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連載:OL魂

関西学院大・近藤剣之介 「関学のOL」になるための4年間、俺は伝説になって終わる

強い絆で結ばれた関学OL、TEの同期たちと。右から2人目の近藤はひときわ大きい(撮影・篠原大輔)

アメリカンフットボールの関西学生リーグ1部は11月9、10日に最終節の4試合がある。甲子園ボウル7連覇を狙う関西学院大学ファイターズは前節の関西大学戦に勝って6戦全勝とし、61度目のリーグ優勝と全日本大学選手権出場(3枠)を決めている。10日(大阪・万博記念競技場)の立命館大学戦に勝つか引き分ければ単独優勝、敗れれば立命館と同率優勝で、関西2位として選手権へ進む。学生のOL(オフェンスライン)でトップクラスの強さを誇る近藤剣之介(4年、佼成学園)は「相手を圧倒して、チームを勝たせるプレーをしたい」と話している。

入学当初から驚いた、同期たちとの知識の差

近藤は2年生の秋から関学オフェンスの最前線で体を張ってきた。いま身長188cm、体重115kg。力士と一緒でアメフトのOLにもいろんな体形の人がいるが、近藤はシュッとしていて、法政大学が多く生み出してきたOLの香りがする。いかついフェイスガードに両手首、両ひざの装具。私は彼のスタイル姿を見るといつも、「機動戦士」という言葉を思い浮かべてしまう。プレーが始まると相手を捕まえるようにして当たり、足をかき、腕で強引に葬り去る。そんなシーンを幾度となく見てきた。圧倒的な強さの一方で、関学での4年間には苦悩もあった。

77番の近藤はスラッとしているアスリートタイプのOLだ(撮影・北川直樹)

日本のフットボール界において、関学のOLユニットは段違いの緻密(ちみつ)さを求める集団だ。あるランプレーがあったとする。どのチームも、オフェンスの誰がディフェンスの誰をブロックするという役割分担(アサイメント)を元にプレーする。関学はそのアサイメントを起点に、「相手がこう来たら、こうする」「それならいっそ、こういうブロックに変えたらどうや」といった話し合いを無限に重ね、膨大なバリエーションをこしらえていく。そして練習を重ね、体が自然と反応するところまで持っていく。

近藤は佼成学園高校(東京)時代から強さを誇ってきた。「基本的にフィジカル寄りの選手だったので、大学に入ってアサイメントの部分を突き詰めたら、もっとすごいOLになれるんじゃないかと思って関学に入ったんですけど、やっぱりうまいこといかないっていうのが正直な感想ですね」。ラストシーズンの最終盤に来ても、77番は苦笑いでそんなことを言う。確かに同じく学生最強OLの呼び声が高い立命館大学の森本恵翔(4年、初芝橋本)は試合中も笑っていることが多いが、近藤は少し思い詰めたような表情をよく見せる。

妥協しないオフェンスラインの世界に憧れて関学へやってきた(撮影・北川直樹)

入学当初から、関学高等部から入ったOLの同期たちとの知識の差に驚いた。「彼らは上級生が言ってきたアサイメントも一発で理解できてました。もうそこから必死に食らいついてきた感じです。いまでもアサイメントの話を先頭に立ってやるのは高等部出身の人たちです。全員賢いです。強いからいい、ってのは一切ない世界です。責任を無視してたら、どんだけ強くてもアサイメントとしては美しくないとなってしまう。強かったらええんちゃうぞ、っていうプレッシャーを4年間受け続けてます。神田(有基)コーチを中心に(笑)。同級生からも『妥協すんな』って、ずっと言われてます」。近藤は苦悩しつつも、それがうれしかったのだという。「こういう世界に憧れて関学に入りましたから。すごいうれしかったです。妥協しないってのが」

この大男に眼光鋭く待ち構えられると、ひるむDLもいるだろう(撮影・北川直樹)

