ラグビー

特集:駆け抜けた4years.2025

関西学院大・平生翔大主将 チームを変えた人格者が、大学ラストイヤーで学んだこと

チームの要として1年間引っ張った関西学院大の平生翔大(ロゴ入りはすべて撮影・関学スポーツ編集部)

関西学院大学ラグビー部は2024年11月、京都産業大学から勝ち星を挙げて関西の大学ラグビー界を盛り上げた。だが、最終節で近畿大学に22-29で敗れ、Aリーグ4位に。3位までに与えられる大学選手権への出場を逃し、4年生は引退を迎えた。「全国ベスト4」を目標に、学生主体の運営で駆け抜けた今シーズン。部員の手本として先頭に立ち続けた主将のHO平生翔大(ひらお・しょうだい、4年、関西学院)にラストイヤーを振り返ってもらった。

試合終了の笛が吹かれるまで、誰ひとり諦めず

22-22で迎えた後半28分、近大に勝ち越しのトライを許し、ゴールも成功。その後、関学は敵陣深くまで攻め込んだが、トライはならず、そのままノーサイドとなった。大学選手権出場には出場できず、このメンバーでラグビーをするのは、この日が最後。平生は厳しい現実に涙があふれた。「絶対に全国ベスト4を達成できると信じていました。何かが足りなかったみたいです」。半ば放心状態で記者会見場に向かった。

「今年の関学は強い」。周囲からの評価の声は、彼の耳にも届いていた。それでも、うぬぼれた態度を絶対に見せなかった。質問には「目の前のことに全力で取り組むだけです。チャレンジャーという気持ちを忘れずに戦います」と必ず答えた。リーグ開幕から連勝を重ねても、ちょっとした隙を気にしていた。

連勝を重ねても、常日頃から隙を見せないことを心がけた

一方で最終節は持てる力を出し切ったのだろう。大勢の記者の前で「ひたむきさを出せたと思います」と言い切った。ミスキックになっても、たとえトライが認められなくても、試合終了の笛が吹かれるまで、誰ひとりとして諦めずに走った。気持ちの整理こそついていなかったものの、この1年間の努力は間違っていなかったと確信しているようだった。

高等部の花園ベスト4に「あのジャージーを着たい」

兵庫県出身。高祖父は甲南大学の創立者・平生釟三郎、曽祖父にあたる平生三郎は元ラグビー日本代表だ。翔大はラグビー界のサラブレッドと言える。ただ、小さい頃は周囲からラグビーを強制されたことはなく、姉の友人に誘われて楕円(だえん)球に触れることとなった。

小学生のときに転機が訪れた。関西学院高等部が全国高校ラグビー(花園)でノーシードから全国ベスト4まで勝ち上がる姿を目の当たりにしたのだ。「あのジャージーを着てラグビーがしたい」と思い立ち、倍率6倍の競争を勝ち抜いて5年生のときに初等部へ編入。中等部、高等部とラグビーを続け、キャプテンを務めた高校3年時には花園へ出場し、大会の優秀選手に選出された。

高校3年の「花園」では強豪の流通経済大柏からモールで先制点を挙げた(撮影・朝日新聞社)

大学でも下級生の頃から学年リーダーを務め、最終学年でキャプテンに選ばれた。昨年2月に〝平生組〟が始動した際、掲げた目標が「創部初の全国ベスト4」。きっかけは3年時の大学選手権準々決勝でぶつかった帝京大学戦だった。15-78と力負けし、「国立競技場(準決勝)には全く届かなかったですし、勝つチームとの差、文化の違いを痛感させられました」

自分たちに足りないものは何か。チームビルディング、朝食会、ファミリーごとのウェートトレーニングと様々な取り組みを行い、模索を続けた。「何が正解なのか分からなかったけれど、仲間がいたから乗り越えられました。特に(松本)壮馬(4年、石見智翠館)の存在が大きかったです。彼がしゃべると雰囲気が変わるんです。みんなをやる気にさせるというか、スイッチを押してくれていました」

