えました」

同級生の安原(左)、花尾(右)と記念撮影

7月ごろからポイント練習を再開したが、復帰段階ということもあり夏合宿でもひたすら距離を踏む、などの練習はそこまでできなかった。スピード練習ができるようになれば調子は戻ってくるという感覚を持っていたが、練習を積み上げないと体も、土台も作られない。まだそこが足りておらず、不安な気持ちはあった。

不安な気持ちを消してくれた恩師と先輩の後押し

今回はもともと鈴木が3区、田澤が6区の予定だった。それが1週間前に田澤が体調を崩し、田澤が3区に回ることになった。鈴木は大八木弘明監督からアンカーへの起用を言われた時に「不安があります」と伝え、田澤にも「無理です」と気持ちを打ち明けた。しかし大八木監督からは「世界をこれから目指すんだったら、出雲アンカーぐらいでびびってちゃだめだ」、そして「次のエースになるんだったら、もう覚悟を決めてやれ」との言葉をもらった。田澤からも「力もあるし、普通に走れば大丈夫」と言われた。信頼する監督と先輩にも背中を押され、気持ちを入れて走ることができたと話す。

走っている間も、沿道からたくさんの応援をもらった。ゴールテープを切る前から鈴木の目は少しうるみ、優勝インタビューの際は涙をぬぐうシーンもあった。「なかなかレースに復帰できない苦しい時期が続いて、だからこそいろんな人に支えられているのを感じました。本当に走れる感謝、支えられている感謝を感じて、嬉(うれ)しい気持ちと感謝の気持ちで涙が出てききました」と心境を明かす。

鈴木が流した涙は、嬉しさと感謝の表れだった

「駒澤の次のエース」と誰もが認める鈴木。では、本当にエースになるためには何が必要か? と問われると「エースは常に他校の選手に勝つことが必要だと思ってます。田澤さんも今回体調不良があったけど、やっぱりさすがの走りでチームを引っ張ってくれたなと思っています。まさに田澤さんという先輩がエースだと思っています」。世界に挑戦する偉大な先輩の背中を追い、不安を克服し、次に進むための一歩を踏み出した鈴木。調子は7〜8割まで戻ってきているといい、ここからけがをしないように気をつけながら、練習を積み上げていく。

チームは「学生3大駅伝三冠」に挑戦できる権利を得た。頼もしい戦力が戻り、次は53大会中14回優勝という抜群の相性を誇る全日本大学駅伝へと臨む。

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