陸上・駅伝

連載:M高史の陸上まるかじり

特集:第99回箱根駅伝

OBの立場として見た「駒澤大学三冠」 大八木弘明監督、妻の京子さんに伝えたい感謝

アンカーの青柿選手を笑顔で出迎える大八木監督と選手・スタッフの皆さん(代表撮影)

第99回箱根駅伝で2年ぶり8度目の総合優勝を飾った駒澤大学。往路・復路も制しての完全優勝でした。また今年度は出雲駅伝、全日本大学駅伝、箱根駅伝で優勝を飾り、大学3大駅伝の三冠を達成しました。大八木弘明監督にとっても指導29年目(コーチ、助監督を含む)で悲願の三冠達成。今回は、歓喜に沸いた駒澤大学陸上競技部の皆さんのお話です。

まずは、選手コメントをご紹介します。

1区(21.3km)円健介選手(4年、倉敷)区間2位 1時間02分53秒
「箱根駅伝の1区に特に強い憧れがあり、昨年の帰省期間中に寮から(1区の勝負所である)六郷橋まで往復約30kmJOGをしたり、それくらい走りたいと思っていました。スローペースでしっかり箱根を楽しむ余裕があり、誰か仕掛けてくるというのが頭の中にありました。区間2位といういい位置で渡せたのはよかったなと思います。三冠を達成できたのはよかったです」

1区の円選手(左)から田澤選手へ、4年生同士の襷リレー(撮影・北川直樹)

2区(23.1km)田澤廉選手(4年、青森山田)区間3位 1時間06分34秒
「今回(昨年)12月頭に体調不良になって、不安のある中でのレースでしたが、夏頃に監督が勇退されると聞き、三冠への思いが強まりました。自分達は監督が喜んでくれる姿が見たくて頑張れたのもあるので、最後にその姿をしっかり見られたので自分達もやってきてよかったです。三冠をプレゼントすることができてうれしいなという気持ちです」

昨年12月上旬にコロナ陽性判定を受けたものの箱根では粘りの走りを見せた田澤選手(撮影・藤井みさ)

3区(21.4km)篠原倖太朗選手(2年、富里)区間2位 1時間01分58秒
「自分は(走る)区間がなかなか決まらなかったのですが、それくらい監督にどこでも走れると思っていただけていたと思います。青山学院大学との差は広げることができ、中央大学との差は少し広がってしまいましたが最低限走れたと思います。初めての箱根駅伝で憧れの田澤さんと(鈴木)芽吹さんの間で走れて、自分にとって宝物で幸せな時間でした。(来シーズン)上級生になるのでしっかりとチームを引っ張っていけるようにしたいです」

来季以降の活躍も期待される3区の篠原選手(撮影・藤井みさ)

4区(20.9km)鈴木芽吹選手(3年、佐久長聖)区間3位 1時間01分00秒
「前回大会でブレーキをしてしまって、その時に(チームが)何も言わずに迎えいれてくれて、この1年を支えてくれたのがすごくうれしかったです。出雲は走れたのですが、とにかく箱根で結果で返したいというこの1年でした。出雲の後、けがもあったのですがなんとしてもあきらめない気持ちでした。納得のいかない結果でしたが、襷(たすき)をつなげてホッとしましたし、前回の借りを返せたかなと自分の中では思っています。明日からは自分達が最上級生です。協力して切磋琢磨(せっさたくま)して田澤さんたちの穴を埋めていきたいです」

青山学院大の太田選手と一緒に小田原中継所へ飛び込んできた4区の鈴木選手(撮影・北川直樹)

5区(20.8km)山川拓馬選手(1年、上伊那農業)区間4位 1時間10分45秒
「応援とサポートのおかげでトップでゴールすることができました。上り坂のところでキツくなってしまいましたが、詰められたところで離すことができました。来年も自分が5区を走って、69分台で走れるように、しっかり練習をしていきたいです」

往路優勝のゴールテープを切った山川選手(撮影・浅野有美)

6区(20.8km)伊藤蒼唯選手(1年、出雲工業)区間賞 58分22秒
「6区に決まったのがギリギリで、不安もありましたが自分の走りをしっかりしようと思って臨みました。最初の上りから自分の走りができました。結果としては区間賞をとることができ、チームに貢献する走りはできたかなと思います。(16人の)メンバーに入った1年生4人が(来年度入学の)ルーキーを引っ張っていって、もう1回三冠できるチームにしたいです」

