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特集:駆け抜けた4years.2024

明治大WR山口翔 「結局お前かい!」最後の最後に〝翔んだ〟シーズン初のTDラン

「TD撮ってくれましたか?」私の顔をみるなり山口はこう言った(すべて撮影・北川直樹)

アメリカンフットボールの関東学生TOP8の最終節。明治大学と中央大学の試合は、31-6で明治が勝ち、4勝2敗の勝ち点12でリーグ3位を決めた。昨シーズン、チームで目指してきた甲子園ボウル出場には手が届かなかったが、終了間際にWR山口翔(4年、箕面自由学園)が今シーズン初のタッチダウン(TD)を決めてチームの盛り上がりは最高潮に。ラストゲームを快勝で締めくくった。山口にとってこの試合は、忘れられないものになった。

【特集】駆け抜けた4years.2024

約1年ぶりとなる公式戦TD

「(TDを)取れるまで戻ってくるな!」

第4クオーターの終盤。高橋輝ヘッドコーチに檄(げき)を飛ばされて、山口はフィールドへ入っていった。山口は本来WRのNo.2(外から二番目に位置する、インサイドレシーバー)だが、このときは過去のQB経験を買われて、QBの位置に入るワイルドキャットフォーメーションで出場していた。

「高3のときにQBをしていて、大学でも少しだけやってました。WRにコンバートされて下級生から使ってもらってましたが、ワイルドキャットで出たのは初めてです。練習ではちょこちょこやっていて、『ほんまに使ってもらえるんやろか』っていう感じでしたが……(笑)」

明治にはゴール前の攻撃に課題があった。本来はエンドゾーンが近くなると、ランプレーを意識したタイトなフォーメーションを組むことがほとんどで、山口のポジションは体形から外れることが多く、なかなか自分には得点のチャンスが回ってこない。

QBで試合に出るのは高校3年以来。「取れるまで戻ってくるな!」と高橋HCにフィールドに送り込まれた

直前のシリーズで、RBの高橋周平(2年、足立学園)が32ydのビッグゲインを上げ、ボールは1stダウンtoゴール5ydの地点に。最終戦ということと、これまでうまくいっていなかったことを流す意味合いもあって、山口をワイルドキャットで起用することになった。つまり、学生フットボールの最後の最後で、山口に得点を上げるチャンスが回ってきたのだ。

明治大・高橋周平 チームの将来を背負う若きRB「スピードと思い切りのよさ」で勝負

ここから山口が連続してボールを持ち、3ydゲイン。2ydを残した3rdダウン、ハドルで山口は仲間に言った。「内々に押してくれ。開いたら上、飛ぶわ!」。OLがこじ開けたその真上を、山口が翔(と)んだ。

「昔から飛ぶのは好きだったんですよ。OLが頑張ってくれて『これはバーンって行ける!』って思いましたね」。昨年の立教大学戦以来、約1年ぶりに公式戦でTDを決めた。

「超~うれしかったっすね! うわ、久しぶりにこの感覚来たわって。『フワッと』。高校のときにQBで何回か飛んでて、この感じを久しぶりに味わえてよかったっす」。山口は興奮した口ぶりで、一気に語った。

明治の2023年シーズンを締めくくるTDを、自分で決めた

オフェンスリーダーとして、副将として

2023年シーズンの明治は、開幕2戦目で立教大学に逆転負けを喫すると、第4節の法政大学戦も僅差(きんさ)で敗れ、優勝戦線から離脱。続く第6節で、優勝争いをしていた早稲田大学に勝つ波乱も起こしたが、チームとして目指してきた甲子園ボウル出場の夢はかなわなかった。

オフェンスリーダーを務めた山口は、激動のシーズンを振り返る。

「立教戦、最後に(残り52秒で)リターンタッチダウンを持っていかれたときは『ガチか!?』思いましたよ。(キックオフで)ゴロを蹴っとけば良かったんだとは思いますが、ちょっとバタバタで。僕は『また(オフェンスが)回ってくるかもしれんから、気を抜かんとこ』くらいに考えてたんです。そしたら猪股(賢祐、4年、立教新座)がブワーって走ってきて……。『終わった~』って思いましたね」

1敗の段階では、まだ優勝の可能性はあった。しかし、全身全霊をかけた法政にも敗れた。

「法政のディフェンスはもともと相性が悪くて、苦手意識はありましたし、試合中も対応しきれなかったんです。相手に封じられたというよりは、こっちのプレーの精度が足りていなかった。言ってしまえば、〝あるある〟の後悔やなって感じですね」

立教と法政に喫した重い2敗。山口はこのときに心が折れかけたという。

「甲子園の道が絶たれてしまって、モチベーションの持ちようとか結構難しい部分もありました。でもどんな状況であれ、アメフトは勝負事だから。残りの試合に勝たな、おもんないんですよ。これで負け続けたら、ただのダサいチームなんで」

オフェンスリーダーとして、副将として、チームをもう一度上向かせようと努めた。

1学年上のQB吉田拓郎らの代が引退して、オフェンスの主力選手が一気に入れ替わった。ゆえに23年シーズンは、スタートの時点で未知数が多い状況だった。

「メンバーも大きく入れ替わって若いチームだったんですが、しっかりとコミュニケーションをとっていたこともあって、後輩がついてきてくれたかなと思います。試合に出てたQBも新楽(圭冬、都立戸山)、水木(亮輔、千葉日大一)と2年生でしたがよく頑張ってくれて助けられました」

