野球

特集:第71回全日本大学野球選手権

東海大札幌・佐藤豪紀 地方大会の場から聖地になった神宮への「あいさつ」

正二塁手として、神宮球場に戻ってきた(東海大札幌の試合はすべて撮影・井上翔太)

東京六大学や東都の選手にとって、神宮球場は「主戦場」だが、他リーグの選手にとっては、特別な場所である。全国に出られなければ、その地を踏むことはできない。その思いは、高校で神宮を経験している選手も同じのようだ。東海大学札幌キャンパスの佐藤豪紀(4年、東海大高輪台)は「高校時代の神宮と選手権での神宮は全く別物です。高校時代は地方大会の場でしたが、大学は全国大会の場。甲子園と同じくらい価値があるんです」と言う。

下積みと特有の寒さに「やめたい」

佐藤にとって神宮は、高校時代に慣れ親しんだ球場である。そして、悔し涙を流したところでもある。2年夏の第99回全国高校野球選手権東東京大会では決勝で二松学舎大付に敗れ、3年夏は5回戦で帝京に屈した。

必ず神宮に戻って来る――。花の都から北の大地に渡り、東海大札幌に入学した時、そう誓いを立てた。だが、現実は厳しかった。高校では1年夏からベンチ入りし、秋から遊撃のポジションをつかんだが、大学では順風満帆とはいかなかった。1年時はずっとメンバー外。明治神宮大会に出場した際も、スタンドから応援した。

初めて経験する北海道の冬も厳しかった。それまで味わったことがなかった下積みの苦労に北国特有の寒さが重なり、佐藤は次第にモチベーションを失った。

「野球をやめたい」。年末に帰省した際、佐藤は両親に打ち明けた。子供の頃から野球一色の生活を送ってきた。野球以外の世界を見たかった思いもあった。気持ちが野球から遠のいていた。だが、両親は首を縦に振らなかった。「何のために北海道に行ったんだ?」。父の博之さんはそう諭したという。

東海大高輪台時代から、神宮ではプレーしていた(撮影・朝日新聞社)

佐藤を翻意させたのが、姉の美波さんだった。日本体育大学時代、女子サッカーのエースストライカーとして活躍した美波さんは、中学、高校とけがに泣かされ続けた。それでも諦めることなくプレーを続け、2012年末から年明けにかけて行われた「第21回全日本大学女子サッカー選手権大会」で日本一に輝いた。

諦めずに地道に努力を続けていれば、必ずいいことがある。その経験をした姉の言葉は重かった。佐藤は2年時もメンバー入りはかなわなかったが、以後2度と「野球をやめたい」と口にすることはなかった。

心に火をつけられた二つの出来事

ようやくメンバー入りを果たしたのは、3年生になってからだった。春、秋ともに試合出場はわずかだったが、秋はリーグ優勝の輪に加わることもできた。新チームになると、レギュラー獲得をめざす佐藤の心に火をつけることがあった。

一つは日下部憲和監督からの期待だ。脚力を生かすため、スイッチヒッターへの挑戦を言われた。結局、右打者専念となったが、さらに燃えたのが背番号の変更だった。それまでは「57」だったが、「1学年先輩で主力だった塚越爽太さんが、『5』を僕に譲りたい、と言ってくれたんです」。

「5」はレギュラーの証しでもある。背番号に負けないプレーをしなければと、練習に熱が入った。

環太平洋大との1回戦、守備は堅実にこなした

母の前で放った初ホームラン

迎えた春のリーグ戦、ついに佐藤は二塁のポジションを獲得した。打順は下位だったが、課題である「体の開き」を修正し、勝負強さを発揮。札幌学生リーグの12試合でトップの13打点をマークした。

大学での公式戦初ホームラン(3ラン)は、東京から北海道まで試合を見に来ていた母・理美さんの前で打った。試合後、記念ボールは理美さんにプレゼントした。「高校までは親が来るのを嫌がっていたんですが」と博之さんは笑う。北海道で成長した佐藤は、人前でも堂々と親に感謝の思いを伝えられる青年になっていた。

2本目は、優勝を決めた札幌大学との一戦で放った。前夜、佐藤はややナーバスになっていたという。勝てば、目標だった全日本大学選手権大会への出場、つまり神宮でのプレーがかなうのだ。気持ちをほぐしたのは博之さんだった。野球を始めた頃から、中学の硬式チームで全国大会に出場した時、そして高校時代と、思い出の写真をつないでインスタグラムのストーリーズを作成。これでスイッチが入った佐藤は、スライダーをうまくバットで拾い、バックスクリーンまで飛ばした。

その夜、佐藤は両親に優勝報告した際、こう言った。

「野球をやめなくて本当に良かった」

札幌学生野球リーグ戦では、バットで大きく貢献した

最初から最後までフルスイング

環太平洋大学との1回戦。佐藤は試合前、あることを決めていた。最初で最後の選手権、目標としていた大舞台だ。初球から思い切り振ろう、と。その通りにフルスイングしてみせた。安打が出なくても、最後まで変わらなかった。それが「特別な場所」への、佐藤なりのあいさつだった。

この試合、同学年の渡部雄大(4年、東海大甲府)が大会史上7人目のノーヒットノーランを達成した。渡部も夢を持って、山梨からやって来た。「仲がいい同期の快挙は自分のことのようにうれしかったです」と佐藤。大記録達成の瞬間をセカンドから見届けられたのは、歳月を重ねるほどに価値が高まっていくだろう。

2回戦は佛教大学投手陣の前に、打線は4安打と沈黙した。東海大札幌の先発・登坂真大(3年、札幌光星)が踏ん張り、六回まで0-0を保っていたが、七回に4失点。0-6で敗れた。佐藤は2回戦もフルスイングを貫いたが、快音は聞かれなかった。

「選手権の2試合で、全国のレベルの高さがわかりました。結果は出ませんでしたが、神宮に来られなかったら、全国のレベルもわからなかったと思います」

打席では豪快なフルスイングを披露した

「野球は大学まで」と決めているからこそ

試合後、佐藤は涙で目を赤くはらしていた。理由は二つあった。

「一つはチャンスで打てなかったからです。2度回ってきた満塁の場面で僕が打っていたら、展開が変わっていたので」

もう一つは、まだ決めかねているが、春で一区切りにしたい考えが強いからだ。だからこそ必ず神宮に出ると、練習を続けてきた。これで終わりかも…。そう思うと、寂しさがこみ上げてきた。

卒業後は海外に出て、グローバルな仕事をしたいと考えている。「いろいろな国に行って、それぞれの国の文化や価値観に触れることから始めたいと思っています」。野球をやめるつもりだった1年冬も、同じことを考えていた。

「でも、そうしなくて良かったです。野球で目標をかなえられたから、野球以外のことも頑張れると自信がつきました」。家族の支えがあって来られた「特別な場所」。神宮でプレーできた経験は、社会に出ても得難い財産になるに違いない。

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