野球

特集:2023年 大学球界のドラフト候補たち

法政大・尾﨑完太 テニスボールで覚えた魔球と最速150キロが武器の「左のエース」

法政大の「左のエース」尾﨑は、速球と変化球のコンビネーションが武器(撮影・井上翔太)

今年のドラフト候補として注目を集める法政大学の尾﨑完太(4年、滋賀学園)。「名門」の左のエースは今春の東京六大学リーグ戦で最多の4勝を挙げ、リーグ1位となる47奪三振をマークした。視線高くプロ入りに向けて取り組んでいる尾﨑に、絶対的な武器とするカーブを習得した経緯や、ストレートが最速150キロに達するまでの道のりなどを聞いた。

打者に残像を残すコンビネーション

尾﨑の最大の持ち味は、今春150キロに達したストレートと変化球のコンビネーションだ。右打者の内角に食い込むクロスファイアにも威力があるが、さらに強みになっているのが自在に操る変化球だ。「カーブとスライダーはコースを狙うものではないと思ってます。もともと曲がる球ですからね。ストレートと同じようにしっかり腕を振ることに重点を置いてます」

中でも確固たる自信を持っているのが、タテに割れる曲がりが大きいカーブだ。尾﨑はこう明かす。

「打たれない自信がありますし、打たれた記憶もほぼないです。ここで曲げたらこういう軌道を描く。それが想定できるというか、投げる前に見えるんです。実際の軌道も十中八九はイメージ通りですね」

春のリーグ戦ではこのカーブを有効に使う新たなすべを発見したという。ある試合ではストレートが上ずっていた。真っすぐの調子は良くなかったが、次にカーブを投げると空振りが取れた。「残像が残っていたからかもしれませんね」と尾﨑は言う。

タテに割れる大きなカーブは「軌道が想像できる」というほど自信を持つ(撮影・井上翔太)

尾﨑のカーブは上から落ちてくる。かつては「ドロップ」と呼ばれていた球種だ。バッターはどうしても目線が上がる。その前の真っすぐで高めに残像が残っていた分、打者からするとストレートとカーブの見極めが、より難しくなったのだろう。

「残像」は、カーブ、ストレートの順番でも活用できるという。

「カーブが初球の時ですね。最初に来る球だから、残像が残りやすいのでしょう」

「絶対的な武器」を手に入れたのは、豊中シニアに所属していた中学時代だ。チームの練習は土日以外に平日も3日あったが、それでも尾﨑は飽き足らず、残り2日も友だちと野球をして遊んでいた。「野球小僧だったんです(笑)」。公園で使っていたのは硬式のテニスボールだった。

「硬球よりもよく曲がるんです。『この角度から落としたらこういう軌道を描く』というのがわかりやすく、カーブもそのなかで自然に覚えました。中学の試合でもカーブは遊びの延長で投げてましたね」

120%で投げたとき、いかにリリースを安定させるか

小学生の頃、尾﨑は背が低い方で、ストレートも速くなかった。どうすれば打ち取れるのか? そこで磨いたのがコントロールだった。「ボールに力がないので、制球で勝負するしかないと、子どもながらに考えたんです」。緩急を使うすべも覚えた。「学童野球で変化球は禁止ですが、スローボールはOKなので、遅い球で打者のタイミングを外そうと」。ストレートと変化球のコンビネーションのセンスは、小学校時代に作られたのかもしれない。

小学3年のときから貫いている投球フォームが「くの字ステップ」だ。これは体重移動の際に踏み出す足(左腕の尾﨑の場合は右足)が「くの字」になることで、体の開きを抑えやすいなど、多くのメリットがあるとされる。「子どもの頃に憧れていた前田健太さん(現・ツインズ)の影響です。マネしているうちに自然と体に染みこんでいった感じです」

右足を曲げる「くの字ステップ」は小学生の頃から貫いている(撮影・井上翔太)

中学時代は球速がなかなか120キロにも届かず、同級生の中でも3番手だった。それでもコントロールは一番良く、だんだんと「試合を作れる投手」として評価されるように。2年秋にはエースの座を手に入れた。球は速くなかったが、持ち前の制球力に加え、カーブの他にもスライダーとチェンジアップを習得したことで、三振を奪える投手にもなっていた。

滋賀学園に入学したときも、球速は125キロだった。「並」だったストレートが速くなったのは、130キロに達した1年秋の大会後だ。ウェートトレーニングを続けたことで、少しずつスピードが増し、エースとなった2年秋には140キロに到達。滋賀県の秋季大会では準決勝で近江に敗れたものの、大津商との2回戦では2安打14奪三振で完封するなど、この頃から注目投手になっていった。

プロを意識するようになったのは、県大会の決勝に進んだ3年の春あたりからだという。ただプロ志望届は提出せず、レベルが高い投手が集まる法政大で腕を磨く道を選んだ。

滋賀学園高校時代の尾﨑。当時からプロを意識していた(撮影・安藤仙一朗)

法政大でも1年秋に145キロを計測し、投球フォームを2段モーションにした3年春には149キロをマーク。着実に球速を伸ばしていった。一般的に150キロを出す投手は、子どもの頃から速かったタイプが多い。だが、前述の通り、尾﨑はそうではない。これまでトレーニングやフォームを進化させていったことで、言わば後天的に少しずつスピードを高めてきた。

まだまだ球速は出せると思っている。

「150キロが出た時はようやく……とホッとしましたが、大学で野球生活を終えるまでに153キロは自然に出ると思います」

ストレートに関しては、次元の高いことを考えている。テーマは「120%で投げたときにいかにリリースを安定させるか」だ。プロ入りを見据えてのことでもある。

「8割程度なら安定しているのですが、ギアを上げたときも同じように安定させたい。ただ、そうすることでカーブの感覚がずれてくる難しさもあるんです」

高いレベルで進化を続けていくためには、ときに壁にぶつかることもあるのだろう。

意識を高くさせているプロに進んだ先輩からの情報

尾﨑は身長175cm、体重73kgと、投手として決して大きくはない。恵まれているとはいえない体で最大限の出力を発揮するためには、効率の良い投げ方が求められる。

「いま取り組んでいるのは、横の移動の時間。つまり、上げた足が着地するまでの時間を長くすることです。できるだけ壁をキープしたいと考えています」

それを実現する体を手に入れるための強化にも励んでいる。週5日は個人で契約しているジムに通い、毎回4時間、トレーニングしているという。

尾﨑の意識を高くさせているのが、法政大からプロ入りした先輩投手たちからの情報だ。「よく鈴木昭汰さん(現・千葉ロッテマリーンズ)、石川達也さん、三浦銀二さん(ともに現・横浜DeNAベイスターズ)といった先輩方と食事をするのですが、その時にプロで通用にするにはどういうことが必要で、大学生のうちに何をしておかなければならないか、そういった話を聞いてます」

プロに進んだ先輩投手たちからの助言を胸に、自身も同じ舞台をめざす(撮影・上原伸一)

今春は42回1/3を投げて47奪三振。三振の数がイニング数を上回った。リーグ戦通算でも124回を投げて131三振を奪っている。このうち123個はほとんど狙ったものだったという。

「中学、高校は『試合が終わってみたら三振が取れていた』という感じでしたが、大学では狙って取れるようになりました。気が付いたのは2年春の開幕前、オープン戦のときです。救援が多かったんですが、2イニング投げると四つくらい、それも取りたいときに取れまして。そこからですね。三振を狙うようになったのは」

進路はプロ1本と決めている。ラストシーズンは、ドラフト指名と2020年春以来のリーグ優勝を手にするつもりだ。

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