慶應義塾大学副将・山田響 黒黄のジャージーの「魂のタックル」を、国立で見せる
11月23日、関東大学ラグビー対抗戦の伝統の一戦、早稲田大学対慶應義塾大学の「早慶戦」が行われる。両校の対戦は1922年に始まり、100回目を迎える今年は東京・国立競技場で開催される。定期戦の対戦成績は早稲田72勝、慶應20勝、引き分け7で、最近は1引き分けを挟んで早稲田が11連勝中だ。節目の試合を前に、キーマンである両校の副キャプテンに話を聞いた。慶應の副キャプテンは、1年から中軸として活躍する司令塔SO(スタンドオフ)山田響(4年、報徳学園)だ。
2010年以来の慶早戦の勝利めざす
昨季は、大学選手権の準々決勝で関西王者・京都産業大に1点差(33-34)で敗れた慶應。OBの青貫浩之監督が新たに就任した今季は、ターゲットとして、大学選手権ベスト4、そして10年以上遠ざかっている「慶早戦」の勝利を掲げた。慶早戦の勝利は2010年が最後(10-8)。100回目を迎える今季は、何としても勝利を、と春から強化を進めてきた。
新チームになり、PR岡広将(4年、桐蔭学園)がキャプテンに決まると、同期が全員一致で副キャプテンに、FBだった山田を選んだ。「3年のときから、『4年になったらリーダーの一人として引っ張っていかないといけない』と思っていたし、副キャプテンという役職をもらっただけで、やることは変わらない」と山田。主にラグビー面でのリーダー的存在である山田は、三井大祐コーチらとともに戦略や戦術を決めている。岡主将は「チームの象徴、シンボルになっているので、ありがたい。ピッチ内外で、主将と副将で仕事分けがしっかりできている」と、山田に全幅の信頼を置いている。
1年時から活躍 3年では7人制日本代表にも
山田は兵庫県明石市出身で、3兄弟の次兄。長兄は関西学院大学でプレーしていた駆(かける)だ。4歳のとき、大阪教育大学ラグビー部出身の父・賢さんが代表を務める兵庫・明石ジュニアラグビークラブで、兄と同時にラグビーを始めた。
高校は、兄が通っていたこともあり、県内の強豪・報徳学園に進学する。1年から「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場し、2年では、最年少でユース五輪の7人制日本代表に選ばれ、銅メダル獲得に貢献。「将来はオリンピックに出たい!」と夢を語っていた。
高校時代、学業の成績も良かったという山田は、「対抗戦でプレーしたかったことと、中学、高校までは『駆さんの弟』と言われることが多かったので、新しい環境に行きたかった」と、大学進学では慶應を志望し、AO入試で見事に総合政策学部に合格。報徳学園ラグビー部から慶應への進学は初だった。
入学するとすぐにコロナ禍で授業はオンラインが中心となり、「キャンパスに行かず(合宿所の)日吉にいることが多かった」という。すぐにAチームのフルバックとしてプレーし、1年時は、山田のサヨナラPGで明治大学を13-12で下し、帝京大学にも勝利した。2年時には、栗原徹監督(当時)の勧めでスクラムハーフにも挑戦した。
3年時の春は、7人制日本代表として世界最高峰の大会であるワールドシリーズに2大会出場した。当然、パリ五輪を目指すかと思われたが、「(ワールドシリーズは)良い経験になりました。ただ、15人制はみんなでプレーして周りを生かしたり、生かしてもらったりしますが、7人制はアスリートが参加していて、ギャップを感じた。自分としては15人制の方が向いているのでは……」と語り、今後は15人制に専念する方向だ。
そして最終学年となり、「3年になり、体重も5kgくらい増えてフィジカル的に大学ラグビーに慣れてきて、4年になって初めて大学で1年間シーズンを過ごすことができている」と自信をのぞかせた。
慶應のジャージーを着ると、自然とタックルができる
来春からは、「最後まで商社に行きたかったし、就職するか迷った」という。ただ、「大学時代はチームの中心選手でしたが、リーグワンにいくと全員が自分よりうまい。自分がモブキャラの一人になったときに、自分はどんなパフォーマンスをするんだろう……。また、BKは35歳くらいまでしかプレーできず、今後の10年を考えたときに、今しかラグビーはできない」と、競技を続ける覚悟を決めた。一方で「仕事もしたかった」と話し、プロではなく、働きながらラグビーを続ける道を選んだ。
大学4年間のラグビー生活を振り返って、「慶應に来て良かったです! SHは一度もやったことがなかったし、いろいろなポジションをやらせてもらったことが大きい。あと慶應の(黒黄の)ジャージーを着ると、自然とディフェンスが良くなる。高校まではディフェンスがあまり好きじゃなかったですが、(チームの)文化、責任感で、タックルができるようになるのは、不思議というか面白いところです」と目を細めた。
大学1年まではFB一筋。SHを経て、3年時は再びFBでのプレーが多くなったが、4年になってSOに専念している。「10番、15番は役割が違い、自分の中にはそれぞれ『こうしよう』というのがあるので、大学レベルではあまりプレッシャーを感じない。自分的には(WTB、FBの)バックスリーが好きだし向いていると思う」と言うものの、リーグワンに入ってからのことを尋ねると、「SOは1年しかやっていませんが、周りの人が見て他のポジションを求められれば……」と柔軟性を見せる。
接戦狙いではなく、たたき潰すマインドで
11月5日の明治大との「慶明戦」では、試合の入りが悪く、相手のBKに走られて前半で14-47とリードを許し、最終的には40-66で敗戦した。ただ後半はディフェンスが機能し、モールからトライを取るなど、いい部分はあった。山田は「明治大戦はフィジカルバトルで受けてしまった。前半、相手のうまく速いBKに走られた。ディフェンスを武器にしようと言っていたのに、まったく機能しなかったのが反省ですし、試合の入りの部分は今年の春からの課題です。早慶戦では克服したい」と前を向いた。
あらためて今季のターゲットである早稲田戦に向けての意気込みを尋ねると、「最後に勝利したのは2010年ですが、(点差は)1桁台での負けが多い。最初から接戦で勝とうとしている部分があるので、最初からたたき潰す、勝ち切るというマインドを大事にしたい。また個人的には、大学に入って唯一勝っていないのが早稲田なので、思い入れがあります。ただ、簡単に勝てる相手ではないので、10番として落ち着いて入りを大事にして、ゲームコントロールをしたい」と冷静だ。
慶應のファンに「慶早戦」でどんなところを見てほしいかと聞くと、「初の国立開催ですし、やっぱり魂のタックル、ディフェンスを見ていただきたい」と語気を強めた。4年生は「スター選手はいない。団結力で戦い、早稲田に勝って勢いに乗りたい」と話しているという。
慶應が13年ぶりに早稲田を下せるかどうかは、「多くても大学では残り6試合。燃え尽きるくらい、毎試合、決勝だと思ってやります!」と腕を撫(ぶ)す、黒黄ジャージーの10番にかかっている。