フィギュアスケート

立命館大学・彦阪昇吾、笹原景一朗コーチと目指す全日本 チームを引っ張る選手に成長

今季の全日本でフリー進出を目指す立命館大学の彦阪昇吾(演技写真はすべて浅野有美)

フィギュアスケート選手にとって全日本選手権は、全国のトップ30のみが出場できる、誰もが目標とし、憧れる大会だ。そこはコーチにとっても特別な場所である。2022年、その舞台を初めて経験したのが、立命館大学2年の彦阪昇吾(磐田東)だ。7歳上の笹原景一朗コーチ(同志社大学卒)の指導のもと、チームを引っ張る選手へと成長し、今年は全日本でフリーを滑ることを目指している。

全日本に向けて始まった2人の挑戦

全日本選手権という大会は、一度その舞台で演技をすると、なんとも言えない高揚感に包まれ、またその場所で演技をしたいと思える場所である。選手とともに全日本を目標にしているコーチは多い。コーチ自身が選手時代に経験しているのであれば、なおさらその思いは強い。

2019年3月の同志社大学卒業と同時に選手を引退し、指導者となった笹原コーチもその一人だ。在学中に全日本を経験し、いつか選手をその舞台に出場させることを目標に活動していた。指導を始めた当初、教える選手はほとんどが小学生。年齢を考えても全日本への道のりはまだまだ長く、選手と一緒に自分自身も成長していこうと考えていた。

しかし昨春、立命館大学に入学した彦阪を指導することになり、全日本出場条件の年齢を満たす選手と出会うことができた。当時の彦阪は、大会に出場するために必要なバッジテストの7級を持っていなかった。バッジテストは初級から始まり、1級、2級と数字が上がっていき、8級が最上級である。大会の申込までに取得の可能性はゼロではなかったため、まずは7級を目指し、2人の挑戦が始まった。

今季も全日本を目指す彦阪昇吾(左)と笹原景一朗コーチ(本人提供)

カナダでスケートに出会った彦阪

彦阪とスケートとの出会いは、幼い頃、父親の仕事の都合でカナダに住んでいたことに始まる。カナダでは小学校の授業でスケートをするところもあり、「コケた時にケガをしては大変だ」と心配した母が親心から近所のスケートスクールに通わせてくれたのがきっかけだ。

進学した小学校ではスケートの授業はなかったが、カナダではスケートが一般的な習い事の1つであったため、彦阪もスケートを続けていくことにした。

主にスケーティングを教わり、ジャンプはほとんど習う機会がなかったという。小学校4年生の頃に日本に帰国することになり、静岡県に移り住んだ。近くのスポーツ少年団で野球を始めたが、「せっかくカナダでも習っていたのだから……」と思い、習い事の延長としてスケートを継続した。

休日は朝練でリンクに行き、昼から野球の試合に行くといった忙しい日もあったが、基本的にはスケートは週に1、2回程度の練習で細々と続けていたという。静岡県浜松市にあるスケート場は冬季のみ営業する「シーズンリンク」で、夏に練習をする場合には他県に行く必要があった。当時はまだ趣味の一部だったため、夏の間は数えるほどしか練習をしなかった。

静岡県から愛知県のリンクに通い練習

小学校卒業と同時にスポーツ少年団も卒業。野球を続けるのか、スケートを続けるのかという選択を迫られることになった。「それだったらスケート」と選び、せっかく続けるのであれば本腰を入れて練習をしようと決めた。両親も協力してくれて、中学生からは愛知県のリンクを拠点にした。

レッスンを受けるために練習量が倍以上に増え、学校が終わるなり両親が運転する車で静岡県から愛知県のリンクに向かう生活が始まった。家族にはかなりの負担をかけることになったが、両親は嫌な顔ひとつせず、彦阪がやりたいことを応援してくれた。

一般営業時間外での練習が増えてきたこともあり、高校はスポーツへの理解がある磐田東高校へ進学した。スケートの技術も向上し、少しずつではあったが成績も残せるようになってきた。

彦阪のスケート人生の目標の1つに7級の取得があった。跳べるトリプルジャンプの種類も安定し、7級取得に向けて準備をしていた矢先、新型コロナウイルス感染症の流行にともない、練習環境が一変。都道府県を越えての移動が難しくなった。再び週1、2回程度の練習のみとなり、次第に競技成績も下がっていった。 その分、学業に費やす時間は増え、指定校推薦で立命館大学への進学が決まった。

中学、高校時代は静岡県から愛知県に通って練習を積んだ

大会締め切り直前に7級取得

その頃、笹原コーチは恩師のもとで1年間のアシスタント期間を終えて独立、京都市のリンクを拠点に指導を始めていた。数人を教えるようになり、「少しチームらしくなってきたかな」と思っていた頃、縁があって彦阪が笹原のチームに加わることになった。

当時の彦阪は身体も細く、慣れない土地での一人暮らしで食事もおろそかにしがちだった。チームのトレーナーとも話し合い、大学1年生のシーズンは「準備の1年にしよう」と、体力や身体作りに費やすことにした。

大会エントリーには7級の取得が条件だが、彦阪は演技構成点が未熟で不合格が続いていた。大学生になってからは練習時間やオフアイストレーニングなどを徐々に増やしていき、フリーの後半でもバテないようになってきた。そしてようやく、全日本の予選である近畿選手権の申込締め切り数日前に7級を取得することができた。

