格闘技、ラグビーからのアメフト 大学院に進み日本代表を狙う 東北大学・江上遼太郎

昨秋、アメリカンフットボールの東北学生リーグ1部で東北大学ホーネッツが13連覇を飾った。12大会連続出場となった全日本大学選手権では初戦の広島大学(中四国)戦に56-7で圧勝。準々決勝は初の関西勢との対戦となり、11月24日に立命館大学(関西1位)とユアテックスタジアム仙台でぶつかった。のちに9年ぶりの大学日本一となった立命館の壁は厚く、東北大は3-56の完敗でシーズンを終えた。身長185cm、体重130kgと堂々たる体で東北リーグ最強OL(オフェンスライン)の江上遼太郎(4年、八戸)は「微差が大差を生むというのをひしひしと感じたゲームでした。かけがえのない仲間ができたし、かけがえのない思い出も作らせてもらった。いい4年間だったと確信を持って言えます」と語る。
ブロック力を生かすため、立命戦はTEにも
中央からC(センター)、左右のG(ガード)、左右のT(タックル)と5人が並ぶOLの中で、江上は3年、4年は右Gとして戦ってきた。立命戦では江上の強力なブロックをより生かすためにTE(タイトエンド)としても起用。江上が立命のDE(ディフェンスエンド)と1対1でガチッと当たり、これをキーブロックにするランプレーを用意した。ホーネッツは序盤から江上をTEに置き、彼は立命のスターターの選手に対してもしっかりブロックしていたが、効果的なゲインにはつながらなかった。

0-49で迎えた後半最初のオフェンス。東北大はフィールド中央付近で第4ダウン残り3ydとなった。ギャンブルだ。左のTEに入った江上が左前にいる相手DEをブロック。WR松本健太(4年、高崎)がリードブロッカーになってLB(ラインバッカー)に当たる。そしてボールを託されたRB(ランニングバック)植村祐斗(3年、土浦一)がその穴に駆け込んで5ydのゲイン。攻撃権更新に会場が沸いた。江上をTEに置く隊形はチーム内で「ジェネロー」と呼ばれていた。彼のアメリカ人の父の名字であり、チーム内でのニックネームでもある「ジェネロー」をそのまま使った。その隊形からのランでギャンブルを実らせ、さらに前進してゴール前5ydまで迫った。

第2ダウンでまたジェネロー。今回はランを警戒させておいて、そのフェイクからのパスに出た。エンドゾーンのレシーバーに通ってタッチダウン(TD)。ホーネッツの面々は大喜びだ。しかし、東北大に反則があってTDは取り消し。WR兼キッカーの武田和樹(2年、開成)がフィールドゴールを決め、3-49とした。その次のシリーズでは江上が負傷退場。「もう自分の体がどうなってもいい」と、立命からTDを奪うためにフィールドに戻ったが、エンドゾーンは遠かった。「自分がオフェンスの核になりたい。常にキーブロッカーでありたいという気持ちでやってきました。みんなが俺のブロックを生かすプレーを作ってくれた。その思いに応えようとすることが、何より楽しかったです」。79番は試合後、そう振り返った。
4歳から空道を始め、高校はラグビー部でプロップ
父が米軍三沢基地に所属していたこともあり、江上は青森県三沢市で生まれ育った。親の勧めで4歳から空道(くう・どう)の道場に通い始めた。空道は極真空手の第9代全日本王者だった東孝が創始した総合格闘技で、空手の技に投げ、関節、締めといった組み技も加わったものだ。師範による週4回の練習は厳しかったという。中1のときに初めて年代別、階級別で争う全日本空道ジュニア選手権に出て優勝。中2、中3と連覇した。憧れていた進学校の県立八戸高校に入るために勉強にも励み、進学後はラグビー部と道場通いを両立。ラグビーでは背番号3のプロップだった。高1のときには空道の日本代表として世界大会にも出た。