7区(21.3km)安原太陽選手(3年、滋賀学園)区間5位 1時間03分18秒
「直前に7区を走ることになりました。昨年の3区でチームに大きな迷惑をかけてしまったので借りを返そうと、しっかり走ろうと思っていました。前半突っ込んで、後半耐えて、上げていくつもりでしたが、後半思うように上がらず区間5位と悔しい結果でした。今回いい経験をさせていただいたので、また来年三冠目指したいです」

チーム内で唯一区間賞を獲得した6区の伊藤選手(左)と7区の安原選手(撮影・吉田耕一郎)

8区(21.4km)赤星雄斗選手(3年、洛南)区間4位 1時間04分37秒
「前回、当日変更で悔しい思いをして、今日まで忘れずにその悔しさを晴らそうと挑みました。きつかったですが、繋(つな)いでくれた選手やサポートメンバーを思い、最後までもがいて襷を渡せました」

9区(23.1km)山野力選手(4年、宇部鴻城)区間3位 1時間08分26秒
「正直不安もありましたが、今年1年みんながしっかりついてきてくれたおかげで三冠することができました。みんなには本当に感謝しています。最高の1年間でした。ありがとうございました」

8区の赤星選手(左)からトップで襷を受けた主将の山野選手(撮影・井上翔太)

10区(23.0km)青柿響選手(3年、聖望学園)区間2位 1時間09分18秒
「三冠のかかるアンカーで緊張もありましたがが、走ってみて自分の走りはしっかりできました。ただ、区間賞を取れなかったのと、今のままでは来年メンバーに入れないので、来年往路を走るつもりで練習していきたいです」

続いて、藤田敦史ヘッドコーチ、高林祐介コーチのお話です。

藤田敦史ヘッドコーチ
「すごいプレッシャーのかかる中で戦ってくれたと思います。本来走るべき選手を欠く中での戦いでしたが、このチームのコーチという目線ではなくても、ひいき目に見なくてもすごく強いチームができたと感じました。コーチとして私が就任したのが2015年。私たちが大学4年生の時にも三冠を狙っていましたが、その時は(第75回)箱根の9区で逆転されました。2013年度にもチャンスがあって、その時も(第90回)箱根で勝てなくて、三度目の正直でした。『これだけ勝ち続けてきた監督にあと足りないのは三冠だけ』と4年生が感じて言い続けてきました。自分達が三冠できなくて監督に恩返しできなかったのがずっと心の中にあったので、目標にしてくれたのは個人的にすごくうれしかったですし、同じ監督の教え子としてもうれしかったです。来シーズン3年生以下はまたチャンスがあると思いますので、貪欲(どんよく)にそれぞれが目指してくれれば、いい結果がついてくると思います」

運動が苦手で、いい学校、いい会社に入ることだけ考えていた少年時代 藤田敦史1
主将の山野選手(左)から襷を受けたアンカーの青柿選手は笑顔でスタート(撮影・北川直樹)

高林祐介コーチ
「選手だった時は走ることに集中していましたが、こんなに配置や裏方のことまで考えてくれていたんだと感じました。走った選手以外も含めてチームとして戦うことを体現できたと思いますし、今までにない経験ができました。三冠を達成するために4年生が中心になって『三冠する』と何回も何回も声に出していましたし、言霊ってあるんだなと思いました」

妻の京子さんは、学生時代以来の沿道へ!

また今年度での勇退を発表された大八木弘明監督は、29年間のご指導の中、3大駅伝通算27度の優勝(出雲4度、全日本15度、箱根8度)、五輪や世界陸上の日本代表選手の育成、数多くの選手を育成されてきました。僕にとっても人生を変えていただいたかけがえのない大恩師です。

大八木監督は走った選手、サポートにまわった部員に対しても「ありがとう」と感謝の言葉を贈られていました。また来シーズンに向けて「2年連続三冠はどこの大学も達成していない。駒澤が何か違うことやり通す、やろうとする気持ちが大事」と今年度での勇退を発表されましたが、在校生に向けてエールを送られました。

レース後の記者会見後、記念撮影に応じる大八木監督(後方左、撮影・吉田耕一郎)