「DLをやりたい」と言い続けた高校時代

東京の八王子市立第七中学校では野球部だった。都大会で優勝するような強豪だった。「打つ方しか期待できないパワーヒッターでした。ライトだったんですけど、ボールの扱いがあんまり得意じゃなくて」と笑う。高校野球への憧れも、とくになかった。

父が流通科学大学(神戸市)のアメフト部出身で、家には漫画の「アイシールド21」が置いてあった。近藤はそれを読んでアメフトに興味を持ち、中学のころに野球をやりながらアメフトの試合も見ていた。大学生になって父と酒を飲んだときにこの話をしたら、父はアイシールド21を置いていたのは剣之介にアメフトをやらせたかったからじゃないよ、と話したそうだ。

父の大学の同期が勧めてくれた佼成学園アメフト部の体験練習会に行き、「何て面白いスポーツなんだ」と思った。「その後日大へ進んだDL(ディフェンスライン)の窪田弦太郎さんという人がいて、DLの基本を教えてもらったんです。すげえ、ってなって、『ここでアメフトやって、窪田さんに教わりたい』と思いました」

高3のクリスマスボウルで劇的な優勝を飾り、近藤(中央)は泣いた(撮影・篠原大輔)

しかし入学して近藤に与えられたポジションはDLでなくOLだった。近藤は高校時代ずっと小林孝至監督に「DLにコンバートしてほしい」と言い続けた。そのたびに小林監督は「DLをやるならOLを究めてからやれ」と言い続けたという。「それでいまもOLです」と近藤は笑う。

ただOLの面白さに気づいてもいた。3年のOLだった石井潤さんから指導を受けたときに「DLやりたいけど、OLもいいな。石井さんの教えを守ったら日本のトップクラスになれそう」と直感した。石井さんが法政大学に進んだあとも、教えてもらった基本に自分で吸収したものをプラスしてやっているうち、どんどん当たり勝てるようになってきた。

高2になる前の春休みに関学高等部との合同練習があった。そのとき、当時の関西学院大監督だった鳥内秀晃さんから声をかけてもらった。その日から、徐々に関学進学への気持ちを固めていった。

高2の秋に大けがを負い、高3秋の全国大会から復帰した。神戸・王子スタジアムであった決勝のクリスマスボウルで関学高等部と対戦した。ロースコアの熱戦となり、試合残り2秒からのラストプレーで、佼成学園がヘイルメアリーのパス。これが決まって佼成は2年ぶりの日本一に輝いた。「スポーツで勝って泣いた試合はあれだけです。感動しました」。近藤は最優秀ラインマン賞を受けた。この日、私は初めて彼と向き合った。「OLナイス、と言われる瞬間がこのポジションの生きがいです」と話してくれたのを忘れない。関学へ進むと聞いて、KGにはいないタイプのOLだなと思った。

これまでに何度かお客さんから「77番よかったよ」「頑張れよ」と声をかけられた。地味なポジションでも見てくれている人はいる、と心底うれしかった(撮影・北川直樹)

最初のカルチャーショック「首か肩か問題」

関学のOLの一員になって最初のカルチャーショックは「首か肩か問題」だった。「アサイメントでLBをとる(ブロックする)とき、関学では『このLBの左首をとるか、左肩をとるか』がテーマになるんです。首か肩かなんて、正直一緒じゃないですか。でも関学では違うんです。『バックの走る位置がここやから、お前は左肩をとるんや』と。プレーごとにそういう話になるんで、もう驚くばかりでした」。がむしゃらにやっていく中で、気づいた。「僕が強くなるより、キャリアーが僕の走らせたいところを走ってくれるのが、チームが勝ちに近づくことなんだと実感できました。このままやっていけば日本一のOLになれると感じました」

フィールドに入ると毎回、右足、左足の順で振り上げる。「ハムストリングスを伸ばすとパフォーマンスが上がるって聞いたんで」(合成、ともに撮影・北川直樹)

