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特集:2023年 大学球界のドラフト候補たち

星槎道都大・滝田一希 高校時代は無名の左腕、母の訃報に接し「恩返し」でめざすプロ

寿都高校時代は無名ながら、ドラフト候補に名乗りを上げた(撮影・小川誠志)

最速153キロをマークする力強い速球にチェンジアップなどの変化球を織り交ぜ、高い奪三振率を誇る星槎道都大学・滝田一希(4年、寿都)。昨夏、プロ野球3軍との試合で好投して大きく評価を上げ、ドラフト候補として注目を浴びるようになった。高校時代は無名だった左腕が、大学で大きく成長。10月のドラフト会議で指名を勝ち取り、天国で見守る母へ最高の報告をしたい。

3年のとき、ホークス3軍を相手に6回10奪三振の好投

昨年8月のタンチョウリーグ(避暑地である北海道釧路市などにプロとアマチュアチームが集まり行われるリーグ戦)で福岡ソフトバンクホークス3軍との試合に先発した滝田は、6回を投げ10奪三振、2安打無失点と好投し、注目を集めるようになった。札幌学生野球1部リーグでは通算14試合、45回3分の1を投げて76奪三振。イニング数を大きく上回る数の三振を奪ってきた。

今年6月には全日本大学野球選手権でも登板を果たし、神奈川県平塚市で行われた侍ジャパン大学日本代表選考合宿に参加。紅白戦では2イニングを投げ、打者7人を相手に力強いピッチングを披露した。最速150キロをマークし、無安打無失点、1奪三振の内容。代表入りこそ逃したが、スカウト陣に素質の高さをアピールした。

すらりと伸びた手足から勢いのある速球を投げ込む(提供・星槎道都大学野球部)

二宮至監督「背が高く足が速かった。なかなかいい素質」

滝田が高校3年間を過ごした寿都高校の野球部は、毎年、新入部員が入ってやっと選手数が9人を超えるようなチームだった。秋の大会は3年生が引退して人数がそろわず、他校と連合チームを組んで出場していた。そのチームで滝田は「1番・投手」として奮闘していた。50m走のベストは6秒0。足も速かった。

「1年生で入部して3日後に『お前がエースだ』と言われました(笑)。3年になって『打順は何番を打ちたいか』と監督に聞かれて、自分は走るのも好きだったので、1番で出て盗塁したら楽しいだろうなと思って、1番を打たせてもらいました」と滝田は高校時代を笑顔で振り返る。

滝田は北海道黒松内(くろまつない)町で6人きょうだいの5番目(三男)として生まれた。母の美智子さんが女手ひとつで6人を育てていたことから、高校を卒業後は就職するつもりでいた。ところが、星槎道都大学の二宮至監督と出会い、滝田の野球人生は大きく動いていった。

高校3年春の大会の小樽地区予選、相手は道内屈指の強豪校・北照だった。その試合を見に来ていた二宮監督が、滝田に興味を持ったのだ。

「その試合、ボコボコにされて負けたんですけど(笑)試合のあと、二宮監督から声をかけていただいたんです。二宮監督がいなかったら、たぶん今頃は野球をやめて普通に働いていたと思います。二宮監督には感謝しています」

北照高校との一戦を二宮監督(左)が見ていたことで、滝田の野球人生が動いた(撮影・小川誠志)

二宮監督は滝田のプレーを最初に見たときの印象をこう話す。

「北照は前年夏の甲子園出場校だったので。いい選手いるかなぁと見に行ったんです。滝田は相手校の1番・投手・主将で出ていて、背が高くて足が速かった。ピッチャーゴロがギリギリアウトになって、滝田の足の速さにお客さんが『おぉー!』って沸いた。これはなかなかいい素質だなと思って誘ったんです」

大学で体作りに取り組み、最速153キロに

二宮監督は学生時代、駒澤大学の外野手として活躍し、東都1部リーグで5度のリーグ優勝に貢献、ベストナインを5度受賞している。卒業後は読売ジャイアンツに入団し、6年間プレーした。現役引退後は中日ドラゴンズのコーチ、横浜DeNAベイスターズのコーチ、2軍監督などを務めた。高校生をスカウトする際には、投手も野手も、足の速さを重視しているという。

滝田は高校卒業後、就職するつもりでいたことから、母の美智子さんは大学進学に関してなかなか首を縦に振ってくれなかったという。それでも二宮監督は美智子さんのもとを何度も訪ね、説明を重ねた。

大学でも野球を続けることになった滝田は、まず体作りに取り組んだ。食べる量を増やし、ウェートトレーニングを取り入れたことで、15kg近く体重を増やした。高校3年の頃は140キロに届かなかった球速も、大学2年で140キロ台後半までアップし、3年秋に最速151キロ。現在の最速は今春マークした153キロだ。二宮監督も「ここまでになるとは思っていなかった」と驚くほどの成長を果たした。

大学では体作りに取り組み、体重を15kg近く増やした(撮影・小川誠志)

学費や生活費を助けてくれた姉たちのためにも

一段一段、階段を着実に上るように成長を続け、3年春のリーグ戦では開幕投手を務めた。ところが、滝田のもとに悲しい知らせが届いた。母が心筋梗塞(こうそく)で他界したのだ。仕事を掛け持ちしながら自分たちのきょうだい6人を育ててくれた母。ドラフトで指名されてプロ入りする姿、プロ野球のマウンドに立つ姿を、母はどれだけ楽しみにしていたことだろうか。

ショックを受けた滝田は一時、野球と大学を辞めることまで考えたが、学費や生活費を援助してくれた姉たち、そして母への感謝の気持ちが支えとなった。

「プロに入ったら契約金は全部私がもらうよとか、車と家が欲しいなぁとか、冗談を言いながら、母は自分のプロ入りを楽しみにしてくれていたんです。支配下選手としてドラフトで指名されてプロ入りすることが、母への、そしてお世話になった方々への一番の恩返しになると思うんです」

今秋のリーグ戦はドラフトに向けアピールできる最後のチャンスになる。最高のパフォーマンスを見せて、チームを優勝に、そして明治神宮大会へ導きたい。「まずはチームに貢献したい。春は自分のふがいないピッチングで負けてしまって、チームのみんなに迷惑をかけた。秋に神宮球場へ行けるように結果を出して、それが評価されて指名につながるのが一番だと思います」

6月の全日本大学野球選手権でマウンドに立った滝田(提供・星槎道都大学野球部)

チームメートへの思い、お世話になった人たちへの感謝、母への思いを胸に、滝田は大学ラストシーズンのマウンドへ向かう。

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