第6節では優勝の芽が残っていた早稲田に16-7で勝ち、関係者をあっと言わせた。ここからチームが上向き、終盤で2連勝して明治の23年シーズンが終わった。

試合後、最後のオフェンスハドルで仲間に感謝の思いを伝えた

ここでしかできない斬新な経験

大阪の千里中央で育った山口は、小学校4年生の頃、チェスナットリーグ(タッチフットボールのリーグ)の「千里ファイティングビー」でアメフトをはじめた。プレーしたのは主にRBで、中学に進んでからは「ファイビー」での日曜の練習と、学校のバスケットボール部を掛け持ちした。

高校は大阪の強豪、箕面自由学園に進学。のちに関西学院大学に進む海﨑琢、鈴木崇与、波田和也ら同期のメンバーにも恵まれて、春は関西大会の決勝まで勝ち進んだ。しかし、関西学院高に26-50で大敗。秋も関西大会で関学相手に3-9で惜敗。全国決勝・クリスマスボウル出場の夢はかなわなかった。

大学では日本一になりたいと、関学大を志望した。しかし、関学に進学を決めた同期らとは裏腹に、山口は選考から漏れてしまう。そんな時に声を掛けてくれたのが、明治だった。

1年生だった2020年は、コロナ禍の影響で秋シーズンの3試合しかゲームがなかった

「明治には3学年上にミノジ(箕面自由学園)のレジェンド、ジョー(西本晟、じょう)さん、嘉本(かもと、健太郎)らがいて。高校は入れ違いでしたが、憧れる人たちが活躍してるのを知っていました」

まず、チームの運営方針を聞いて驚いた。「プレーを学生がつくって、プレーコールも学生が考えているって聞いたんです。『まじ? そんなんできんの?』と思いましたが、ここでしかできない斬新な経験ができるんちゃうかって」。山口は、明治に進むことを決めた。

高校3年のときはQBだったので、最初はそのつもりだったが、先輩も含めてQBが6人もいた。ちょうどその頃、No.2のWRにけが人が多く発生し、手薄な状態に。当時オフェンスコーディネーターをしてた明松大雅(かがり、現・ノジマ相模原)さんは現役時にNo.2をプレーしていて、「こっちに来いよ」と、山口にポジションのコンバートをすすめた。

山口はもともとRBの経験があったので、転向はスムーズに進んだ。「高校の顧問だった小川道洋先生(元・IBM、日本代表)にWRの基本は教えられていたんです。QBをしていたから、守備のカバーを読むのも慣れてましたしね」。1年生のうちから、先輩のデコウト大貴とローテーションで試合に出場して活躍した。

明治大学・デコウト大貴 ニュージーランドでラグビーを経験し、切り開いたWRの道
昨年11月23日の最終節、ガリさんが試合を見に来てくれた

「もともとショー(山口)は投げるよりも走る方が得意そうだったんですよね。アメフト歴は長くて上手なんですが、変にプライドが高い感じのヤツではなく、先輩に可愛がられるタイプでした。だから一緒にやりたいと思いました」と明松さんは、懐かしそうに話す。

山口は練習にも、とても熱心に取り組んだ。「アフター(練習後の自主練)で、ショーとよくマンツーマンで練習しましたよ。インサイドのWRだったので、ブロックとか体の入れ方は初めてのことも多かったと思います。僕がコーチをしていた1年間だけでしたが、長い時間一緒に練習をしたなと感じます」と明松さん。

山口は、明松さんがコーチを離れてからも度々アドバイスを求めたという。「この場合、ガリ(明松)さんならどう走りますか?」と。こうしたアメフトへの実直な取り組みが、最後のTDに結びついたのだろう。山口は「最後は結局お前かい!」と、仲間から大いに祝福を受けた。

TDを決めた後は仲間が集まってきて、山口のヘルメットをたたいて祝福してくれた

いったん引退、でも社会人で続ける

明治での4年間を振り返り、山口は言う。「学生主体ということ自体はよく言われますが、何よりも上下の仲の良さが明治の魅力ですね。学年関係なく何でも言い合える雰囲気がチームにありますし、オンとオフの切り替えもしっかりしているんです。寮は4人部屋で、2段ベッドが部屋の両脇にあるんですが、学年の違う先輩や後輩と一緒に暮らすのは楽しいですよ」

加えて、戦術作りなどに主体的に取り組む楽しさについても口にする。「自分たちでプレーを考えて作るっていうのは、明治ならではだと思います。試合中に自分たちでアジャストするのはもちろん難しさもありますが、その分うまくいった時の喜びは大きかったです」

大学に「忘れ物」があるので、卒業せずに残ることが決まっている。アメフトはいったん引退したものの、これで切り上げるつもりはない。「小学生のときからずっとアメフトがある生活をしてきました。社会人でも、絶対に続けると思います」

4years.の締めくくり。最後の最後に〝翔んだ〟男は、次の舞台でも挑戦を続ける。

「何でも言い合える仲間」と表現する同期と

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