成果が現れるのに、時間はかからなかった。関西セブンズフェスティバルでベスト4に入り、春季トーナメントは創部初の準優勝。菅平合宿では関東の強豪校と互角の戦いを繰り広げた。勢いそのままに関西大学ラグビーAリーグで開幕4連勝。期待が高まる中で、第5節の天理大学戦に臨んだ。前半は関学が一歩リードしていたものの、セットプレーが乱れて敗戦。ノーサイドが告げられた瞬間、平生は涙をこらえるように天を仰いだ。ミーティングでは開口一番「申し訳ない」と伝えた。

「袋に水をためるとき……」常に意識した恩師の言葉

高等部時代、顧問に言われた「袋に水をためるときに小さな穴があれば漏れる。だから隙を作ったらあかん」という言葉を常に意識して行動したつもりだった。だが、心のどこかに緩みがあったのかもしれない。頭の中に浮かぶのは、マイナスばかり。それでも「まだ終わったわけじゃない。前を向こう」と自分を励ますかのように、仲間に訴えかけた。

ミーティングが終わると、平生は会場の前で首脳陣と副将の松本、学生レフリーの林龍太郎(4年、東筑)らと話をした。「反省できるのは今日だけ。何が足りなかったのか準備段階から振り返りました」。次節の相手は強敵の京産大。立ち止まっている暇はないと前を向いていた。

天理大戦から7日後、関学は京産大を45-21で破った。実に10年ぶりとなる快挙に、観客席へのあいさつが終わると、平生は全員に抱擁して回った。「天理大には負けましたが、すぐに気持ちを切り替えてくれていました。みんなとだから成し遂げられたのだと思います」。この調子なら全国ベスト4も夢じゃない。誰もがそう思った。しかし先述の通り近畿大に敗れ、大学選手権出場には届かなかった。

高等部時代の恩師から授かった言葉を胸に、大学でもぶれない姿勢を貫いた

「過程を大事にすることができました」

最終節の翌日に行われたジュニア・コルツリーグの最終戦。チームメートと談笑しながら別れを惜しむ選手が多い中、平生はチームのウォーターボーイを務めていた。「2試合ともやると自分で決めていました。僕たちがここまで来られたのは、試合に出られない4年生がいたおかげです。文句も言わずに、あれだけの応援をしてくれたのですから」

彼の言う通り、今季は4年生が支えていたと言っても過言ではない。コーチ陣が全員そろうのは休日だけのため、平日の練習は気持ちが緩みがちだ。だが、今年は平日から強度の高い練習を導入し、メンバーではない選手たちも必死に食らいついた。試合会場ではごみ拾いをした結果、両手いっぱいにごみを抱えて帰路につくことも。「自分たちは出られないけれど、チームが国立競技場に立つために凡事徹底しよう」と決めていたそうだ。

ここまでやってくれている分、結果を残さないといけない。自分にプレッシャーをかけたことで、不安な気持ちで過ごした時期もあった。だが引退を迎えた今、平生は言う。「国立には届きませんでしたが、過程を大事にすることができました。結果がすべてではないと知れたことが一番の収穫です」

自信を持ってそう言えるのは、小樋山樹監督やコーチ陣からの言葉が大きい。「これだけチームを変えてくれてありがとう。今の4年生にしかできないことだった」と言われ、試行錯誤してきた日々や努力を認めてもらえた。

「僕たちが積み上げたものは、今後何十年と続く関学ラグビー部にとって大きな存在となるはずです。後輩たちには何が足りなかったのかを見つけて、頑張ってほしいです。僕自身みんなに出会えたことが何よりも良かったですし、この1年は人生で最も充実していました」と平生はすがすがしい表情で話した。

「結果がすべてではないと知れたことが一番の収穫です」と胸を張る

先日、リーグワンの東京サントリーサンゴリアスへ入団することが発表された。「まずは試合に出られる選手を目指します。いずれは、日本代表になってワールドカップに出場したいです」。今後は世界を見据えてチャレンジする。支えてくれた関西学院の仲間はもうそばにはいないが、ここで学んだことは変わらない。胸を張って、羽ばたいていけ。

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