野球

仙台大学・渡邉一生(上)クラブチームから進学した左腕が〝ロマン枠〟を脱却するまで

渡邉一生が発する「チームのため」という言葉には重みがある(撮影・川浪康太郎)

「チームの勝利のために投げる」。投手が取材などでよく口にする言葉だが、仙台大学の最速151キロ左腕・渡邉一生(3年、日本航空/BBCスカイホークス)が発したその言葉には重みがあった。高校2年生の冬、神奈川の強豪・日大藤沢から通信制の高校へ転校。クラブチームに所属してプロを目指すもドラフト指名はなく、仙台大に進学した過去を持つ。以前はできなかった「チームのため」の投球を身につけ、大学でブレークを果たすまでに何があったのか。渡邉の「変化」に迫った。

新テーマは「150キロが出る変化球ピッチャー」

今春の仙台六大学野球リーグ戦、渡邉はここまで4試合、25回3分の2を投げ3勝、36奪三振、防御率0.35と圧巻の数字を残している。内容も充実しており、早くも来秋のドラフト上位候補と言って過言ではない存在になっている。

4月13日、自身初の開幕投手を務め、九回途中14奪三振1失点(自責点0)と好投した渡邉は試合後、「今年は『150キロが出る変化球ピッチャー』をテーマにやっています」と口にした。今春は150キロ台の速球を連発するだけでなく、オフ期間に磨いてきたチェンジアップやカーブなどの変化球も駆使して打者を翻弄(ほんろう)する、掲げたテーマ通りの投球を続けている。

また同日の取材では、「高校生の時は『自分がプロにいけたらそれでいい』という考えだったんですけど、今は『チームの勝利のために投げよう』と思えるようになってきました」とも明かした。後日、心情の変化が起きた理由について改めて話を聞いた。

仙台大では高校時代とは異なる気持ちで左腕を振っている(撮影・川浪康太郎)

「甲子園」を目指さず、転校を決断した高校時代

日大藤沢では1年夏から登板機会をつかみ、頭角を現した。しかし「プロ野球選手になること」を第一に考えていた渡邉は、高校球児の多くが、そしてチームメートの誰もが目指す「甲子園」という場所へのこだわりを持つことができなかった。「甲子園にこだわらなくても、甲子園に出なくても、プロ野球選手にはなれる」。高卒でのプロ入りに向け、上のステージを目指す選手が多数在籍するクラブチーム「BBCスカイホークス(現・GXAスカイホークス)」に入団する決断を下した。

スカイホークス時代はチームとして公式戦を戦う機会がなく、出場する試合はすべてオープン戦だった。「たとえば内野ゴロを打たせた場合、内野手がうまいさばき方をしたらスカウトの目は内野手に向いてしまう。三振を取れば、フォーカスは自分に向く。じゃあ、三振を取らないといけない」。スカウトの目ばかりを気にかけ、チームの勝利は二の次になっていた。

スカウトの注目を集めながらもドラフトでは名前を呼ばれず、仙台大に進学した。1年時からリーグ戦に登板し全国大会も経験したが、「ひとりよがりのピッチング」から抜け出せずにいた。速球で三振を取ろうと力を入れて投げすぎた結果、肩とひじを故障し、2年時は公式戦での登板はゼロ。空回りの日々が続いた。

スカイホークス時代の渡邉(撮影・大宮慎次朗)

「チームの勝利のために投げる」という言葉の真意

そんな渡邉に変化のきっかけを与えたくれたのは、仲間との出会いだ。中でも大きかったのが、渡邉が「師匠」とあがめる先輩・川和田悠太(現・三菱重工East)の存在。チームのエースだった川和田からは「このピッチャーのうしろで守りたい、このピッチャーのうしろで投げたいと思ってもらえるような選手になりなさい」との教えを受けた。

「川和田さんがそういう選手だったので、自分も川和田さんの背中を追いかけて頑張っています。150キロを出して9回を1点で抑えたとしても、三振ばかり狙って野手のリズムが悪くなって、0-1で負けたら意味がない。2、3点取られても味方に『あいつが投げてくれているから打たなきゃ』と思わせられるピッチャーの方が、いいピッチャーなんです」

渡邉にその「味方」について聞くと、具体的な名前が次々と挙がった。

「キャプテンの小田倉(啓介)さんはサードから声をかけてくれるし、仲のいい平川(蓮)がファーストにいるのも心強い」「井尻(琉斗)がキャッチャーをやってくれているから頑張れている」「同級生の(樫本)旺亮や後輩の(佐藤)幻瑛がいいピッチングをしたら、次は自分が抑えようと思える」「平塚(恵叶)はよく相談に乗ってくれて、石塚(天平)はいろいろな面で支えてくれている」

本人いわく、高校時代は「とがっていて」周囲に目を向けることができていなかった。大学で信頼できる味方ができたことで、マウンドでの考え方や投球の組み立て方が変化した。要所で三振を奪い、雄たけびを上げる姿は以前と変わらないが、相手を威嚇するためではなく、「チームを盛り上げるため」に叫ぶようになった。降板後の立ち位置はベンチの端から最前列に変わり、投げていない時も全力で声を出すようになった。「温かい、いい仲間がいるので、チームの勝利のために投げられるようになりました」。開幕戦後の取材で発した言葉の真意はそこにあった。

大学で出会った師匠の言葉でチームに貢献する大切さを知った(撮影・川浪康太郎)

今だから言える「チームを神宮に連れていく」

心情の変化とともに、結果もついてくるようになった。渡邉は「自分にベクトルを向けるのではなく、仲間にベクトルを向けることで、目の前の試合に入り込めるようになりました」と話す。プロへの思いは高校生の頃と比べて「より強くなっている」。ただ、プロ野球選手になることは「目の前」の目標ではない。

「155キロを投げるけど勝たせられないピッチャーと、150キロだけど勝たせられるピッチャーがいたら、プロのスカウトは勝たせられるピッチャーを選ぶと思うんです。自分を客観視した時に、1年生の自分もロマンはありましたけど、負けない今の自分の方がいいピッチャーに見えました。チームを勝たせられれば、必然的にプロには近づくはず」

6月には全日本大学野球選手権が開催される。全国大会は自身の魅力をアピールする絶好の機会だ。だが、今は先を見ずにリーグ優勝に貢献することだけに注力する。そして誓う。「神宮で投げたい、ではなく、チームを神宮に連れていきます」

仙台大学・渡邉一生(下)ケガを機に「球速にこだわらない」最速151キロ左腕へ変貌

in Additionあわせて読みたい