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東京大学・山口真之介 39年ぶり満塁弾の背景、野球日誌で培った「瞬時の集中力」

東大の選手として39年ぶりに満塁ホームランを放った山口(高校時代以外はすべて撮影・井上翔太)

東京六大学野球の春季リーグ戦。東京大学の山口真之介(3年、小山台)が立教大学との1回戦で、東大選手としては1984年秋の朝木秀樹以来、39年ぶりとなる満塁ホームランを放った。都立小山台高校時代の取り組みをひも解きながら、記録的な一打の背景に迫った。

「勝ちに等しい引き分け」に持ち込んだ値千金の一打

迷いなく振り抜いた打球は、右翼席に吸い込まれていった。東京六大学リーグとしては109本目。このうち東大の選手が占める割合は2%にも満たない。東大が勝利した時と同様、この快挙もニュースになった。しかも山口の満塁アーチは、終盤の八回に飛び出した値千金の同点打でもあり、敗色濃厚の試合を引き分けに持ち込む大きな一発になった。

「勝つことはできませんでしたが、勝ちに等しい引き分けと言っていいかもしれません」。試合後、大久保裕監督代行は、こう振り返った。81年春、東大は早慶の両校から勝ち点を奪うなど6勝を挙げ、「赤門旋風」を巻き起こした(最終順位は4位)。この時「3番・ショート」で主将だったのが、大久保監督代行だ。

満塁アーチは同点に追いつく値千金の一打でもあった

元号が令和になった2019年。7月27日に、都立小山台高校のユニホームを着た山口の姿が、神宮球場にあった。4年後、同じ場所で山口が快挙を果たすとは、誰も知る由はない。小山台は前年に続き、東東京大会の決勝に進出していた。相手は強豪の関東一高。エースは土屋大和(現・立正大学4年)だった。

東京は私学優勢の色合いが濃い。夏の選手権大会に出場した都立は3校のみ。80年の国立高校(西東京)、99、01年の城東高校(東東京)、そして03年の雪谷高校(東東京)である。春のセンバツには14年、小山台が21世紀枠で選出されたため、実際に甲子園の土を踏んだ学校は計4校にとどまる。東大が勝つと社会的な関心事になるが、都立が甲子園に行くと、こちらも大きなニュースになる。

都立の甲子園出場は、都立高校全体としての悲願でもある。二松学舎大付高校に阻まれた前年夏の決勝と同様、この日も他の都立高が何校も応援に駆けつけた。都立の球児たちはネームが記されたバッグをどこか誇らしげに肩に掛けていた。

都立でありながら、2年連続の決勝進出。今年こそ甲子園に行かせたい――。2万人と発表された観衆は、ほとんどがそう願っていたかもしれない。関東一にとっては球場全体がアウェーのような雰囲気になっていた。

だが、この年も強豪私学の壁は高かった。小山台は0-4で敗れた。

2019年夏の東東京大会で準優勝した小山台の選手たち(撮影・長島一浩)

高校最後の夏は背番号「19」の控え選手

この大一番で、山口の出番は訪れなかった。背番号は「19」。大会前の取材でも福嶋正信監督の口からその名前は出ておらず、チームの中心選手ではなかった。この試合で5番を打っていたのが、当時2年生で、現在は慶應義塾大学でプレーしている上江洲礼記(2年)だ。堀井哲也監督は、同じ小山台出身の森村輝(2年)とともに、右のスラッガーとして期待している。慶大には他にも小山台出身の選手が2人おり、特に近年は、70近い偏差値の進学校の小山台から慶大に進む選手が多くなっている。

そんななか、一浪を経て東大に入学した山口は「高校で1年後輩の上江洲が今春のリーグ戦でベンチ入りしたのは刺激になっている」とししつも、小山台OBが慶大を選ぶ傾向にはやや複雑な感情を抱いている。「レベルが高いところでやりたいからだと思いますが、東大にも来てほしいですね」

