陸上・駅伝

特集:駆け抜けた4years.2024

東海大学・安倍優紀 けがで知った「走れることが幸せ」、率先して練習引っ張った副将

昨年の日本インカレ男子800mで準優勝に輝いた東海大の安倍(撮影・藤井みさ)

中学時代はジュニアオリンピックに全日本中学選手権(全中)、高校時代は全国高校総体(インターハイ)に国民体育大会(国体)と数々の大舞台を経験し、東海大学へと入学した安倍優紀(あんばい・まさのり、4年、清陵情報)。順風満帆な競技生活だったが、大学2年の冬に初めてけがに苦しんだ。その時「走れることが幸せ」という気持ちに気付いた。ラストイヤーは副将として挑み、大学最後の日本インカレ800mで準優勝。そんな安倍の競技人生を振り返る。

【特集】駆け抜けた4years.2024

中学1年から全国大会を経験

福島県出身の安倍が陸上を始めたのは、小学校低学年のとき。父と親子の部で、地元のマラソン大会に出場したことがきっかけだった。当時は「トップで走りたい」と毎年マラソン大会に出場。コツコツと練習を重ね、小学6年には持久走大会で優勝を果たした。

中学は「全国大会出場」を目標に取り組んだ。1年から1500mに取り組み、毎レースごとに自己ベストをマーク。ジュニアオリンピック(Cクラス)福島県予選をトップで走り、1年目から全国大会への出場を決めた。11月のジュニアオリンピックでは4分23秒88の自己ベストをマークしたが予選落ち。「全国では通用しないと実感した。悔しかった」と振り返る。

悔しさをバネに中学3年では全中に出場した。2度目となる全国の舞台では、4分6秒64の自己ベストをマークしたが、またも予選敗退。「全国大会に出場できたことで満足してしまった自分がいた。高校では全国で勝負できるように頑張りたい」とさらなる高みを見据えた。

力走する安倍。子どもの頃から「トップ」への意欲は強かった(撮影・藤井みさ)

「全国出場します」「出場じゃなくて優勝でしょ」

中学での競技生活を通して、高校では「800mの方が勝負できるかな」と種目変更を選択した。そして高校2年の時に就任した渡部あゆみ監督の存在が、安倍の運命を変えた。監督就任時のあいさつで、安倍は「全国出場します」と話すと、渡部監督は「出場じゃなくて優勝でしょ」と声がけ。安倍は「厳しいでしょ」と思っていたが、渡部監督が練習方法をアレンジし、安倍のやる気を促進させた。「練習していくうちに思ったよりも走れるようになって、いけそうだな」と自信をつけていった。

この年、国体の800mで決勝に進み、5位入賞を果たした。2週間後にはU18日本選手権にも出場し、3位に入る活躍ぶり。高校ラストイヤーは「インターハイ優勝」を目標に800mで決勝進出を果たした。8位入賞だったが、本人は「1番しか目指してなかったので」と悔しさをあらわにした。その経験を糧に10月の国体は800mで準優勝。高校3年間を「成長できたのは、丁寧に大事に育ててくださった渡部監督のおかげです。1番を目指したいと思えるきっかけをくれた」と振り返り、感謝の気持ちを表した。

高校時代から全国の舞台で活躍してきた(本人提供)

大学でジョグの距離が伸び、長い距離にも対応

東海大学に進学したのは、2019年にチームが箱根駅伝で優勝を果たしただけでなく、館澤亨次(現・DeNA)を筆頭に中距離陣にも勢いのあるチームでやりたいと思ったからだった。地元・福島の友達とはほぼ毎日遊んでいたので、離れるのはつらかったと話す。「4年間だし頑張ろう」と決意して関東へ。だが間もなく新型コロナウイルスの影響で、福島に戻って1人で練習する日々が続いた。

競技場も利用できず「モチベーションが上がらなかった」。状態は落ちたが、心の中では「負けない気持ち」を常に持ち、ひたむきに練習を続けた。7月ごろには入寮を果たして大学での練習がスタート。高校との違いは「ジョグの距離が伸びた」。その影響で長い距離も走れるようになっていった。9月には日本インカレ、10月には関東インカレに出場した。特に「3番を目指していた」という関東インカレでは、800mで目標には惜しくも届かなかったものの5位入賞。激動の大学1年目は「結果を出したくてもレースがない状況はしんどかった。『この試合に向けて頑張る』という調整が大変だった」と振り返った。

