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特集:あの夏があったから2023~甲子園の記憶

法政大学・篠木健太郎 コロナで失われた最後の夏「後輩たちに何か残そう」と完全燃焼

全身を使って力強い速球を投げ込む法政大の篠木(撮影・井上翔太)

今春の東京六大学野球リーグ戦で防御率0.68を記録し、初めて最優秀防御率を受賞した法政大学の篠木健太郎(3年、木更津総合)。高校時代にこの春同様、抜群の安定感を発揮したのが3年夏(2020年)だった。千葉の独自大会で0点台の防御率(0.60)をマーク。コロナ禍によって夏の甲子園大会が中止となり、自身「最後の夏」が失われた中、木更津総合高校の主将兼エースとして優勝に導いた。

独自大会はどんな思いで投げ、そこに至るまでにはどんなストーリーがあったのか。法政大のエースに高校時代の話を聞いた。

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1年夏、ほろ苦い甲子園デビュー

篠木は地元の群馬・館林ボーイズに所属していた中学時代から注目されていた。県内の強豪私立から全て声がかかったという。ただ3年春までは、センター兼2番手投手。どちらかというと、攻・守・走の三拍子そろった野手として評価されていた。

「エースだったのは3年夏だけです。夏休みに入った頃からいきなりボールが速くなりまして。もともと体が小さかったのですが(中学入学時は身長158cm)、身長が(172cmくらいに)伸びたことと(現在は177cm)、体全体を使って投げていたのがうまくかみ合ったのかもしれません」

高校入学時にはすでに最速が142キロに達していた(現在の最速は157キロ)。県外の木更津総合を選んだのは、甲子園に行ける可能性が高い強豪であり、かつ、篠木が中学生の頃から憧れていた東京六大学リーグで、何人ものOBが活躍していたからだったという。

1年春からベンチ入りし、公式戦初登板も果たすと、2018年夏の東千葉大会ではリリーフの切り札的な存在となった。全6試合中5試合に救援登板し、5回2安打無失点12奪三振と好投。3年連続7回目の夏の甲子園出場に貢献した。

「もう必死でした。抑えられる自信はなかったんです。先輩たちの夏を壊したくない。その思いだけでしたね」

甲子園でも3回戦の山口・下関国際高校との試合でマウンドを踏んだ。だが、小、中を通じて自身初の全国の舞台はほろ苦いものに。1-2の8回から登板したが、2回2失点。チームに流れを引き寄せることはできなかった。

「完全に甲子園の雰囲気にのみ込まれてしまいました。捕手までは遠く感じたのに、(3万6千人の)観客が迫ってくる感じがして……。何もできずに終わってしまいました」

試合後は先輩たちに「申し訳ありません」とひたすら頭を下げたという。「甲子園の土」は持って帰らなかった。必ず戻ってくると、心の中で誓っていた。

第100回大会は3回戦で下関国際に敗退。篠木は1年生ながら登板した(撮影・朝日新聞社)

マウンド上でネガティブな感情を出さない理由

エースナンバーを初めて背負ったのは2年夏。オフのトレーニングで下半身を鍛え抜いた成果だった。春には最速が146キロにアップするなど、進化した姿が五島卓道監督に評価された。

「木更津総合は冬場、めちゃくちゃ走るんです。例えば、学校の周りにアップダウンが続く道があるので、タイムを計りながら5km走ったり……。足を取られて負荷がかかる砂の上も走り込みます。グラウンドにも砂を敷いたロードがありますし、年末に海岸で行う1週間の強化合宿では、午前中ずっと砂浜を走る。これは本当にきつかったですね」

成長を促してくれたライバルの存在もあった。1学年上には根本太一が、同学年には法政大でも同期になった吉鶴翔瑛がいた。篠木は「特に吉鶴には絶対に負けたくないと思ってました。彼と切磋琢磨(せっさたくま)してきたから、いまの自分があると思います」と話す。

下半身を鍛え抜き作り上げた投球スタイルは現在にも通じる(撮影・井上翔太)