オハイオ州出身の父はハイスクールまでフットボールの選手で、ポジションはDLとTEだったそうだ。だから江上家にとってアメフトは縁のある競技で、東北大を志すようになるといろんな人からホーネッツを推されたこともあり、入学前から入部は決めていた。大学でもアメフトをやりながら空道を続ける道もあったが、青森を離れて別の師範につくのには違和感もあり、新しいスポーツをやり始めてみると面白くて、空道は続けなかった。
受験期の運動不足で太った分もあり、入学時の体重は125kgだった。勧誘が命である国立大学のアメフト部にとって、これほどうれしいニューカマーもいない。大歓迎だったのは想像に難くない。「先輩たちには『ヤバいデブが来た』って言われてたみたいです」と江上は笑う。オフェンスの最前線で当たるOLとして練習を始めると、身近に目標ができた。当時のキャプテンでDLの白木寛慈(かん・じ)さんがめちゃくちゃに強く、白木さんに勝ちたいと日々挑んでいった。「白木さんとサシで当たってどうにかできたときの喜びですよね、勝ててはいないんですけど、どうにかできたっていううれしさでアメフトにはまっていきました」

相手の重心がどこにかかっているか、瞬時に判断
当初はOLが5人横に並ぶ中心のCで、1年からスターターとなって2年の秋シーズンまでCでプレーした。彼が1年生のときの試合を取材に行ったとき、私は大きくて強く、機動力まである79番に驚き、東北大の萩山竜馬監督に「江上君すごいですね」と話しかけた。すると監督は「入ってきてくれてよかったです。順調にいったら(日本)代表クラスの選手になれると思ってます。タックルをやらせたい気持ちもあるんですけど、代表のこと考えたらセンターやっといた方がいいかなと思いまして」と返した。
CはQB(クオーターバック)にボールをスナップするか手渡してから、相手に当たりにいく。だから難しい。江上には苦い経験もある。1年の全日本大学選手権で法政大学と対戦した。相手のDLがこれまで経験したことがないほど強く、速かった。江上は何度もスナップミスを繰り返し、オフェンスの流れを悪くした。「とにかく当たらなきゃという気持ちで全部がグチャグチャになって、何が正解か分からなくなって。自分のせいで4年生を引退させてしまった。あれはつらかったです」

3年になると江上の機動力を生かすためにGとしてプレーすることになった。2年間Gをやってきて、好きなのはパワープレーのときに使う「コンボ」と呼ばれるブロックだ。右のプレーだとすると、右のGとTの2人でDLとLBの2人をブロックにいく。「まず2人でDLに当たりにいって、DLをもらいきるところが得意です」。江上はプレー中、相手の重心がどこにかかっているのか瞬時に判断できるのだという。「パスプロで相手(の重心)が前にかかってたら引き落とせばいい。総合格闘技の経験がそういう駆け引きに役立ちました」
ラストイヤーは選手権の枠組みが変わり、勝っていけば関西1位とぶつかることが分かっていた。これまでは関東1位との対戦はあっても関西勢と戦ったことはない。未知の領域に踏み込むにあたり、ホーネッツはできる限りの準備をして挑もうとした。トレーニングや食事に始まりプレーの細かい役割分担まで見直して、一から積み上げていった。最終的には冒頭の江上の言葉通り、フィールド上の11人が少しずつ相手に上回られていたことや、細かいミスの積み重ねで大敗につながってしまったと受け止めている。

春から大学院で学び、アメフトも続ける
工学部で学ぶ江上は春から東北大の大学院に進む。同時に関東のXリーグのチームに入り、週末は仙台から練習に通うつもりだ。アメフトの日本代表になりたいという思いがある。「空道で一度だけ日本代表になれたんですけど、『俺が代表でいいのかな』って思いながらやって負けたんです。弱気に日の丸を背負っちゃったことをいまだに悔いているので、アメフトでもぜひ日本代表になりたいです」。尊敬するOLは日本代表も経験し、先日引退を発表した町野友哉さん(京都大学~富士通)だ。町野さんのように文武両道で最強のOLを目指す。
大学に入ってすぐ、初めて防具とヘルメットを着けて当たったとき、ラグビーとはまた違う衝撃が江上の体を駆け抜けた。そのときこう思ったそうだ。「おっ、これはちょっとやりがいがありそうだ」。なかなかそんな風には思えない。しかし総合格闘技、ラグビー、アメフトと歩んできた江上にとって、当たることが喜びなのだ。そこから4年。「チームの全員から(キーになるブロックを)任せてもらえるときが一番楽しい。みんなの信頼を受けて相手に立ち向かっていく。あの瞬間にやりがい、ブロックしがいを感じます。ぜひ、それを続けていきたいんです」。東北の地で極上のOL魂が育まれた。

