野球

特集:2022年 大学球界のドラフト候補たち

亜細亜大学・田中幹也 難病乗り越えた「忍者」、狙うはリーグ最多の盗塁記録

亜細亜大学の田中幹也は、出塁すると常に盗塁を狙う(亜大の試合写真はすべて撮影・井上翔太)

あなたは運が良い人ですか?

不躾(ぶしつけ)な質問に、亜細亜大学の主将・田中幹也は「うーん……」と少し考えてから、「運は、あんまり良くないほうだと思います」と答えた。

たらればを言い出せばキリがない。ただ、言いたくもなる。もしコロナ禍がなくてリーグ戦が通常通りに行われていたら、もし病に伏せることがなければ、今頃はもう大学野球の盗塁記録を塗り替えていただろう。もっと言えば、あと15cmほど背が高かったら、高校の段階でドラフト指名を受けてプロに行ったかもしれない。

「小は大を兼ねられないけど……」

そのスピードを全国に知らしめたのは、高校2年の夏だった。西東京代表・東海大菅生の「1番・ショート」として第99回全国高校野球選手権大会でベスト4に勝ち進んだ。身長166cm、体重60kgほどの小さな体がグラウンドで躍動していた。4試合で16打数8安打、打率5割をマークした打撃もさることながら、的確なポジショニングと打球反応の良さで好守を連発し、「忍者」と呼ばれるようになった。

東海大菅生時代から躍動感のある守備が魅力的な選手だった(撮影・加藤諒)

守備の原点は父・茂さんの教えだった。名門・東海大相模で同じショートとして活躍した茂さんに、野球を始めた頃から「絶対に頭を浮かさず、(打球に対して)低い体勢のまま動け」といつも言われていた。それが球際の強さやグラブさばきにもつながっている。

小学校の頃からずっと、野球部だけでなく学校のクラスでも一番小さかった。だからこそ、この体でやる野球が全身に染みついている。田中はきっぱりとこう言う。

「ハンデだと思ったことは一度もないですね。むしろ武器です。野球はパワーだけじゃないんで。小は大を兼ねられないけど、『小』にしか出来ないことがあるはずですから」

順調に成長していた中で、襲った病

最大の武器であるスピードをいかすために、系列の東海大学ではなく、機動力野球を推進する亜大への進学を決めた。亜大OBの井端弘和(元中日ドラゴンズなど)に憧れがあった。同じ右打ちのショート。よくYouTubeで現役時代のプレー動画を見て、研究していた。

亜大では1年のときから試合に出始めた

大学では、入学直後からセカンドのレギュラーとして起用され、1年生ながら大学日本代表に選出された。2年秋のリーグ戦では10盗塁を記録。本来のショートに戻った3年春にはベストナインにも選ばれた。順調に大学野球界を代表する選手へと成長していた。しかし、3年の夏、思わぬ不運に見舞われた。

リーグ戦開幕前の北海道キャンプでのことだ。紅白戦で守備についていると、腕に虫がたかり、払いのけようとした瞬間、たたかれたような激痛が走った。スズメバチだった。刺された患部がヒリヒリし、しばらくするとせきが出始めた。病院に行って、念のため検査を受けたところ、スズメバチに刺されたこととは別の「聞いたこともない病名」を告げられた。

潰瘍性大腸炎の影響で体力は落ちたが、負けん気で戻ってきた(撮影・矢崎良一)

潰瘍(かいよう)性大腸炎だった。国が指定する難病で、かつて安倍晋三元首相が総理辞任に至ったほどの大病だ。言われてみれば、田中には以前から腸が弱い自覚があった。帰京後、すぐに入院し、手術。約2ヶ月間の入院生活で、体重は10kg以上も落ちた。

「その病気がどれくらい大変なのかという自覚もないままに入院して、手術を受けて……。もう野球をやめなきゃいけないのかなと不安でした。でも先生(医師)が『ちゃんと治したら、また野球もできるようになる』と言ってくださったり、チームメートが『早く帰ってこい』と寄せ書きの色紙をくれたり、そういう言葉ですごく前向きになれました」

真中満に並ぶ1試合6盗塁の最多記録

退院後は、グラウンド横の陸上トラックを歩くことから始め、少しずつトレーニングの負荷を上げてきた。年明けには野球の練習も本格的に再開。体のキレも戻ってきた。「絶対に復帰してやる」という負けん気の強さが、回復を加速させた。そして大分での開幕戦に先発出場。「野球がやれることがうれしい」という思いをプレーで体現していた。

再び「忍者」として脚光を浴びたのが第2週、1勝1敗で迎えた國學院大學との第3戦だった。田中は単独スチールにダブルスチール、ホームスチールと計6盗塁を決めた。これは日本大学の真中満(元東京ヤクルトスワローズ監督)が1992年に記録した1試合最多盗塁のタイ記録だ。

東都大学野球リーグの最多盗塁をめざしている

生田勉監督も、入学当時から「盗塁記録に挑戦しろ」と発破をかけてきた。出塁したら基本的に「自分の判断で行けたら行っていい」というグリーンライト。だから「全球スタートするつもりでいる」と田中は言う。

盗塁については理論より自分の感覚だ。誰かからノウハウを教わった記憶はない。

「失敗して覚える面もあるので、オープン戦などでは少々強引でも必ずスタートします。監督からは、むしろ行かないことを怒られますし。行ってアウトになったら、スタートの悪さを指摘されます。盗塁はスタート勝負だと思っているので、そういう度胸の差が数字に表れてくる気がします」

今春は11盗塁を成功させ、通算38盗塁に伸ばした。3年秋の病気に加え、2年春もコロナ禍でリーグ戦が中止になったため、2シーズンを棒に振っている。実質5シーズンで残したと考えると、驚異的な数字だ。

東都大学野球リーグの通算盗塁記録は52。シーズン最多盗塁は18。ともに駒澤大学の野村謙二郎(元広島東洋カープ監督)が樹立した。ハードルはかなり高いが、田中がこの秋、シーズン最多盗塁を更新するようなら、通算盗塁記録も更新する。「(記録を)狙いたいと思っています」と田中は言う。

打席ではしぶといバッティングを見せる

災いと幸福は、表裏一体

「禍福は糾(あざな)える縄の如(ごと)し」という言葉がある。幸運と不運は交互にやってくるものという意味らしい。

もし身体に恵まれていたら、スピードという武器に特化することもなく野球をやっていただろう。打てて、守れて、でもそれだけではここまで注目されてはいなかった。また、あの日、スズメバチが飛んでこなければ、もっと深刻な病にも気付かないままだった。

いやいや、田中幹也はきっと強い運を持っている。

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