「チームを辞めるか、全力でやるか」

近畿を通過し、西日本選手権に向けて調整をしていたが、彦阪本人は全日本に出場するビジョンが全く見えておらず、いつも通りの練習をこなしていた。休みたい時に休み、練習に来てものんびりとアップを始めるといった様子だった。

というのも、ジュニア時代は西日本を通過した経験がなく、自分自身が全日本に行く選手だと思えていなかった。一方、笹原コーチには、彦阪にぜひとも全日本の空気感を味わってほしいという強い気持ちがあった。「目の前にあるチャンスを掴(つか)んでほしい……」。彦阪の姿勢を変えようと、毎日のように叱咤(しった)激励した。しかし、その思いはなかなか伝わらず、時間だけが過ぎていった。

もどかしい日々が続き、ついに「チームを辞めるか、全力でやるか」という話し合いにまで至った。彦阪は「全力でやります」と決意を伝えた。今できることをミスをしないできっちりとやるというプログラム構成に変更。短い期間ではあったが大会に向けて準備を進めた。

まさかの全日本への初切符

迎えた西日本のフリー当日。彦阪は、前日のショートプログラム(SP)で、フリー進出の当落線上である10位につけていた。1つでも順位を落とすと全日本への道は途絶える。彦阪は、本番前に久しぶりに緊張している自分に気がついた。笹原コーチに送り出され、4分間の演技が始まった。冒頭のジャンプは決まったものの、小さなミスを繰り返し、良いとも悪いとも言えない演技となった。

キスアンドクライに戻ると、笹原コーチも渋い顔をしていた。2人は「今回は縁がなかった」と察し、点数が出るまでの数分間で来シーズンに向けての話を始めていた。

そして点数と順位が出た瞬間、2人とも目を丸くした。まさかの西日本通過、全日本への切符が手に入った瞬間であった。

2022年12月、憧れの場所であった全日本のリンクに彦阪は立った。緊張というよりも、その場所で滑れることがうれしいという感情があふれ、SPでは終始にこやかな表情で滑っていた。

SPの結果は28位。フリーに進出できる24位以内に入ることはできなかったが、彦阪ができることをやった上での結果だったので悔いはなかった。「来シーズンはフリーを滑る」。その思いを胸に、全日本の会場を後にした。

チームの合宿を通して成長した

彦阪がチームの選手に見せた背中

笹原コーチは常々、彦阪には背中を見せて、チームを引っ張ってほしいと思っていた。昨年の西日本前に話し合った後からは少しその様子が見られたものの、全日本が終わってからは気の抜けた行動が多いと感じていた。

選手自身が気づかないと成長しないと考え、彦阪に対して少し突き放した行動を取るようにした。日々の声がけなどは全てアシスタントの先生に任せ、チームの合宿ではあえて下のクラスの班に振り分けた。

ようやく自身の改善点に気づいたようで、徐々に行動が変わっていった。笹原コーチはそのタイミングで、「今回の合宿でMVPを取ってほしい」と彦阪に声をかけた。合宿では選手のレベルに関係なく、全体を通して頑張っていた選手をMVPに選び、称(たた)えており、選手たちはそれをとるために合宿を頑張っている。

そして彦阪の成長を感じる場面が訪れた。

課題の1つに「合宿中、1回はフリーでノーミスの演技をすること」があるが、合宿終盤はトレーニングの疲れなどもあり、課題をクリアする選手がパタリと止まっていた。「ミス止め(ジャンプにミスがあると曲が止まり、次の選手の番に回る)」を行うと、演技序盤で曲が止まるようになり、チーム全体の空気が重たくなってきた。

そこで彦阪の番が回ってきた。

彦阪は過去の練習を振り返っても、フリーでノーミスをした経験が数回しかなく、また今回の合宿でも惜しいところまではいったものの、まだ課題を終えていなかった。そんな場面で過去1番と言っていいほどの演技を行い、ノーミスでフリーを滑りきった。

その様子を見て涙するチームメートもおり、彦阪の演技をきっかけに、まだ課題を達成していない選手全員がノーミスの演技をすることができた。まさに、彦阪がチームメートに背中を見せた瞬間でもあった。

強い気持ちを持てるようになった

今思えば、昨年の西日本の前の話し合いは、彦阪の意識が少し変わるきっかけになり、そして合宿後にガラリと変わったと、笹原コーチは感じている。「今やチームを引っ張る存在となり、ここぞという時に力を発揮できる強い気持ちも持てるようになってきた」。京都に来た当初は、練習中でも心が折れると態度に出ることが顕著であったが、今は「もう1本跳ぶ」など、熱く強い気持ちを持つようになり、成長を感じている。

「7級を取得させること」「全日本選手権に出場させること」「トリプルアクセルを跳ばせること」、この3つは、笹原コーチが選手と一緒に達成したい目標として掲げている。彦阪はそのうち2つを達成し、残るは「トリプルアクセルを跳ばせること」だけになった。

「全日本でフリーを滑ること」を目指している今季。SPの曲は昨季から継続の「Hey Brother」、フリーの曲は変更し、笹原コーチと吉野晃平コーチがコラボレーションした作品「SPARKLE」を披露する。演技時間4分間のうち、1分ずつ交代で担当して振り付けをする新たな試みも行った。曲の編集にもかなりこだわっており、全日本の舞台でその曲が流れる日が待ち遠しい。

昨季は7級取得から始まり全日本出場と、大躍進したシーズンだった。今季は昨季を超えるようなシーズンになるよう、彦阪の活躍に期待したい。

in Additionあわせて読みたい