だが1年の春にまた大けがをして、スタメン出場は2年の秋からになった。ここから77番の快進撃が始まる。ポジションはOLの5人が横に並ぶ左端の左タックルだ。まあ強い、強い。「総じて2年、3年のアメフトは楽しかったです」。ただ関学は4年生のチーム。最上級生になると、近藤にはより「関学のOLであること」が求められた。「いまが一番大変です」。今年に入って何度か近藤からそんな言葉を聞いた。

学生最後の夏合宿。最終日恒例の「サークルドリル」でオフェンスとディフェンスの1対1の勝負が繰り広げられていった。トリを務めたのが近藤と4年生DLの川村匠史(清風)だ。真っ正面からぶつかり合うガチンコ勝負。近藤は押し下げられはしなかったものの、川村を押し込めなかったため、負けた。ディフェンスのメンバーたちは大はしゃぎで川村をたたえたそうだ。それぐらいに「近藤は強い」と認められているのが分かる。昨年まで、近藤は1学年上のDLだったトゥローター ショーン礼(現・オービック)に1対1の勝負を挑んできた。2022年の年間最優秀選手に輝いたショーンは最強だった。練習後の「アフター」でショーンに挑み続け、強さに磨きをかけた。

相手DL(44番)にいいところに入られても諦めずに役割を果たす(撮影・北川直樹)

10年後も名前が出るような選手に

昨年の春、近藤のラフプレーの動画がSNSに流れたことがあった。立教大学との交流戦で相手のDLをなぎ倒したあと、不必要なアタックがあった。反則は取られなかったが、近藤は大いに反省した。「僕のフィニッシュ(最後まで相手を圧倒しにいく)に対する意識がルールの範疇(はんちゅう)を超えてしまっていて、もう完全に僕が悪かったんです」。今年の春も立教との試合があったから、近藤は一人で相手のサイドに行って、その選手に謝った。「あれがあったから俺も強くなれたんだよ」と言ってくれたので、少し救われた気がした。

目指してきたOLがいる。2017年度の関学の主将だった井若大知さんだ。近藤より身長は15cmも低いが、彼は毎プレーのように審判の笛が鳴り終わるまで徹底的に相手をぶちのめしにいった。「僕にとって関学OLの伝説が井若さんです。もう卒業してかなり経つのに、ずっとチーム内で『井若はすごかった』って言われてます。僕もそのレベルになって終わりたい。10年後に関学のOLの間で名前が出されるぐらいの選手になりたいです」

DL(52番)を抑えながら、ほかの選手の動向をみている。OLは奥深いポジションだ(撮影・北川直樹)

同期のOLでずっと一緒に試合に出ている副キャプテンの巽章太郎(関西学院)は近藤について、「大学のOLのトップ選手だと思いますし、技術もパッションもある選手で頼もしい存在ですけど、まだ粗削りな部分もあるので、ここからしっかりやってくれれば最強のバウンダリータックル(QBの背中サイドを守るタックル)になれると思います」。また1年生からOLのスターターに定着した同期の森永大為(関西学院)は「近藤は高校からスター選手でした。大学で一緒になって、最初はファンダメンタルの部分が僕らとは全然違ってて苦労してましたけど、いまは関学式のファンダメンタルをしっかり吸収して、かつ自分のファンダメンタルを崩さず、すごくいい形でやってます」と語っている。大村和輝監督は「1対1は非常に強いし、そのこだわりが強かった。それをみんなでやっていく感覚が昔はあんまりなかったけど、いまは随分考えてやるようになりました」と評する。

同期の絆は関西ナンバーワン

OLの同期たちと一緒にプレーできるのもあとわずか。「もう佳境といいますか、常に同期のメンバーとは同じ時間を過ごしてます。オフの日も集まって話したりしてるので、そういった絆というのは関西で一番だと思ってます」。そう言って近藤はうれしそうに笑った。

さあ、リーグ戦としては学生最後の関立戦だ。強さと賢さ、どちらも追い求めてきた剣之介が、アニマルリッツたちにぶちかます。

大学ラストゲームが終わったとき、近藤が何を話すのか。いまから楽しみだ(撮影・北川直樹)

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