一浪を経て東大の野球部に入った

高校時代は、限られた練習スペースと、限られた練習時間の中で野球に取り組んだ。小山台の硬式野球班(旧制八中時代からは部活動は「班」活動と呼ばれている)は、週2回はメンバーを中心に河川敷のグラウンドで練習をしているが、他の平日は校庭の半分、60メートル×50メートルほどの狭いスペースで、80人ほどの部員が全員で練習を行う。練習時間は100分程度しかない。定時制がある関係で17時には下校しなければならないからだ。

選手たちは1分1秒を惜しむように、あらかじめLINEで伝えられている練習メニューを次々と消化していく。メニューは普通、10分間や15分間と切りのいい単位で組まれるが、小山台では8分間、13分間などと細かく設定されている。入ったばかりの1年生はなかなかこのテンポについていけないという。全てにおいて無駄がなく、スピーディーである。

自分と向き合うすべを養った野球日誌

練習が終わり、選手たちが学校を後にする頃、夏場だと太陽がまだ高い位置にある。実はこの後が選手たちにとって大切な時間になる。ある者は帰宅後に自主トレに励み、ある者はジムでトレーニングを行い、ある者は勉強時間に充てる。

どう使うかは自由で、選手に委ねられているが、マストなことが一つある。「野球日誌」を書くことだ。高校野球チームで野球日誌を取り入れてる学校は少なくないが、小山台は別格である。毎日、A4サイズのノートに最低1ページはびっしり埋め尽くすことが義務づけられているのだ。進学校の生徒ではあるが、選手たちは「動画世代」。慣れるまではなかなかペンが走らないようだ。

山口も野球日誌を通して、頭を整理しながら、自分と向き合うすべを養った。「よくメンタル面のことや、感謝の気持ちをノートにつづっていました」。その習慣は東大野球部に入ってからも、生かされたようだ。大学では(レギュラー組ではない)Bチームの時代が長かった。ベンチ入りができたのも、リーグ戦に出場できるようになったのも、この春のリーグ戦から。1、2年時は、足りていないものを一つひとつ伸ばしていったが、そこで支えになったのが、自分と向き合う力だった。ウェートトレーニングにも力を注いだ。身長172cm、体重71kgと大柄ではないものの、上体はがっしりしており、顔が小さく見える。

野球日誌を通じて、自分と向き合うすべを養った

快挙の裏に、初球からフルスイングする準備

山口は、野球日誌を書くことで、集中力も身に付いたようだ。自主練習に勉強……。帰宅後にしたいこと、やらなければならないことはたくさんある。野球日誌も大切だが、そればかりに時間を取られていると、他のことに時間を割けない。小山台の選手は素早く頭を整理して、短時間で書く。それを習慣にすることで、「間」のある野球において、瞬時に集中できるようになるのだ。

これは野球のみならず、勉強においても武器になる。小山台の硬式野球班は毎年、浪人生も含め、国公立大や難関私大の合格者を多数出している。現役で大阪大学に合格したOBを息子に持つある母親は「高校野球引退後にすぐに受験勉強に集中できたのは、野球日誌のおかげだと思います」と伝えてくれた。

さて、39年ぶりのグランドスラム。山口が打ったのは初球だった。なぜ、初球からフルスイングができたのか?

「初球からフルスイングするための準備はしてました。技術的にはタイミングです。(ネクストバッターサークルに入る前から)ベンチでタイミングを合わせてました。メンタル的には、深呼吸して集中力を高めるなど、いくつかあるルーティンをしてました」

打席では迷いのないフルスイングを披露

快挙の裏にはこうした準備があった。そして、記録に名を残した山口を裏打ちしているのは、確かに小山台の野球であった。有形無形のスキルを身に付けた高校時代。これがあってこそ生まれた満塁本塁打だったのだ。

高校3年夏は背番号「19」の都立の控えだった選手が、東大のレギュラーになって、リーグ戦で満塁ホームランを打つ。本人からすれば、地道な積み重ねの結果だが、はたから見たら、それは1つのロマンである。

今春は残り1カード。東大はまだ勝ち星はないが、「何か」を起こす可能性を秘めている。最後の最後まで「赤門軍団」から目が離せない。

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