以降、背番号「1」を譲ることはなかったが、2年夏、秋と、いずれも千葉の準決勝で敗退。相手は同じ習志野高校だった。

秋は準々決勝の中央学院戦で1安打完封12奪三振と快投し、習志野戦を迎えた。「ボールの質が上がり、三振を多く取れるようになった」と、自分の投球に手応えも感じていた。ところが、延長12回サヨナラ負け。篠木は七回途中まで投げて4失点だった。秋のトータルでは全5試合中4試合に登板し、26回を投げて6失点。それだけに悔しい内容となった。

転機が訪れたのは、秋の習志野戦のすぐ後だ。五島監督に呼ばれ、「主将になるように」と告げられた。監督から理由について詳しい説明はなかったが、篠木は真意を理解したという。

「主将になって、もっと周りを見られるようになったら僕自身も、ピッチングも変わる。そういうメッセージだとくみ取りました」

主将になるのは小学校以来だったが、篠木はすぐにチームの先頭に立った。「自分がすべきことが増えたのですが、だんだんとそれが『やりがい』になりました」。1年生の時はついていくだけで精いっぱいだった冬の強化合宿でも、率先垂範の姿勢で引っ張った。

もともとリーダーとしての素養もあった。篠木はいまも、マウンド上では絶対にネガティブな感情を出さない。守ってくれている選手を尊重し、明るい笑顔を向けることも多い。これは中学の頃から実践していることだという。

「中学の指導者に、マウンドに立つ投手は影響力が大きいと教わったからです。投手が不安そうな顔をすれば、バックに伝染すると」

ピンチをしのぎ雄たけびを上げてベンチへ。ネガティブな感情は出さない(撮影・井上翔太)

「やるせない思いをしているのは3年生だけではない」

甲子園に戻れるチャンスは、あと1度。3年生を目前にした2020年春、篠木は主将兼エースとして充実の日々を送っていた。しかし、思いもよらぬ試練が待っていた。新型コロナウイルスだ。選抜高校野球大会とともに、夏の試金石となる各地の春の大会も中止になった。

あっという間に日本全体がコロナ禍となると、木更津総合も休校に。寮に入っていた部員は実家に帰ることになったが、篠木は残った。夏の甲子園は行われると信じて、一緒に残った同期5人とともに自主練習を続けた。

届いたのは「吉報」ではなかった。5月20日、日本高校野球連盟による夏の甲子園中止の発表会見を、篠木はスマホの動画で見ていたという。

「ショックでしたね。何で最後の夏がなくなってしまうんだろう……と。その時は、自分たち3年生のことしか考えられなかったですし、しばらくは落ち込んでましたね」

全体練習が再開されたのは、6月に入ってから。その頃には気持ちも切り替わっていた。

「考えてみれば、全国の1、2年生も、3度ある夏の甲子園に行けるチャンスのうち、1回が失われてしまったので。やるせない思いをしているのは3年生だけでないと」

独自大会の開催も決まった。目標が生まれたことを喜びながら、篠木は同期の3年生にこう言った。「後輩たちに何かを残そう。自分たちの戦いから何かを感じてもらおう」

篠木は発した言葉そのものの投球を見せた。甲子園につながっていなくても、気持ちが入っていた。地区大会決勝の志学館高校戦で、12三振を奪って1安打完封。2ランも放った。専大松戸高校との決勝も4安打で1失点完投。主将兼エースの役割を果たし、独自大会制覇に導いた。

全7試合中5試合で計30回を投げ、3完投、2完封。防御率は0.60と、圧巻のピッチングだった。「どうしてもチームを勝たせたかったので、仲間たちと完全燃焼できたと思います」

高3の夏、千葉の独自大会で力投。帽子のつばには「恩返し」の文字(撮影・朝日新聞社)

全てを出し切ったあの夏から3年――。篠木はいま160キロ出すことを当面の目標にしている。「(身長)180cmに満たない上背でも投げられることを証明したいです」。今年の春からは新たにフォークボールも習得した。

2年春から法大のエース番号「18」を背負う右腕は、進化し続けている。

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