慶應義塾大学の山田響、バックスの逸材が世界を見据えて注目のポジション転向
ラグビーの関東大学対抗戦で慶應義塾大学は18日に日本体育大学と開幕戦を迎える。日本ラグビーのルーツ校は2014年度を最後に、全国大学選手権で4強に進出する「年越し」から遠ざかっているが、今シーズンはFL(フランカー)山本凱(かい、4年、慶應義塾)ら核になる選手がおりチーム力は充実している。中でも最も注目されるのが15番のFB(フルバック)から9番のSH(スクラムハーフ)に転向した山田響(ひびき、2年、報徳学園)だろう。
ひらめいた栗原監督
昨季、慶大は対抗戦3位で通過し、大学選手権では準々決勝で早稲田大学に14-29で敗れた。新チームは1日オフを取って2日後からスタートした。チームを指揮して3年目となる栗原徹監督は、FWに比べ選手層の薄いバックスのてこ入れを図った。
1年生ながらスピード溢(あふ)れるランと左足のキックでFBとして定位置を確保した山田を、15人いるポジションの中で最もボールを触るSHにコンバートすることだった。その理由を栗原監督は「(SHの)層が薄かったことが一番 (の理由)ですが、(山田)響を1年間、側(そば)で見てきてパスが強い、小さな動きが速い、ラグビーの理解度が高い。攻撃的な選手がFWの近くにいる方がいいかな。本人は7人制でも15人制でも日本代表を狙いたいと言っている。そうなったとき15人制のワールドカップで、日本代表としてFBやWTB(ウィング)で(グランドに)立っている画(え)が思い浮かばなかった。SHならあると思った」と説明した。
かつて日本代表でWTB、FBとして活躍した栗原監督から「(スクラム)ハーフやってみないか」というコンバートの提案を、山田も悩まずにすぐに快諾する。
「昨季が終わった次の日に言われました。ポジション自体に抵抗はなかったですし、チームに必要とされるのがいいのかと。『じゃあやってみよう』という軽い感じでした。また身長(174cm)が身長なので世界で戦うにはWTB、FBでは足らないと個人的に思っていますし、日本代表やトップレベルを目指すには9番(SH)の方が自分の体格が生きるかな」(山田)
報徳学園高から注目される
兵庫県明石市出身の山田は3兄弟の次兄。関西学院大学でプレーしていた兄(駆)と同時に4歳から大阪教育大学ラグビー部出身で消防士の父・賢さんが代表を務める兵庫・明石ジュニアラグビークラブでラグビーを始めた。
小中学校時代は、1、2回戦で負けることも多く、最高成績は県内3位だったという。ただ高校は兄が通っていたこともあり、強豪の一つ報徳学園に進学する。高校1年から「花園」こと全国高校ラグビー大会に出場し、2年の時は最年少でユース五輪の7人制日本代表に選ばれ銅メダル獲得に貢献した。
高校3年の花園では2回戦で敗退してしまった。それでも2年生の時はベスト8に進出し、高校日本代表に選出されていたことや学業で成績上位に入っていたこともあり、慶大の総合政策学部にAO入試でチャレンジすることに決める。
「報徳学園ラグビー部として、進学した先輩がいないところに行きたかった。また慶應は日本で最も伝統のある大学で、内部生が多くても明治、早稲田、帝京と戦えているのは、強くなる文化があると思った。そこに身を置くことで一段上を目指すことができると思った」(山田)
山田は不合格になる可能性もあったが見事に合格を果たし、慶大の門を叩いた。ただ入学早々、コロナ禍となり、授業はすべてオンラインとなってしまったため、入試以来、キャンパスに一歩も足を踏み入れていないという。ラグビー部の寮で生活していることもあり「大学生というかラグビー選手のような生活ですね」と苦笑いした。
コロナ禍乗り越え新ポジション
10番のSO(スタンドオフ)のプレー経験こそあったが、15人制で9番のSHは経験がなかった。それでもSHになる決心をした山田は、一番ボールを触るポジションのため毎日、SHの先輩である同期などにアドバイスをもらいながら、毎日SH独特のパスやキック練習に取り組んだ。
SHは、WTBやFBとキックとパスの仕方も違うため、最初は難しいことの連続だったという。「SHは一番ボールに触り、いいボールを供給しないといけない仕事があります。ボールを(グラウンドの)下から投げるのは他のポジションにはない要素なので、そこが一番難しい。また密集で絡まれてプレッシャーがかかる場面での精度の高いパスを要求されるのも難しいですね」と振り返った。
しかも本格的にSHの練習を始めて3カ月ほどが経過した2021年4月中旬、チームから新型コロナウイルスの陽性者が出てしまい2カ月半ほど活動は停止。春季大会は3試合とも棄権となりSHとして実戦を積むことはできなかった。それでも「練習が再開したときのために万全の準備をしたかった」とウェートトレーニングに取り組み、体重は大学入学時の70kgから80kgと10kg増えて一回り大きくなった。
本格的に活動が再開された7月以降、早稲田大学、東海大学、明治大学などとの練習試合で実戦経験を積んだ。山田は高校2年生の時のユース五輪では7人制の日本代表でSHに似たスイーパーのポジションを経験していたこともあり、「最初はやれるかな……と思っていましたが、今はやれているのかな」と話す通り、新しいポジションに慣れつつある。
山田らしく、山田らしいSHに
「スクラムハーフとしては初心者同然」というものの山田は「慶應というチームはFWがすごく強いので、9番でボールを触った方が勢いに乗るし、スペースがあり、チャンスがあれば行くという方がスタイルに合っているのかな。ただ行き切っちゃうとSHの仕事ができなくなるので、自分が有利な状況で、仲間にいい状況でパスをするのが一番いいと思う。個人的にはSHというよりか7人目のバックスという感覚です」と自信をのぞかせた。
いよいよ2年目の対抗戦が開幕し、山田はSHとして初の公式戦を迎える。「大学選手権ベスト4に進出して、正月を超えるのがチームの目標です。個人としてはまだまだSHの経験が浅いので、シーズン通して試合を重ねて、他人が見ていいSHというよりかは、自分が納得できるSHになりたい。SHというポジションで、自分らしく、自分らしさを出せればいいかな」(山田)
かつては7人制ラグビーで「オリンピックに出たい」と話していたが、今は15人制ラグビーで「慶應義塾大学の勝利に貢献したい。しんどい試合でも、ポジションが変わっても楽しむことを大事にしたい」と前を向いた。スクラムハーフ歴半年の山田が黒黄軍団のキーマンとなる。