また、寮母として駒澤大学陸上競技部を29年間支えてきてくださった大八木監督の奥様・京子さん。「どんな優勝の時もうれしいですが、本当に最高の大きなプレゼントです」と喜ばれていました。29年間にわたって寮で食事を作り続けてくださった京子さん。「たくさん食べてしっかり走ってくれれば」といつもおいしい食事を作ってくださいました。

箱根駅伝は毎年、寮で選手をお見送りとお出迎えをされていた京子さん。大手町に行かれた年もありましたが、今回は初めて9区の沿道に行かれたそうです。

箱根駅伝を沿道で応援するのはなんと学生以来だったそうです。大八木監督が1年生だった当時(第60回大会)、5区の山登りで区間賞を獲得されたとき以来でした。9区の山野選手の走りをご覧になったそうですが「速すぎてあっという間でした(笑)」とのこと!山野選手の応援後、大手町に移動されました。

勇退される大八木監督にどんな言葉をかけたいですか? と伺ったところ「長い間、お疲れ様」と一言いただきました。この一言に29年分のさまざまな思いを感じましたし、部員や卒業生みんなが大八木監督はもちろん、京子さんにもお礼と感謝の気持ちをお伝えしたいはずです!

【2020年公開記事】選手に食事を作り続けて26年! 駒澤大学陸上部寮母・大八木京子さん

OBとして感じた悲願の三冠

僕も1人のOBとして、母校の三冠達成は本当にうれしく思いますし、今まで恩師・先輩・後輩が挑戦してきて、なし得なかったことを皆さんが達成してくださり、お礼を申し上げたい気持ちでした。

皆さんから「監督に何としても三冠をプレゼントしたい」という気迫が伝わってきましたし、監督は「子どもたちに三冠を達成させてあげたい」と本気でご指導されていて、やはり自分のためにという以上に「大切な誰かのために」というのは、より大きくて強固な力を発揮するんだなと感じました。

また僕の大恩師でもあります大八木監督と京子さんの勇退について、いつか訪れるであろう日が三冠達成という最高の日に訪れ、さまざまな感情が押し寄せてきました。劇的な幕切れはまるで映画のようなドラマチックさがありましたし、駒澤大学にとって新たな幕開けでもあります。

「三冠」を達成し、両手で「3」を作ってゴールした青柿選手(撮影・吉田耕一郎)

思えば僕が中学生の頃、箱根駅伝に憧れて陸上を始めて、大学駅伝にどっぷりとハマっていきました。当時「YKK」と呼ばれる山梨学院大学・神奈川大学・駒澤大学の優勝争いから、「紫紺対決」と呼ばれる駒澤大学・順天堂大学の真っ向勝負に移り変わる頃でした。

第75回大会では藤田ヘッドコーチが4年生で、出雲・全日本を制し、箱根も往路を制しましたが、復路の9区で逆転され、順天堂大学が優勝を飾りました。今回はヘッドコーチの立場で三冠に挑まれ、当時の駒大ファンだった僕、一人の藤田さんファンとしても本当にうれしく思います。

大八木監督から襷を引き継いだのが藤田ヘッドコーチです。僕がマネージャーをしていた学生時代、藤田さんは現役選手として母校の駒澤大を拠点に練習をされていました。当時から「陸上競技に人生を懸けている」のが行動からも言葉からも空気からも伝わってくるほど、これこそが「本当の意味での真剣」だと学ばせていただきました。指導者になられてからは、一人ひとりに寄り添った丁寧できめ細かいご指導がとても印象的です。

また今年度就任した高林祐介コーチは、学生時代に僕が4年生の時に入ってきた1年生でした。当時からしっかりしていて同級生の宇賀地強さん(現・コニカミノルタ陸上競技部コーチ)や深津卓也さん(現・旭化成陸上部コーチ)と一緒に学年をどんどん引っ張っていましたし、僕が卒業したあとも後輩たちを引っ張り、面倒見の良さを感じていたので、藤田新監督を支えながら、選手の皆さんの良き兄貴分となっていってくれると思います。

だいぶ駒大愛、母校愛の強い記事となってしまいましたこと、ご容赦ください(笑)。これからも母校の活躍を応援しながらも、4years.陸上応援団長としても全大学の皆さんを応援し、陸上界に恩返しできるように感謝の気持ちを込めて現状打破していきたいです!

M高史の陸上まるかじり

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