慶應義塾高校・森林貴彦監督 早慶戦はお互いを高め合い、次なる伝統を作りあげる一戦
今夏の第105回全国高校野球選手権大会では、慶應高校の監督として107年ぶりの優勝を果たした。森林貴彦監督が考える「エンジョイベースボール」とは――。また、11月23日に100回の節目を迎えるラグビー早慶戦に向け「伝統」やスポーツ界全体の捉え方も伺った。
「エンジョイベースボール」の意味
森林監督は慶應義塾大学在籍時に母校である慶應高校野球部の学生コーチを務め、卒業後はNTTに就職した。しかし、「学生コーチをやっていた4年間が非常に熱くて充実していた」という思いから一度は歩み始めた会社員としてのキャリアに終止符を打ち、指導者の道へ進んだ。慶應義塾幼稚舎で担任を持つ傍ら、2015年からは慶應高校の野球部監督に就いた。
「エンジョイベースボール」を掲げて今年の夏、日本中に「慶應旋風」を巻き起こした。選手の主体性を重視して今夏の甲子園で優勝。「仕事ではなく好きで入ってきている野球部なのに、指示待ちで言われたことだけをやって満足しないでほしい」と話し、監督として「導く」のではなく「伴走する」ことを意識して携わっているという。
慶應高校の一番の魅力は「野球を楽しみ、一人ひとりが野球を追求する姿勢を持っていること」。甲子園ではその姿勢を存分に発揮した。注目を集めるようになり「エンジョイ」という言葉だけが独り歩きしがちだが、森林監督はエンジョイについてこう語った。
「『楽しい野球』と訳されてしまうと、草野球と同じで、ただ『その場が楽しければいい』とか、『野球が終わっておいしいご飯が食べられればいい』という使い方になってしまうと思いますが、そうではなく、『よりレベルの高い野球を楽しもう』ということを目標にしています」
慶應高校の野球部の練習は決して楽ではない。トレーニングについていけずに辞めていく部員もいる。逃げたいと思うような練習にも仲間とともに向き合い、地道に積み重ねてきた結果、最後に「エンジョイ」できるのである。
今を生きる一人ひとりの挑戦が「伝統」を残す
慶應高校野球部の話題になると、必ず注目されるのは髪形である。丸刈りを強制されず、長髪と言われる。ただ世間一般的には短く、高校生がスポーツをするうえで適した髪形を各自が考えている証拠でもある。慶應高校の選手の髪形が「長髪」と言われること自体、本来はおかしいことなのかもしれない。
高校野球は丸刈りが伝統という意見もあるだろう。しかし、森林監督は「伝統は守るというけども、そのときの判断でより良いものを書き加えてつくっていくもので、削るものも増やすものもある」と考えている。「ただ守るだけなら現状維持。現状維持だと組織は停滞するし、衰退していく」と何もしないことへの危機感を覚えている。
「今いる自分たちがいいと思ったことをやって、振り返ってみたらそれがまた新しい伝統になっていたということ。昔やってきた人たちも新しいことをやってきた結果、それが今『伝統』と言われているので」。今を生きる一人ひとりの挑戦が、未来に「伝統」を残すことになる。
森林監督はスポーツ界について「価値をどれだけ世の中の人たちに理解してもらえるか、今が大事な時期」だと感じている。特に学生スポーツ界では競技の技術を上げるだけではなく、人材育成など教育的な側面も求められる。
卒業後にスポーツを続けない人でも、その経験が社会人での活躍につながることが大事となる。「100年後にスポーツを含めたより豊かな日本社会、大きく言えば世界平和につながるよう、これからの10年間、学生も指導者もしっかり頑張らないといけない」。森林監督の力強い口調からは、スポーツの、特に学生スポーツの価値を示していくための覚悟を感じた。
2校で紡いできた箱根駅伝と同じだけの歴史
11月23日のラグビー早慶戦は、国立競技場で開催される。今回で100回の節目を迎えるが、「100周年」は昨年だった。戦争で中止になったことがあるためだ。試合そのものを楽しむことは当然大事だが、それに加えて試合の歴史や背景、文化を知ることも欠かせない。
慶大蹴球部はつい最近まで留学生の選手がいなかった。しかし栗原徹前監督が就任した2019年からその掟(おきて)を破り、留学生を迎え入れた。時代の変化を踏まえ、森林監督の言葉を借りるなら「今いる自分たちがいいと思ったこと」を行ったのである。今年から就任した青貫浩之監督のもとでも留学生選手が活躍している。
100回も続く大会はそう多くない。新年に大きな注目を集める箱根駅伝も、今年度が第100回。関東を中心とした大学の思いが詰まって続いてきた箱根駅伝と同じだけの歴史を、早慶の2校で紡いできた。そんな歴史ある舞台で、みんなで決めた目標のためだけに選手たちが戦う。早慶戦はまさに「お互いを高め合う場」である。ラグビーに学生生活を捧げてきた選手たちが、次の100年に向けて新たな扉を開く瞬間。未来の伝統をつくるときをこの目で見届けたい。