アメフト

元立命館大監督の古橋由一郎さんが近畿大HCに「これが最後。学生と絆を持ちたい」

2019年秋のリーグ戦で関大に敗れ、古橋監督は「君たちがドラマをつくるんや」と叫んだ(撮影・安本夏望)

監督やヘッドコーチ(HC)として2度立命館大学を率い、甲子園ボウル3連覇やライスボウル2連覇を成し遂げた古橋由一郎さん(59)が、4月から近畿大学キンダイビッグブルーのHC兼ディフェンスコーディネーター(DC)に就任する。母校の黄金期を築いた「闘将」は立命館大学の職員を辞め、まだ甲子園ボウルに出たことのないチームへ飛び込んだ。「甲子園ボウルのトーナメントに3位まで出られるので、何とかそこに食い込みたい。ただ、そんなに簡単にはいきませんから、まずは体づくりからです」と話している。

パンサーズの元主将、卒業後も母校で指導

3月23日に大阪市内で開かれた「古川明さんを偲ぶ会」が終わり、私たち報道陣は会場から帰途につく古橋さんを待っていた。もちろん春からの新天地について取材するためだ。古橋さんは我々の存在を確認するなり、「ご無沙汰してます。近畿大学の古橋です!」と言ってニヤリと笑った。

古橋さんは兵庫県立伊丹西高校出身。野球部でファーストを守り、ときにマウンドに上がった。体と体がぶつかり合う競技がしたくて、2浪して1985年に入学した立命館大でアメフトを始めた。当時は立命館がアメフトの強化に本腰を入れる前で、関西は関西学院大学と京都大学の2強状態になったころ。87年にチームのニックネームが「グレーターズ」から「パンサーズ」になった。古橋さんのポジションはDL(ディフェンスライン)。4年のときは主将を務めた。89年春に卒業すると同時にコーチとなり、翌90年の秋、創部37年目で初の関学戦勝利(13-12)を経験する。94年に初の関西制覇を果たし、甲子園ボウルでも勝った。

2001年にHCとなり、平井英嗣監督の退任を受けて02年からチームを率いた。QB(クオーターバック)高田鉄男やWR(ワイドレシーバー)木下典明、長谷川昌泳らの名選手にも恵まれ、08年シーズン限りで退任するまでに関西を5度制し、学生日本一に輝くこと4度、社会人王者と争っていたライスボウルも3度制した。18年には10年ぶりの監督復帰。関学の青い壁を打ち破れず、21年シーズン限りで退いた。この4シーズンは新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、「闘将」らしさを押し出せないもどかしさを感じながら、不完全燃焼に終わったように見てとれた。

2018年春、2度目の監督就任のころ。近大では「チームが変わるには5、6年かかる」との思いで取り組む(撮影・筋野健太)

毎日が野菜炒め

2度目の監督生活が終わったあとは大学職員の仕事に専念していたが、フィールドから離れて1年経ったころから「やっぱりコーチがしたいな」と思うようになり、関東の大学や社会人チームも含めて行き場を探していた。「ディフェンスの専門家なので、2回目の監督のときにディフェンスに関して十分できなかったというのがありまして、もう一回ディフェンスコーディネーターとしてやりたいと思ってました」

母校での教え子である高橋健太郎さんがパンサーズの新監督になると聞き、コーチとして入ることも考えたが、話は流れた。「さすがに彼が僕を部下にするのは難しかったみたいです」と豪快に笑う。「フットボールの指導者をやるのも次が最後やな」と思いながら〝就活〟をしていると、近大のDCが交代するという情報が入ってきた。興味を示したところ、同期の近大OBから「本気なんか?」と連絡があり、「本気やで」と応じて話し合いが始まり、DC就任、さらにはHCまで任されるという話になった。

正式決定を前に、立命館の関係者回りをした。「怒られるやろなあ、と覚悟して行きました」。とくに平井さんには確実に怒られると思っていたそうだ。すると平井さんは「お前、すごいな。チャレンジャーやなあ」。平井さん自身がやりたいんじゃないか、と思ってしまうぐらいの勢いで背中を押してくれたそうだ。「意外にもみなさんに『頑張れよ』という感じで送り出してもらいました」

昨秋、甲南大戦での近大ディフェンス。2勝4敗1分けで5位だった(撮影・北川直樹)

立命館の職員を3月31日付で辞し、4月1日付でアメフト部の強化スタッフとして近大の契約職員となる。契約は1年だ。「給料は下がるんですけど、自分のライフワークになったフットボールに携わっていきたいと。年齢的にこのチャンスを逃したら、もうありませんのでね。思い切って決めました」。正式な就任を前に、2月から指導を始めている。2月は週に2回、東大阪市内のグラウンドに通った。3月になるとグラウンドのごく近くにワンルームマンションを借り、単身赴任生活が始まった。「毎日、野菜炒めばっかり作って食ってます。いまになって嫁さんのありがたみを感じますわ」と笑う。

近大に行くとなったとき、周りのフットボール関係者から近大の選手たちについてネガティブな声が聞こえてきた。「でも入ってみると全然違いました。元気があるし、おぼっちゃん的な雰囲気がないのもいい」。古橋さんの声が弾む。「一方で『関学とか立命やからできるけど、俺らにはできへんねや』っていう空気もあるので、そこを払拭(ふっしょく)してやれば、ある程度戦える感じがします」

選手たちを高ぶらせた伝説のペップトーク

指導者としてのやりがいについて尋ねると、古橋さんはこう言った。「フットボールが強くなるだけじゃなくて、人間関係ですよね。4年間を一緒に過ごすと、もう一生の付き合いになる。人間的なところもしっかり教えながら、絆を持ちながらやっていきたいなと」。1月に59歳になったが、まだまだアツい。「ちょっとトシとりましたけど、昔ね、立命館のディフェンスコーディネーターやってたときぐらいの感じでやらなあかんなと思ってます」

古橋さんといえば、という伝説のペップトークがある。2005年1月3日、松下電工インパルス(当時)とのライスボウルを前にして、古橋監督がパンサーズの面々に語りかける。徐々に語気を強め、絶叫に至り、学生たちの心を最高潮に高ぶらせる。放送局がパンサーズに密着していたことで広まったペップトークを以下に記しておきたい。秋にはこんなシーンが再現されるかもしれない。

男にはな、人生をかけて戦わなあかん時があんねん。相手がどんなに強い、な、相手の方が絶対有利やと言われててもな、立ち向かっていかなあかん時があんねん。「松下電工が強い」「松下電工の(方)が有利や」。それは、マスコミが言うとるだけやろ。フットボールの内容、それからチームワーク、あとどれをとっても我々の方が上や。それぐらいの力は、お前ら一人ひとりが持ってる。お前ならできる。お前らやったらできるんや。な、やろう。このチームで最後の最後まで頑張って力を出し尽くして、今日は勝つ!

新たな「伝説のペップトーク」をお願いします!!(撮影・篠原大輔)

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