切磋琢磨してきた同期の仲間と(本人提供)

2年目は「記録が伸びた年」だった。5月の関東インカレ800mで準優勝。優勝したのは安倍がライバルと話す中央大学の金子魅玖人(みくと、4年、鎌ケ谷)だった。安倍が高校3年時に国体800mで2位に入ったときの覇者も金子だ。「大学に入ってからもずっと尊敬していて、プライベートでも仲が良い。でも800mで1回も勝てたことがないのでいつか勝ちたい」と当時から思っていた。

6月は初めて日本選手権に出場し、800mで7位入賞を果たした。9月の日本インカレ800mも8位入賞。12月の日体大記録会では5000mを走り、14分5秒40と13分台に迫るタイムをマーク。ジョグの成果が表れて長い距離にも対応できるようになっていた。「1年を通して練習をしっかり積めていた。レースに出ても外すイメージがなかった」と全国で勝負できるまでに成長。このころの課題は「大きな大会で決勝まで進めるが、プレッシャーで体が固まってしまって、勝ち切ることができなかった」ことだった。

中央大の金子(右)を尊敬し、高め合っている(本人提供)

初めて大きなけがをした大学2年の冬

大学2年の冬に初めて大きなけがをした。腓骨筋腱炎(ひこつきんけんえん)と診断されたほか、ひざを繰り返し痛めて約2カ月間苦しんだ。この時期を「走れることが幸せなんだなとすごく感じた」と振り返る。

練習が積めていない中で、大学3年のシーズンが始まった。5月の関東インカレは「決勝に残れたのが奇跡」と800mで7位入賞を果たした。6月の日本選手権800mで8位に入り、9月の全日本インカレも800m8位入賞。「最後の年は活躍したい」と誓った。

大学3年時、日本選手権800mで決勝進出を決め大きなガッツポーズ(提供・saya)

大学ラストイヤーの年、副将に就任した。「結果で示したい」と強い覚悟を持って臨んだが、5月の関東インカレでは準決勝敗退となり「大学1年から3年まで入賞していたので、相当悔しかった」。6月の日本選手権も予選敗退に終わった。

「厳しい結果になってしまったが、『仕方ない』と割り切って、最後のインカレで頑張ろう」と気持ちを切り替えた。9月の本番に向けた最後の夏合宿は「120点」と評価。8月は月間413kmを走り込み、中長距離選手としては長い距離を積んだと話す。「設定タイムより速く走れて、月間走行距離も詰めた」と安倍。トラックで行う練習は、箱根駅伝出場を目指している選手と一緒に走って力をつけた。

最後の夏合宿で、好調ぶりをアピールした(本人提供)

好調で迎えた日本インカレは800mと1500mに出場した。大会2日目に行われた1500m決勝は最下位。「幸先の悪いスタートでしたが、周りの方にもアドバイスをもらって、800mはリラックスして挑めた」。翌日の800mでは予選で2位、準決勝はトップに入り決勝に進んだ。大会最終日に行われた決勝、ラスト1周の鐘が鳴ると後方から徐々に差を詰めていった。ラスト100mでさらに加速し、2位でフィニッシュ。「悔しさは残りましたが、今年1年結果を残せていなかったので、安心はしました」と振り返った。

今後は日本選手権優勝と日本代表をめざす

大学4年間について「西出(仁明)ヘッドコーチからの指導は大きいものでした。本当に感謝しています」と総括する。ラストイヤーで得た収穫にはチームの練習を引っ張ることを挙げ「率先して『俺行くよ』と言えたところが成長できた部分です」と話す。

今後の目標には日本選手権で優勝、そして日本代表のユニホームを着ることを掲げ「大学4年間で達成できなかった二つの目標を必ずかなえたい」と安倍。また中学1年から大学3年まで、常に何かの種目で自己ベスト更新していた。4年目は果たせなかっただけに「来年は必ず自己ベスト更新したい」。これまでの経験を糧に、さらに高い目標へと挑んでいく。

in Additionあわせて読みたい